原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 原編成+マンドロンチェロ+ベース
解説 作者は、1878年7月25日、イタリア・サレルノの近くで生まれた作曲家、吹奏楽指揮者。音楽学校卒業後軍楽隊に入り、右の写真が掲載された1910年前後は歩兵第24連隊軍楽隊長の地位にあった。作品は多岐にわたり、情熱のあふれた美しいロマンスなど、ピアノのための一連の作品は当時一般から非常に愛好されたという。吹奏楽の作品はより一層高く評価され、各地で上演された。ナポリ、ジェノヴァ、ミラノ、ローマなどで開かれたコンクールに度々入賞した。歌劇"Il
Maledetto"も作曲している。
マンドリン音楽では1913年ジェノヴァ市が主催した第二回作曲コンクールで入賞し、アルテ・マンドリニスティカ誌から出版された堂々たる序曲「祖国への愛」が知られている。また、イル・プレットロ誌主催のコンクールにマンドリンとギターやマンドリンとピアノのための極めて美しい作品を提出し入賞している。非常に多作家であったが、豊かで天賦の才能によって常に豊かな新鮮な霊感に満ちたものを作曲した。1926年、ミラノのイル・プレットロ誌から出版されたマンドリンとギターのための「ナポリ風セレナータ」は遺作とみなされている。
彼は不幸にも不治の病に侵され、約2年間ナポリで痛ましい生活をしたが、同地で亡くなった。40歳に満たなかったと言われている。イル・プレットロ誌のアレッサンドロ・ヴィッツアリ主筆は、戦時中の混乱で彼の死を知ることができなかったことを詫びつつ、同誌1919年12月号に彼の最後の絶望の手紙を掲載し、その死を悼んだ。
親愛なるヴィッツァリ様、
私の健康状態はそれほど良くはありませんが、休職を申し出ることを余儀なくされ、ナポリへ出発するのを待っています。 じっと待っていることが、私自身の不幸に平穏をもたらすことが出来ず、私の気持ちを滅入らせ、情けない気分に陥っています。ナポリの気候が、何らかの形で病状を好転させてくれることを願っています。そうでなければ、私の終わりがどうなるか分からないのです。アモローソ
スペイン風セレナータ」は、ボローニアのイル・コンチェルト誌主催の作曲コンクールに第3位入賞し、1914年、同誌からスコアが出版された。
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