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古楽とは何か〜言語としての音楽
<ニコラウス・アーノンクール>音楽の友社
「古楽とは何か」というアーノンクールの著書を読み、昨年京都での講演メモと照らし合わせ、理解に努めています。
そこで、古楽を学ぶことで何が変わるのかと、改めて感じたことを、抜粋します。
まず、第一章 音楽と解釈への基本的考察より
1.音楽と人生の中で、
「中世からフランス革命に至るまで、音楽は文化や
人生の大黒柱の一つだった。音楽を理解することは一般教養に属していた。今日では量的にははるかに多くの音楽を所有していながら、ちっぽけな装飾にすぎないという、矛盾に満ちた状況が生じている。我々現代人は快適な生活の為に、人生のアイデンティティを放棄している。」
「音楽は言葉で言い表せぬものの、生きた言語であり同時代人によってのみ、理解され得た。」
「ただ、美しいだけの音楽は存在しなかった。
装飾としての音楽はまず第一に<美しく>
あらねばならない。灰色の日常から癒される為の
美しさだけを欲することとなる。 |
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しかし、例えばモンテベルディ、バッハ、モーツァルト
の音楽の力とメッセージに、こうした音楽の理解を深めて努力すれば、美しさをはるかに超えて、その言語の多様性によって、いかに我々を驚嘆させ、心騒がせるか・・・。
われわれの時代をこれほど非調和的で恐ろしいものにしている多くは、芸術がもはや人生に食い込んでないことと関係してはいないだろうか。
恥ずかしいほど想像力に乏しい形で、言葉のみに
限定しているのではないだろうか。
もしアインシュタインがヴァイオリンを弾かなかったら、何を考え、何を発見しただろうか。
大胆でファンタジーにあふれた仮説こそ、ファンタジー豊かな精神のみが到達できるもので、それを後から論理的に証明するものではなかろうか。
音楽において皆が分るということは、音楽が幼稚なものに身を落とすか、皆が音楽の言語を学ぶ場合しかありえない。
われわれはみな音楽を必要としている。
音楽なしに生きていくことは出来ないのである。
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