オザキ譜庫マンドリン楽譜 本文へジャンプ
オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜
102.小組曲「降誕祭の夜」  A.アマディ作曲

原編成 クァルティーノ、第1・第2マンドリン、マンドラ、
     マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、
     打楽器(シストロ、トライアングル、ティンパニー)
スコア 原編成と同じ
パート譜 クァルティーノ、第1・第2マンドリン、マンドラ、
     マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、
     打楽器(シストロ、トライアングル、ティンパニー)
解説 スコア及びパート譜は、1935年ミラノで刊行されていたマンドリン誌「イル・プレットロ」が出版した原譜によった。アマデイの没後発表された遺作。彼の最後の作品で、それまでの彼の作品には見られなかった精緻な構成を示している。美しい大自然の印象、高揚する宗教的感動が流麗な筆致で書かれ、アマデイの最後を飾るに相応しい大作である。次の三つの楽章により構成される。
1.Pifferata (笛の調べ)
2.Al Presepio (厩にて−夜曲)
3.Alleluia (ハレルヤ)

104.「海の組曲」  A.アマディ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、ハープ、打楽器、マンドリン2B(「シレーナの唄」のみ)
スコア 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、マンドローネ、打楽器(トライアングル・ティンパニ-)
解説 スコアー及びパート譜は、ミラノで刊行されていたマンドリン誌「イル・プレットロ」が出版した原譜に拠った。マンドリン1・2、マンドラ、ギターの4パートによるスコアーとパート譜は印刷譜で頒布されたが、マンドリン2B(「シレーナの唄」のみ)、マンドロンチェロ、マンドローネ、ハープ、ティンパニー、トライアングルの各パート譜は手写譜によりイル・プレットロ誌から頒布された。
「海の組曲」は1908年イル・プレットロ誌主催の作曲コンクールでマネンテの「メリアの平原にて」をおさえて一位に入賞した作品である。マンドリン音楽の特性を発揮し、ギリシャ神話のなかで水に縁のある神々を巧みに描写したもので、イル・プレットロ誌には、各楽章ごとの作者の意図を次のように記されている。
第一楽章 (ナイアーデのセレナータ) Andante Grazioso
海に神秘の夜が来た。静かな海は妖精の世界となり、ナイアーデたちは歓び勇んで飛び回っている。
第二楽章 (オンディーナの踊り) Allegretto
オンディーナたちは踊る。妖艶なその舞は魅惑と夢幻に満ちている。
第三楽章 (シレーナの唄) Andante
身の危うさも覚らずに船人たちは美しいシレーナの唄に迷い、深い安らかな眠りを貪っている。
第四楽章 (トリトーネのフーガ) Allegro vivace
 舵のとれない船は怒涛に弄ばれる真まま今や危機に瀕しいる。トリトーネは怒涛を鎮めながら船人たちを救うように貝を吹き鳴らしつつ右に左に駆け回っている。
(なお、今回の頒布にはハープは入れていない。必要な方はオザキ譜庫まで問い合わせいただきたい。)

101.小交響曲「マンドリンの群れ!」  カロジェロ.アドルフォ・ブラッコ作
原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、リュート、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説 スコア及びパート譜は、トリーノで刊行されていたマンドリン誌「イル・マンドリーノ」が1902年7月に出版した原譜によった。ただし、原譜のLiuto はオザキ譜庫により若干手直しを加え、マンドロンチェロに書き移した。ベースは原譜にはなかったが、オザキ譜庫により、原曲の趣を損なわないようにパート譜を作成したものである。1902年イル・マンドリーノ誌主催の第6回作曲コンクールに入賞し金牌を得るや、各地のマンドリン合奏団の主要な演奏曲目となった。ブラッコについては、Philip J.Bone著「Guitar and Mandolin」に詳しい。長らくC.A.Braccoとしか分からなかった名前が、石村隆行氏の調査でC. Adolfo Braccoであることまで判明し、2019年ジェノヴァ(ブラッコの没地)在住のマンドリニストCarlo Aonzo氏の調査により、Calogero Adolfo Braccoであることが明らかになった。
103.交響的間奏曲「晩年に」  H.ラヴィトラーノ作曲
原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、ギター
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース
解説 マンドリン合奏曲としての作品は「レナータ」「ローラ」「雪」の三曲がラヴィトラーノの三大傑作としてよく知られている。「晩年に」は文字通り作者の晩年の作品で、「ローラ序曲」などには見られなかった円熟した作曲技法により当時のフランス斯界のレベルを超えた境地に到達している。1933年L’Estudiantina から出版された。
 なお、楽譜にはラマルティーヌの 「物の終りの苦悩至福などなべてに与うる爽やの憂悶に落つる夕(店村新次訳)」という詩の一節が載っている。
 スコアは出版譜、パート譜はオザキ譜庫管理委員会で作成した。マンドロンチェロとベースは中野二郎氏がプレットロ・ロマンティコの練習のために書かれた楽譜に拠った。第2小節目のギター低音はスコアが誤っていると考えられるので、中野二郎氏の指摘にしたがいパート譜のように訂正した。
105.交響的間奏曲「グラウコの悲しみ」 A.マッツオーラ作曲

原編成 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース、打楽器(タムタム・ティンパニー)
スコア 原編成と同じ
パート譜 第1・第2マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、ベース、打楽器(タムタム・ティンパニー)
解説 「グラウコの悲しみ」は1951年にベルガモで発行された自家製のようなコピー版で、1965年高橋功氏がアフリカからの帰途、イタリアで入手され、中野二郎氏に贈られたものである。1965年同志社大学マンドリンクラブで初演された。
 後に岡村光玉氏がベルガモにMazzolaを訪ねたところ、彼は遥か東方の日本で自分の曲が演奏されていることに深く感動し、是非そのテープを聞かせてほしいと願い出た。早速岡村氏はテープを用意しベルガモに送ったのだが、その直後に彼の死の知らせが届いた。岡村氏はMazzolaがテープを聞いてくれたかどうかが気がかりで、悔みと共に遺族に尋ねたところ、彼は「グラウコの悲しみ」のテープを聞きながら1974年10月2日息を引きとり、最後の言葉が「岡村氏にくれぐれも礼を言ってくれ」ということだったそうである。
 この「グラウコの悲しみ」の楽譜は、高橋功氏が持ち帰った初演譜と若干異なっていて、随所に作者の推敲のあとが窺われる。パート譜はオザキ譜庫管理委員会が作成した。