オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
234.「マンドリニストの行進曲」 E.メッツァカーポ作曲 
原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 
原編成+マンドロンチェロ+ベース
パート譜 
原編成マンドロンチェロ+ベース
解説 
作者はイタリアのマンドリニストで、19世紀の終りにパリに移住してマンドリンの教授と、多くのマンドリン曲を書いた。1901年にはロンドンを訪れ、同地の婦人合奏団の指揮とマンドリンの教授をした。王立アルバートホールで、彼の指揮により自身の作曲になる“Reverie”と“Tolede”の演奏は大成功をおさめた。マルチェルリと共に共演したのはこの頃である。1912年には再びパリに帰り作曲家として、また音楽学校の教授として、さらにロンバルド・エステヴュディアンティーナの指揮をつとめた。

メッツァカーポは多くの好ましいマンドリン合奏のための曲を作曲、その多くはパリのRowies社から出版されたが、その数は約60曲にもなった。“Sympathy Waltz”、“Napoli Tarantella”など、彼のマンドリン作品のいくつかは、ヴァイオリン曲、小管弦楽等に編曲され広く出版された。彼の作品にはピックの使い方、運指が詳細に書かれている。現代では使われない奏法かもしれないが、マンドリン奏者としてマンドリン曲を書いた作者が意図した音、音楽を具現するための指示と理解したい。
 この曲はパリのRowies社から、マンドリンとピアノあるいは二つのマンドリン、マンドラ、ギターの編成でパート譜が出版されている。パリのマンドリン協会会長ジバート氏に献呈された。

235. 「英雄葬送曲」 C.オテッロ・ラッタ作曲 

原編成 第一マンドリン(A/B)・第二マンドリン、マンドラ(1/2)、マンドロンチェロ、ギター(A/B)、マンドローネ、アルモニウム(オルガン)ティンパニー
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 1939年9月1日ドイツのポーランド侵攻にはじまる第二次世界大戦の最中、イタリアのシエナで1940、1941年にわたりマンドリンオーケストラのためのオリジナル作品作曲コンクールが行われた。当時は1922年以来独裁政治を続けてきたムッソリーニ率いるファシスト党の最強となった頃で、主催もファシストの一国家機関O・N・Dの名のもとにおこなわれた。二回とも大きな成果をあげ、多くの優れた作品が入選したが、枢軸国側の敗戦によってイタリアの斯楽界も大打撃を受けて戦後復興することができず、コンクール入賞曲も出販演奏されることなく眠ったままになっていた。
 1974年春、音楽修業のため渡伊した岡村光玉氏は、これらの名曲を保持するシエナのアルベルト・ボッチ氏の譜庫でこれらの入選曲を発見、懇願してこれらのコピーを譲り受けることが出来、わが国マンドリン界にもたらしたのである。
 作曲者カルロ・オテッロ ラッタについて、石村隆行氏がイタリア留学時に調査したところによると、1888年9月24目にフェルラーラに生まれ、1945年10月30日同地に逝いた作曲家でピアニスト。作品には1935年10月20日にコモ劇場で初演された一幕のオペラ"Marfisa"、二幕のオペレッタ"A Mosca Ciesa"等がある。
「英雄葬送曲」は1941年の第二回コンクールに二等受賞した作品で、この作者は第一回コンクールにも「チュニジアのイタリア人」が二等に入賞している。本曲は第二次世界大戦中、枢軸側の重要な根拠地であったリビアのトブルク陥落に寄せた悲壮な挽歌である。トブルクは第二次世界大戦の枢軸国側(独伊)と連合国軍(英米仏)との間に再三激しい攻防の繰り返された所で、両陣営の勝敗を決する山場であったので、トブルクの陥落はイタリア軍の大きな傷手であった。この曲はトブルクの戦いで戦死した勇士に捧げられた。1941年の第二回コンクール応募入賞時のパート譜が残されていたので、これを元にスコアおよびパート譜を清書した。

