消えた金融機関 in OSAKA
バブル経済崩壊後、1995年頃より日本全国でも、大阪でも金融機関の経営破綻や合併が相次ぎました。
失われた20年を経た近年も、経営破綻こそなくなりましたが、合併や経営統合が続いています。
このページでは、経営破綻や合併によって消えた、大阪にあった銀行、信金、信組等の金融機関を、写真、封筒、新聞切り抜きなどで振り返ります。
経営破綻で消えた金融機関
- 北海道拓殖銀行
都銀では唯一、多額の不良資産を抱えて1997年11月17日に経営破綻しました。
この写真は、かつて御堂筋沿いにあった北海道拓殖銀行(たくぎん)大阪支店の写真で、経営破綻当日の1997年11月17日に撮影しました。
1997年当時、イメージキャラクターには渡辺満里奈さんを起用していました。


- 山一證券
山一證券は、かつて四大証券会社の一角を占めていましたが、損失補填による不正会計事件発覚後、1997年11月24日に自主廃業を発表し、その後2005年に解散しました。
なんば駅の近くにあった、山一證券の支店の写真です。1997年11月29日に撮影したものです。

- なみはや銀行
なみはや銀行は、なにわ銀行(旧:大阪相互銀行)と福徳銀行(旧:福徳相互銀行)が1998年10月に合併してできた銀行です。
その後、1999年8月に経営破綻し、2001年2月に大和銀行・近畿大阪銀行に営業譲渡されました。
この写真は、堺筋の堺筋周防町交差点の北西角にあった「なみはや銀行本店営業部」の建物で、2000年4月12日に撮影したものです。


- 東洋信用金庫
東洋信用金庫(とうしん)は、かつて大阪府内に30店舗を持つ信用金庫でしたが、ある料亭の女将による架空預金証書事件のあおりを受けて経営破綻し、1992年9月末をもって営業を終了しました。

1992年9月30日_朝日新聞夕刊

東洋信用金庫 封筒/営業譲渡のお知らせ
- 木津信用組合
木津信用組合(きづしん)は、信用組合でありながら高い金利で多くの預金を集めていましたが、無理な拡大路線がたたって1995年8月に経営破綻しました。
イメージキャラクターには西村知美さんを起用しており、ポスター・チラシだけでなく、テレビCMや預金通帳・キャッシュカードなどにも使用されていました。

1995年8月30日_朝日新聞夕刊

きづしん 通帳・キャッシュカード
- 幸福銀行
幸福銀行(もと幸福相互銀行)は、金融監督庁の立入検査による問題債権の多さの指摘をきっかけに、1999年5月21日に経営破綻しました。
その後、2001年2月に関西さわやか銀行に営業譲渡し、2004年2月に関西銀行と合併して関西アーバン銀行になりました。
さらに2019年4月に関西アーバン銀行は近畿大阪銀行と合併して、現在は、関西みらい銀行となっています。

幸福銀行本店(1999年6月)

幸福銀行阿倍野支店(1999年11月)
合併で名前が消えた金融機関
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