No42


<逆風満帆 >
  
作曲家・ピアニスト西村由紀江 
「なぜ私がこんな目に」
上<朝日新聞掲載より>

「逆風満帆」とは、まさに「順風満帆」の逆。
文化人やスポーツ選手などが、これまでいかに逆風を乗り越えてきたかを語る記事。3回シリーズ。

西村の記事は、4月5日(土)から毎週土曜日に掲載(4月5日、12日、19日。掲載日は他のニュースなどによって変更の可能性あり)
彼女の生い立ちや、音楽活動の中での苦労話などが、ストレートに語られているという・・・。
内容は省略ありですが以下・・・。

3歳からヤマハ音楽教室に通い、約20年間在籍した財団法人ヤマハ振興会の専属アーティストでいられなくなった。絶望感に打ちひしがれた。
昨年初めより振興会はコンサート費用やCD製作費が過大だとコスト削減を求めとことから、折り合いが付かなくなった。
由紀江の才能は、ヤマハ「中興の祖」と言われ、振興会を設立した川上源一に見出された。
少女期に海外の演奏会にも送り出してもらうが、
その川上氏が亡くなり、02年7月に浜松市で営まれたわれた「ヤマハグループお別れの会」では、中島みゆきととも献奏してもいる。




ピアニストとして育ててくれた振興会からの「リストラ宣言」と受け止め、混乱した。

移動や宿泊、演出、衣装、集客、宣伝などコンサートツアーに必要な業務は、振興会が仕切ってきた。
今後は一人で背負わなければならない。
ツアーを断念すれば、大事にしてきたファンを裏切ることにもなる。不安に襲われ、コンサートが近づくにつれて食事ものどを通らなくなり、ストレスで全身に湿疹ができ、手のひらの皮がむけ始めた。ピアニストにとっては、演奏への致命傷になりかねないほど、体が変調をきたしていた。

♪5日付けの掲載はここまでで、何ともあまりの貧相?な内容に驚いた。
40歳音楽界の勝ち組が始めて味わう挫折感?
同情するよりも、世間を知らな過ぎ。冷たい仕打ちと思いますが会社というのはこんなもんです!
コンサートの「赤字」を強調されたことが不本意とおっしゃるが、「当たり前」でしょう。これを「業界の常識」とはバブリーな時代を引きずってるのでは?

この厳し〜い時代をご存知でない??
不本意なこととお思いなら、そのエネルギーを音楽で表現してほしい。
ほんわかしたメロディーから激しい怒りのメッセージ
に変えるべきでは?!(^^♪       4/6日

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