天満橋から造幣局へ向かって、南岸を東へテクテク歩いていますと、きれいな公園に出ま
した。
  下の写真にそびえるビル群は「OBP(大阪ビジネスパーク)」です。公園とビル群の対比が
結構、好みだったりするわけです。
  この公園は、立派な門扉はあるのですが、無料で入れそうでしたのでおっかなびっくり入っ
てみたのでした。和服のご婦人方が(決して「オバチャン」風ではない人々)くつろいでいたりし
て、わたしのような者には、なかなかに敷居の高い公園です。

  で、この公園の正体が、旧藤田邸の庭だったわけです。

  「ぎゃらりぃ」でも書いていますが、藤田伝三郎という豪商の邸宅跡なわけです。
  藤田伝三郎は、1841年、今の山口県萩市に生まれ、維新の時には高杉晋作の奇兵隊員
だったそうです。維新後は、大阪で軍靴製造をはじめ、「藤田伝三郎商社」を設立、その後、
「藤田組」と改称して、主に鉱業を中心として財閥と発展していったそうです。
  ちなみに、先ほど「高麗橋」のやぐら屋敷をご紹介しましたが、あのやぐら屋敷は南側のも
ので、実は北側にも、もうひとつやぐら屋敷がありました。その北側のやぐら屋敷跡に、「藤田
組」の居所があったと言われています。
  とにかく、こんなきれいな公園があったなんてちっとも知りませんでした。大阪には、まだま
だ隠れた名所があるのです。やっぱテクテク歩くのが一番ですねえ。


○造幣局

  その藤田邸跡公園から大川をはさんで見えるのが「造幣局」です。
  木々に囲まれて見えなくなっています。う〜ん、よくわかんないなあ。

  このあたりから上流に目を向けますと、桜宮橋があります。

  この桜宮橋のさらに上流に、かつて澱川橋がありました。


○澱川橋(よどがわばし)



  澱川橋は、明治35年に架けられました。その後、昭和5年頃、桜宮橋架橋に伴ってと思わ
れますが、撤去されました。この周辺をウロウロしましたが、現在、その痕跡をとどめるものは
ありませんでした。下の写真の左手に少し写っているのが桜宮橋です。



  今回は、これで終わりですが、それにしても「水辺の風景」は、なんと様変わりしてしまった
ことでしょうか。写真を撮っていても楽しくない場所がなんと多いことか… 原因はなんと言って
も「阪神高速」なのです。
  私自身、阪神高速には大変お世話になっていますし、これが無くなれば大阪の流通がえら
いことになるだろうことは容易に想像できるのですが、それにしても景観を台無しにしてしまっ
ています。東京の首都高速と同様、用地買収の点から川の上に高速を走らせたのは、高度経
済成長期にはやむを得なかったのでしょうが…
  便利さと景観は両立が難しいのですねえ。
  行政にお願いします。「水都再生」には是非とも「景観」も併せてご考慮ください。
  


  資料
   「最新 大阪ものしり辞典」創元社編集部編
   「明治大正 大阪百景」野村廣太郎 画、宮本又次 文
   極私的建物探訪HP(http://tsukacci.ld.infoseek.co.jp/index.html)
   大阪市役所HP(http://www.city.osaka.jp/)