711-714.「ショリディータ教則本」 C.ムニエル  
原編成 マンドリン教則本
解 説 マンドリンの地位向上と普及、発展のために生涯をかけたカルロ・ムニエル(1859-1911)は“マンドリンの父”と称される作曲家、マンドリニストである。 ムニエルが残した作品には、特に重要な3つのジャンルがあげられる
(1) 大教則本をはじめとする“教育目的の作品
(2) マンドリンの独奏楽器、コンサート楽器としての可能性を追求した“演奏会用作品”
(3) マンドリン族の特性、アンサンブルの魅力を効果的に表現した“室内楽作品”であり (2)と(3)は同一分野と考えられる。
 18世紀以降、マンドリンのために書かれたロマン的作品が貧しかった時期に、ヴァイオリンの真似事ではなく、マンドリンとしてのオリジナリルティを発揮できるような独奏作品を増やすべく、ムニエルは多くの優れた作品を生み出し、自らの演奏を通して普及活動をした。なかでも1902年に出版された「スペイン風奇想曲」は最も優れた作品で、マンドリン独奏作品のスタンダードな名曲として広く愛奏されている
 また、ムニエルはニコラ・カラーチェと同時期(1892年以前)にプレクトラム四重奏曲を最初に書いた作曲家でもあり、歴史的にこのジャンルにおいてもパイオニア的存在である。しかし、教育目的の作品が非常に多く充実していることはムニエルの作曲傾向の大きな特徴といってよいであろう。2巻から成り8つの作品番号を持つ「大教則本」は武井守成氏が“如何なる教本を以ってしても覆し得ない偉大な価値を持つ”と評した力作で、1891年7月頃に完成、1896年に出版されトリノの博覧会において賞を獲得した。
 4巻からなる「ショリディータ」は「大教則本」で練習した様々な技巧を補完し、より発展した技術を習得させる狙いで書かれたものであろう(もちろん「ショリディータ」を独立した練習曲集として学ばれても非常に大きな効果があることは間違いない
 ムニエルは「大教則本」の第1巻の第2部(作品番号103番)の後に作品番号199番の「ショリディータ第一巻」の練習を始めることを推奨しているので、この2つの教則本は同時進行で書き進められていたと思われる
 「ショリディータ」とは“指の解放、素早さ”といった意味で、G.ベルレンギやG.ブランツォーリも同タイトルで練習曲集を残しているので機会があれば是非ご覧になっていただきたい。
 ムニエルの「ショリディータ」は真に正確で自由な左手の押弦と柔軟なピッキング技術の習得に特化した練習曲集である。
 第1巻は、(比較的単純ではあるが重要な基礎技術を習得するための音型練習が、全長短調それぞれ3曲で構成されているが、ムニエルが“ゆっくりしたテンポで奏すること”と書いていることは非常に示唆に富んでいる。ここで困った癖がついてしまわないように、可能であれば優れた指導者のアドバイスを聞きながら練習されることをお薦めしたい。また、6つの全調性練習を通じてそれぞれの調感覚、音感を養うことも重要なポイントである。
 第2巻は第6ポジションまでのいろいろな移動パターンと多様な右手の移弦技術の習得が目的である。“ゆっくりとしたテンポから急速なテンポまで”どんなテンポにも対応できる“解放された”動きを十分に習得するための巻である。練習される方のレヴェルによっては、この巻から始められてもよい。
 第3,第4巻は技巧面においてより発展的、実践的な練習曲集となっている。各練習曲に番号が付けられていないことは注目すべき点である。前奏曲(比較的自由なテンポ感覚、技巧だけでなく音楽的表現も加味して)、カデンツァ(ヴィルトゥオーゾ的パッセージの技巧と表現、テンポの変化や間合いを考えて音楽を運ぶ等)、エゼルチーツィ(特定の目的を持った練習曲)という3つの部分で書かれている。ムニエルは第2巻と第3巻の間に「20の旋律的練習曲」と「12の奇想曲風練習曲」の練習を推奨している。どちらも興味深い内容を持った教本なので是非目を通していただきたい。 以上 石村隆行記

各巻のイタリア語による記述・説明(音楽用語は除く)には、石村先生の指導のもと、出来 るだけ対応する日本語を付している。
ムニエルが「ショリディ-タ」第2巻と第3巻の間に練習を推奨している。「20の旋律的練習曲」(op.17)「12の奇想曲風練習曲」(op.216)は、IMSLPペトルッチのサイト(下記)
   http://imslp.org/wiki/Category:Munier%2C_Carlo

から無料でダウンロードできる。
マンドリン教則本、マンドリン独奏曲、マンドリン室内楽曲、マンドリン合奏曲などムニエル作品の多くは上記から入手することができるので利用されたい。 
オザキ譜庫管理委員会
236.「夜警の巡邏」スペイン風幻想曲 M.サヴィーニ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター、ベース
スコア 原編成+マンドロンチェロ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ
解説  作者は1867年、ローマの北北西にあるヴィテルボ(Viterbo)の貴族の家系に生まれ、1929年同地に逝いたギタリスト、フルーティストで作曲家。1929年に同地で逝去した。
作曲家としては、FirenzeのCase ManniとミラノのVizzariから、いくつかのオリジナル作品と脚本を発表している。彼は様々な音楽協会の名誉職を歴任し、彼の音楽芸術的貢献によりイタリア王室から騎士の称号を与えられた。
マンドリン関係では、この曲とマンドリンとピアノのための作品だけが残されている。
「夜警の巡羅」は、1925年イル・プレットロ誌の作曲コンクールに銀賞を得た作品である。
この曲が出版された1927年2月のイル・プレットロ誌に、「Serenos」とはスペインの夜間警備員のことで、警棒と照明灯で身を守り、定められた時刻に巡回して警備報告する仕事」と記されている。「セヴィリアの思い出」は副題。

237.「アンダルーサ」 A.フィリオリーニ作曲

原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース、打楽器
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成と同じ
解説 作者は1878年8月24日ヴェルチェッリ(ミラノとトリノの間の町)に生まれ、1955年7月23日同地で没した。1923年から1935年までヴィオッティ音楽院で指揮、作曲、弦楽器の教授をつとめた。早くからマンドリンに情熱を傾け、自分の名を冠した合奏団を組織し、マンドリン奏者としても指揮者としても活躍した。
 「演奏会用行進曲」等のマンドリン無伴奏曲や小品を多く残している。そして、1911年2月15日発行のイル・コンチェルト誌上に、「卓越した巨匠カルロ・ムニエルを讃えて」ギター伴奏付のマンドリン独奏曲「ト調のコンチェルト」をムニエルに捧げている(ムニエルは発行の直前2月10日に逝去)。
 マンドリン合奏曲には「光と影」「アンダルーサ」「山国の祭」「月の夜」「山人の歌と踊り」「古城の物語」などがある。「アンダルーサ」はスペインのアンダルシア地方の舞曲のこと。Tamburo bascoはタンバリン、Nacchereはカスタネット。