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文学の学び

大津市立仰木の里小学校公開授業研究会より  2023年1月21日(土)

深沢幹彦先生のお話


国語の学びについて     (国語の教科の本質)


・国語の学びには、「文学の学び」と「文学以外」の学びがある。

・今日は、「文学の学び」について話します。このように教科の本質についての学びを「真正の学び」と言う。オーセンティックな学びとも言う。

❶文学は解釈(理解)ではない。

 文学は、読み味わうもの。だから、一人一人の感じ方が違っていい。ここは、こういうことだよとか、こういう意味だね、ということは適さない。

❷読むことと、話し合うことでは、読むことのほうが大事。

 文章を読んで、自分の頭の中に思い浮かぶ。そのことを、「ねえねえ、こんなこと思いついたんだけど」と友達に話してみると、友達の、自分とは違う読みに出会う。自分とは違うものを頭の中に入れて、もう一度読むと、読んだときに新しいものが生まれてくる。メインは文章と対話することである。だから、読む時間をちゃんと取れていますか。最初に一回読んで、あとずっと話し合いをしているような授業が7割くらいある。読むことがメインだとしたら、どのように読ませたらいいんですか?まず最初に読んで、話し合わせて、子どもの意見を出させて、それってどこからそう思ったのと聞いて、その所を読んで、そして最後に読んで、最低でも3回は読む。何回も読むことが大事だけど、時間的に45分で何回読めるかというと、厳しいよね。だから、提案しよう。一番最初の読みから、「いいですか。このことを頭の中に入れて。このことを頭の中に入れて、何でかな?イメージしながら読んで。」と一発目から、課題を明らかにして読ませる。

❸読み方を10種類ぐらい、自分の手の中にもつ。

 もちろん、音読があって、黙読があるよ。個人読みがあって、ペア読みがある。グループ読みもあるし。段落読みもあるし。そういうバリエーションを少なくても10個ぐらいはあげていけるように。ただ読んでみて、では深まらない。文章によって、どういう読みをすればいいか、違ってくる。

 

❹文学において決まった課題はあるか?

 非常に難しい問題で、国語学者によっても、課題があるかないか、意見はわかれます。私はこう考えます。初めから決まった課題はないけれど、課題のない学びだと、学びが深まらないから、課題はあると思う。もう一度言う。この課題でないといけないという、決まった課題はないけれど、学びを進めていくには、課題が設定されていないと、何を学んだかわからない授業になるので、課題の設定は必要だと思う。

 次に、課題をどう設定すればいいか。悩むね。

1つ目>文学の教材だと、子どもが読んで感想を書いて、その子どもの読みから課題にするのも可能だ。可能だけれど、学びが浅いものでおわる可能性がある。子どもの感想から課題設定することは、主体的という部分でいいこともあるけれど、深い学びにならないということを押さえておかなければならない。

2つ目>教師が何回も、何回も、何回も読む。その中で、指導者がその作品のすばらしさを見つける。その中から、課題を決めていく。今回の初雪の降る日、少なくとも5回読んだ。読んでいくと自然に次のことが頭の中に浮かんでくる。1回くらいではだめだよ。少なくとも5回以上は読んでみる。ここが面白い。ここが素晴らしい。あっ、こんなこともあった、と見つけられる。そういうものを課題にする。

3つ目>子どもから出てきたものと、教師が見つけたものをミックスして作るという方法がある。

❺学び方として、層序法と展開法がある。

 層序法とは、前からいくつかの段落ごとにやっていく方法。一つのまとまりごとに、課題を決めて進めていくというやり方。小学校やっていることが多い。それに対して、展開法は作品全部を読んだ後で、何回か読んだあとで、トータルとして全体を通してそこから課題を設定して進めていく方法。中学校では、どちらかというとこちらの方が多くみられる。小学校は、層序法の方が多い。でも、たまには展開法を行ってもいいと思う。物語、本を読む楽しさを味わせたかったら、層序法で前からしこしこやっていくだけだと、面白さがわからない。だから、展開法もいれてやると、子どもに読みを育てるには必要なことかもしれない。

