オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
238.「月は微笑んでいるの?」セレナータ  C.リベルト)作曲
原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター、マンドローネ
スコア 
原編成と同じ
パート譜 
原編成+マンドロンチェロ
解説 
カミッロ・リベルトは、シシリア島パレルモの南約60キロメートルのアグリジェント州カルタベッロッタ(Caltabellotta)で1890年に生まれたバンド(吹奏楽)指揮者、作曲家。早くから才能を発揮し、著名な音楽家の称賛を得て注目された。シチリア中部のヴィラローザ(Villarosa)市立バンド等の指揮者をつとめていたが、熟練したバンド指揮者であることに加えて、作曲家として、アカデミーや音楽誌の協力者であり、多くの権威ある新聞が彼を扱っていた。

 マンドリン曲は1915年ごろから1928年にかけて、ボローニアのイル・コンチェルト誌、トリーノのイル・マンドリーノ誌、スイスのマンドリニズモ誌から約30曲の好個な小品を発表している。
「月の微笑み」はスイスのマンドリニズモ誌から1925年1月にスコアが出版された。同誌の経営者であるC.Notari氏に献呈されている。

239. 「イタリアの若き探検家」行進曲 C.・リッソーニ作曲 

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
スコア 原編成と同じ
パート譜 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター(マンドロンチェロ+ベース)
解説 作者は20世紀初期にミラノの近郊Vimercateに在住し、ミラノ北方Monzeのマンドリン合奏団"La Mandolinata Munier"の指揮者であった。マンドリン合奏曲の作品が多数あり、ミラノのイル・プレットロ誌、パリのレスチュディアンチナ誌、スイスのマンドリニズモ誌から約30曲発表されている。

いずれも軽い舞曲(マズルカ、ポルカ、ワルツ等)が多く、わが国ではあまり紹介されていない。大がかりな曲ばかりに目を奪われて、このような埋もれた佳曲が忘れられているのは残念なことである。
 題名の"Giovanni Esploratori d'Italia"から「イタリアの若き探検家」と直訳し、アメリカ探検のアメリゴ・ヴェスプッチやクリストファー・コロンブス、東方見聞録のマルコポーロなどを想像するのか、 「イタリア軍探検隊(イタリアのスカウト運動のはじまり)」とも訳され、この時期盛んになってきたボーイスカウト運動を指すのか不明である。
 曲はVarietasマンドリン合奏団の団長Franco Zannoli氏に献呈されている。イル・プレットロ誌から1915年にマンドリンとギターのパート譜が出版され、1925年にはマンドリンオーケストラ曲として出版された。

240.「ナポリ風セレナータ」 P.シルヴェストリ作曲  

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
パート譜 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説 作者はイタリアの作曲家。1871年5月9日モデナに生まれ、1960年2月6日に没した。14才から音楽を学び始め、ギター・マンドリンに関心を持つ。ペサロの音楽院でピアノと和声、対位法を学び、卒業後はモデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命されるが、後にモデナ・マンドリン合奏団(下段写真)を創立する。1901年、ロディにおける国際マンドリン独奏コンクールの会長に推される。ボローニャの「イル・コンチェルト」誌を主幹するアルドラバンディの後を受けて、同誌主幹となり、イタリア・マンドリン界を啓蒙すると共に数多くのマンドリン曲を作曲した。和声に優れた作品が多く、1941年シエナでの作曲コンクールで受賞した「夏の庭」や「ノスタルジー」「静けき夜」などが知られる。
 「ナポリ風セレナータ」は作品番号6番で、かなり初期の作品である。未出版曲で、岡村光玉さんがイタリア留学中にシルヴェストリの遺族から作者の自筆譜を譲り受けた。プレクトラム楽器によるクァルテット・ロマンチコ(マンドリン1・2、マンドラ、ギターによる四重奏)のために書かれた軽妙で洗練された作品。原曲の編成でも十分に表現できるが、故中野二郎氏がマンドロンチェロとベースを付けてマンドリン合奏でも演奏できるようにしている。自筆譜は作者が一気に書きあげたためか、判読困難な部分があり、練習の利便のためにオザキ譜庫が写譜清書したスコアも用意した。

 なお、作者自筆譜で「・」「-」が連続して指示されている場合、作者の他の作品と同様、「・」はダウンストローク、「-」はアップストロークで演奏されたい。


241.「ミモザ」マズルカ  G.マネンテ作曲 op.417

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
パート譜 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説 
「ミモザ」は中野二郎氏が文通していたマネンテから、1940年ごろに贈られたマネンテ自筆スコアであるが、1913年に作品番号182でピアノ譜がFratelli Bottali(バンド譜も同社から出版されていたようである)から出版されている(ピアニストWanda Melotti-Sonnino婦人に献呈)。作品番号が異なっているのは、作者自身がマンドリン曲に書き直した際、新たな番号(417)を付したと考えられる。出版された形跡はなく、マネンテ晩年の作品の一つである(判明している最後の作品番号はop.446「白鳥の楽園」)。

