大阪水辺の風景

安治川口
  淀川は今でこそ「新淀川」として大阪湾にそそぎ込んでいますが、元は安治川、尻無川、木津川と3本に分流して大阪湾に至っていました。新淀川は明治18年の淀川大洪水以降、淀川が直流するようにと掘削され、明治43年に完成したものだそうですが、旧淀川は現在、毛馬から大川として流れ、堂島川、土佐堀川として中之島を囲み、さらに安治川、木津川に分流し、木津川はさらに尻無川と分流、大阪湾へと流れを保っています。(間違っていたらごめんなさい。なんせこのあたりややこしいのです。一応、資料にはあたりましたが…)

  で、安治川ですが、1648年(徳川家光の時代ですな)、河村瑞賢により開削され、「安けく治むる」というところから命名されたそうです。しかし「瑞賢」は号で、本名が「安治」であったという事実もあるようで、それなりに自己顕示欲もあったみたいですね、瑞賢さん。

  絵葉書は大正時代の風景です。
  安治川口は当時、「安治川大湊」として大変に賑わっていたようです。絵葉書の構図は、種々の資料から手前側が南岸であり、対岸が、おそらく現在、中央卸売市場のある場所であると考えられます。


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