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<JAZZが好きになる大特集>〜2
セルジオ・メンデスは1941年に、ブラジルのニテロイに生まれている。子供のころからピアノを学び、ボサノヴァの誕生を一番多感な時期に体験。ボサノヴァの存在を一躍米国〜世界に知らしめた、62年NYカーネギー・ホールで行われたベラジル人ボサノヴァ・アーティストを紹介する大イヴェントにも、彼は出演している。
世界に羽ばたく、私の考えるブラジリアン・ポップを! 64年に、ついにメンデスは大志を持ってアメリカのLAに渡り、女性ヴォーカルをフィーチャアした洗練表現を大々的に問うことになる。セルジオ・メンデス&ブラジル66として、彼はハーブ・アルパート率いるA&Mレコードと契約、「マシュ・ケ・ナダ」も含むそのデビュー作は全米ヒットし、彼の存在を広く知らしめるのだ。
ブラジリアン・ミュージック/ボサノヴァの滋味が下敷きになった、自由自在の洒脱折衷型ポップ。こんなにも自由で、エキゾで、天衣無縫で、ウキウキさせるポップ表現があったなんて…。
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彼のグループ名は時の流れとともにブラジル66からブラジル77、ブラジル88と改名されたが、そんなことにも表れているように、彼は時代時代の音楽的流行や情緒をしなやかに受けとめながら、“メンデス印”と言うしかない音を送り続けている。
これまでに、彼らが発表したアルバム数は30枚近くを数えを迎える。
そんな彼となにかと関係を持ち続けている人が、かのスティーヴィ・ワンダーだ。メンデスはワンダーの曲を度々カヴァーしているが、スティーヴィは「リアル・シング」などの曲を彼に与えたこともあった。また、逆にワンダーはメンデスにポルトガル語の歌詞をお願いしたことも。そのワンダーをはじめ、EW&Fらは曲によっては美味しいブラジリアン・フレイヴァーを感じさせるが、それは間違いなくメンデスからインスピレーションを得たもの。さらに、70年前後のソフト・ロックへの影響をメンデス表現は指摘される場合もあるし、闊達なLAフュージョンに及ぼした影響も見逃せない。
メンデスの前にはブラジルをはじめとする豊かな音楽がありき。そして、それを独自の感覚で他の要素を重ねつつ化学反応させたメンデス表現の後にはイカしたコンテンポラリー・ポップの数々があるのだ。
06年、セルジオ・メンデスはブラジル66を組み、デビュー・アルバムを出して40周年を迎える。
(文:佐藤英輔)
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