■文学の学びにおける3つの禁じ手について

 文学を学ばせるときに、次の3つのことはやらないようにしましょう、ということです。

<一つ目>主題を問わない

主題、テーマともいうでしょう。この話のテーマは何ですか?と聞かないようにしましょう。

皆さん、小学校や中学校の国語の時間に、この話のテーマって何だろう、て先生から聞かれたことあるんだろう。でも、これは文学において、ないだろう。作家は、森鴎外でも夏目漱石でも、小説を書いた後に、このテーマは~です。て、どこにも書いてないよ。文学って、主題を設定したことはないんです。作家の手を離れたあとに、読み手がどう読もうともかまわないんです。だから、読み継がれるんです。テーマがこれだと決まっていたら、1回読んだら、2回読まない。でも、好きな話って、何回も読むじゃない。読むたびに面白い。読むたびに発見するから。でも、学校ではこの話のテーマは何ですか?というように子どもに考えさせちゃう。だから、意外と読書好きなんだけど、中学校の時の国語は嫌いという方が多い。その原因を作っているのが、ここにある。だから主題を問うことはやめた方がいいよ。

2つ目>気持ちを問わない。

このときの主人公の何々さんの気持ちは何ですか?この質問がほとんどだよね。実は物語を読むと気持ちを問わずにはいられない。でも、文学というのは、この初雪の降る日でもそうだけど、人間の心の不条理みたいな奥深いところを、子どものわかる簡単な言葉で、実は人間のもつ奥深いところを表現しているのです。それを気持ちはどう?て、聞いてしまったらうすっぺらくなってしまう。そういう問い方は、しない。ではなく、気持ちが表れているところは、どこなの?どこから、この人の気持ちがわかる?その言葉を探してみよう。て、言うことが大事です。そうするとね、読んですぐ、せりふに目がいってしまうけど、実はせりふ以外のところに微妙なことが書かれていることに気が付く。もっと言うと、一番伝えたいことは、言葉で表現していないよ。言葉を読んでいると、その言葉の後ろ側に、伝えたいことが隠れている。それを見つける。そういう文学の深さ、に気が付く。ということで、ストレートに主人公の気持ちは?と聞くことは、文学の学びとしてはふさわしくないよ。

3つ目>何故?と問わない。

何故?て言うと、答えがあるじゃない。科学は何故?ですね。だから、答えがある。ということは、原因と結果が必ずある。でも、文学は、原因と結果って、セットでないよ。人間の心って、こうなればこうする。こうしてもこうならないで、ああなる。というように、思い通りいかないもの。ていうことが文学でしょ。だとしたら、因果関係を尋ねるように、何故?て聞かない方がいい。あなたは、どう感じましたか?あなたの感じ方を説明してくれる?というように問うてやることが、文学の本質に近づける。

課題を設定することが重要だろう。先ほど言ったように、何を考えるのか明確にしてやる。課題は「何について、どのように、どこまで」を明確にすることが重要。何について、理科や社会なら何故?それ以外なら、どのように?そして、その次に、どこまで?文学なら、文章を取り出して、その文章をもとにわかりやすく説明してください。ていうと何をすればいいかわかるよね。ただ、何々について考えて。といえば、考えておしまい、になってしまう。そうすると、学びについて無責任な子どもを作ってしまう。何々の文章を読んで、自分がどのように感じたか、それをグループのみんなに説明して。というようにすると低位の子どもも参加できるようになる。

課題は、文章の中に隠れている。だから、文章を何回も読んでみると、いい課題が見つけられると思う。そして、自分がすごいなあ、素晴らしいなと感じたところを、子どもたちなら、どのようにかんがえるかな、子どもが夢中になるにはどういう表現をしてやったらいいかなと、すると子どもがこのこと考えればいいんだな、うう、面白いなと思えるようになる。