近江八景ぶらぶら探索
俵藤太はとっても強いぞ





新たなテーマとして「近江八景」に挑戦します。
近江八景は、「ぎゃらりぃ」でもご紹介しましたが、琵琶湖の南(ほとんどが大津市)に集中して
いる風光明媚 なスポットです。(正しくは「だった」ですが、その辺はおいおいに)。
この八景を「時をかけるおとら」にとりあげようと思ったのは、比叡山から琵琶湖を眺めた時で
した。眼下に広 がる琵琶湖。そこに点在する八景。その「今の姿」を調べたいと思ったのでし
た。
対象は八個所あります。実はこの稿を書いている現在でもそのすべてをまわりきれていないの
です。ですから
 何回かに分けて取材をし、ご紹介していくことにいたします。

  まず向かったのが、大津市立歴史博物です。ここには歌川広重の近江八景があります。ビジュアルで八景を紹介する元祖、と言ってもいいような、その浮世絵を八枚まとめて見ることができるのです。ここで得た予備知識は「ぎゃらりぃ」の中でご紹介しております。見てね。

   この博物館では、その他大津に関わる歴史が数多く網羅されております。有名なところでは天智天皇の大津京や明智光秀の時代の坂本城。明治時代の大津事件などなど、わかりやすく展示されています。

   さらに近在の伝説なども紹介されていて、たいへんに勉強になりました。実は後でご紹介する三井寺や瀬田の唐橋なんかに伝わる伝説も、ここで仕入れたものなのです。

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  この博物館のすぐそばに三井寺があります。


  正しくは「園城寺(おんじょうじ)」といいます。天智、弘文、天武天皇の勅願により建立とさ
れています。「三井寺」と呼ばれる由縁は、天智、天武、持統天皇の産湯に用いられた霊泉が
あり「御井(みい)の寺」と呼ばれていたことに発するそうです。

  ところでこの三井寺。やたらに広いのです。それだけに見どころは豊富にあります。

「仁王門」と「三重塔」。どちらも重要文化財です。

「弁慶の引摺り鐘」。

  この鐘にはおもしろい伝説が伝わってい
ます。
  元々は藤原秀郷が三上山の百足退治の
お礼に竜宮から持ち帰った鐘なんだそうです
が(この辺の話は「瀬田の唐橋」のところでご
紹介します)、延暦寺との争いで弁慶(あの義
経の家来の)が奪って比叡山へ引き摺りあげ
ていったそうです。(弁慶は比叡山の僧であ
ったという説があります。あんまり信憑性はな
いようですが)
  さて、そこでこの鐘を撞いてみたところ『イ
ノー・イノー』と響いたのだそうです。これは
『イノー(去のう)』 関西弁で「帰りたい」という
意味ですが、弁慶、これに怒って『そんなに
三井寺に帰りたいのか!』と鐘を谷底に投げ
捨ててしまったのです。乱暴ですねえ。実際、
この鐘はかなりボコボコです。
  弁慶がそうしたというのが事実かどうかは
わかりませんが、大体、三井寺も比叡山も天
台宗で、昔から天台座主の座を巡って悶着
がよく起こり武力衝突もあったようです。優勢
に立った比叡山が鐘を戦利品として持ち帰っ
たというのは充分考えられます。そしてそこで
ボコボコにされたのかもしれません。可哀想
な鐘です。

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  で、本題の「三井の晩鐘」です。

  夕暮れの里に響く鐘の音は視覚と聴覚に訴える美しい景色です。事実、三井寺の鐘は「日
本の音百選」にも選ばれているほどの名鐘なのです。八景のひとつとしてふさわしいものに違
いありません。
  念のために言っておきますが、この鐘と「弁慶の引摺り鐘」とはまったく別ものです。