マネンテといえば、「メリアの平原にて」や「華燭の祭典」など大曲を連想されるようであるが、マンドリン合奏のために「アルバムの一葉」「おやすみなさいミミ」「海のセレナータ」など味わい深い多くの小品を書いている。背伸びして大曲に挑戦する前に、これら小品からマンドリンを玩味していただきたい。
 オザキ譜庫がスコアからパート譜を写譜作成した。参考に作品番号182のピアノ譜を添付しておくので参考にされたい。

242.序曲「マリネッラ」  M.バッチ作曲 

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、マンドローネ、ギター、ベース
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 
1873年、イタリアのフィレンツェに生まれたが、約20年間ローマに定住したので、ローマ人として登録されているマンドリニスト、作曲家、音楽評論家。優れたマンドリニストで、1898年フィレンツェに住んでいた頃はGuid Monacoマンドリン合奏団の指揮にあたっていた。

 和声と対位法をSalvatore FiciniとVincenzo Billi(1869-1938)に、ピアノをBenedetto Landini(1858-1938)に学んだ。“Metodo per conscere la musica”の著があり、他にマンドリン及びギターの教則本と非常に多数のマンドリン合奏曲の作品がある。マンドリンアンサンブル本来の美を、独特の純イタリア風の旋律、或いは古いフランス風の旋律と通俗的な表情をもって表している。

 Bacciは、音楽家としてパリやニューヨークに旅行し、ローマでは文化連盟会長の要職もつとめ、多数の音楽誌や新聞に数の寄稿がある。晩年(1940年)故郷のフィレンツェに帰ったと伝えられている。
 代表作にはフェラーラのマルゲリータ合奏団に贈った序曲"Marinella"(マリネッラ)、フィレンツェのムニエル合奏団に贈った序曲"Versilia"(ヴェルシルア)、リヴォルノのヴェルディ合奏団に贈った印象的序曲"In mundo arcani"(神秘の世界)とがある。いずれも印刷に付されず、"Marinella"と"Versilia"はミラノのイル・プレットロ誌から1925年頃、手写譜で頒布された。"In mundo aracani"(神秘の世界)は1926年に明治大学マンドリンクラブが上演した記録があるが、その後も楽譜の存在が知られず全く演奏されていなかった。石村隆行氏がイタリア留学中の1991年作者の自筆譜を発見し、わが国マンドリン界にもたらした。
 他に、パリのエスチュディアンティナ誌から出版された4楽章の組曲"Vita Festosa"(祭の日)はじめ多くの作品がイタリア、フランス、スイスの出版社から出ている。

 Marinella は女性の名前だろうか。Versiliaと同様、古典的で手堅く重厚な構想であるが、表情的にはVersiliaに優るものがあり、Bacciの代表作となっている。1925年ごろの作品で、A.Vizzari社によって、注文があれば写譜提供するかたちで頒布された。

243.独創的幻想曲「ナポリの響き」  M.バッチ作曲 

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+ベース
解説 
1873年、イタリアのフィレンツェに生まれたが、約20年間ローマに定住したので、ローマ人として登録されているマンドリニスト、作曲家、音楽評論家。優れたマンドリニストで、1898年フィレンツェに住んでいた頃はGuid Monacoマンドリン合奏団の指揮にあたっていた。

 和声と対位法をSalvatore FiciniとVincenzo Billi(1869-1938)に、ピアノをBenedetto Landini(1858-1938)に学んだ。“Metodo per conscere la musica”の著があり、他にマンドリン及びギターの教則本と非常に多数のマンドリン合奏曲の作品がある。マンドリンアンサンブル本来の美を、独特の純イタリア風の旋律、或いは古いフランス風の旋律と通俗的な表情をもって表している。Bacciは、音楽家としてパリやニューヨークに旅行し、ローマでは文化連盟会長の要職もつとめ、多数の音楽誌や新聞に数の寄稿がある。晩年(1940年)故郷のフィレンツェに帰ったと伝えられている。

 代表作にはフェラーラのマルゲリータ合奏団に贈った序曲"Marinella"(マリネッラ)、フィレンツェのムニエル合奏団に贈った序曲"Versilia"(ヴェルシルア)、リヴォルノのヴェルディ合奏団に贈った印象的序曲"In mundo arcani"(神秘の世界)とがある。他に、パリのエスチュディアンティナ誌から出版された4楽章の組曲"Vita Festosa"(祭の日)はじめ多くの作品がイタリア、フランス、スイスの出版社から出ている。

 「ナポリの響き」は、ナポリ民謡「パルメルラ」(Palummella)、「サンタルチア」(Santa Lucia)、「スコディッロの妖精」(La fata delle scodillo)、「フェネスタ ヴァシア」(fenesta vascia)、「美しのナポリ」(Napule bello)、「あなたを愛しています」(Te voglio bene assaie)の接続曲。それぞれの民謡はそれぞれの歴史があり、いまも歌い継がれている。その旋律はマンドリンで弾いても美しい。肩肘張らずに、マンドリン合奏を楽しんでいただきたい。

 1915年2月ボローニアのイル・コンチェルト誌からスコアが出版された。