ひとこと
「Psychedelic Pill」やっとLPで聴いた。 字が小さすぎて老眼ではまるで読めないCDサイズの豆本ブックレットが放り込まれてたが、 そこには「信号経路:A-A-A 録りはユニバーサル・オーディオの真空管コンソールとニーヴな、ほんでテレコはステューダー、 2インチ8トラック・アナログ・テープからアンペックスのハーフ・インチ・2トラック・アナログ・テープに落とした、 ええ音やろ?」と誇らしげに自慢してあるではないか! ステューダーの2インチはわかるが「8トラック」? そんな化け物マシンが存在していたこと自体があな恐ろしや。 カラメル風味のディストーテッド・ギター弾き倒しも愛らしく、 あくまでふんわりとしたボトムの重低域がなんとも香ばしい。 内容はといえば「ズマ」にならぶ傑作、というのはいくら何でも勇み足かな。 どこまでも大味なジャケデザインと併せて音の質感としてズマ辺りを意識した、というのはあったかも知れない。 達人による豪快な一筆書き、といったところか。 一筆なのに27分とか16分かかる、というのもなかなかクドくてよろしい。 Are you passionate?
つい思い出す「イエス・ソングス」と同じ体裁の見開き3枚組 |
「美代子阿佐ヶ谷気分」という2009年の映画が、
マヘル・シャラル・ハシュ・バズのオルグ盤の3枚組「Return Visit to Rock
Mass」から、 複数の楽曲(3曲)をオルグには一切連絡なく無断で原盤の二次使用をしていた事実を、
公開から3年も経過した先月になって、情けないことに偶然ツタヤのレンタルDVDで知る。
たとえば、これが |
このディレクションは意図的にやったもの。 斯界の権威をもってしても説明されるまで決して気づきはしなかった、 とは、あながち皮肉な話よのう、という訳でもなかった、 というのがウチの音楽を象徴するような、わたしだけの逸話であった。
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L : Nagisa Ni Te/The
True World (1999)
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この世で一番キレイなものです。
とファンの方から先日教えられたのが、ニール・ヤング&クレイジーホースのごく最近のライブの様子。 こ
こ
もう一回言うとくけどナ、 |
その2は「Slapp Happy/Sort Of」。 その流れでいくとやっぱりコレが出てこざるをえない。
ホントは3枚目「Reed Witsle And Sticks」が最強マヌケの実践
(名目はケージ理論チャンス・オペレーションのスタジオに於ける実践)
だったんだが、プロモ盤作った時点であえなくボツ。
ま、アレはちょっとな。無名のインテリ兄ちゃんがメジャーからリリースするにはあまりにも挑発的すぎた。
「......コレ何の音や? 床に不燃物ゴミばらまいて上から竹の棒を落としてる様子?
ずーっとコレか?...コイツ確か前のLPで両面ドレミファの反復だけやっとった奴やないか!
アレ何枚売れた思とんのや!今度のはもっとヒドいやないか!
何でも出してもらえる思とったら大間違いじゃコラ!こんなんボツやボツ!」
...というような感じでさすがのドイツ・ポリドールの太っ腹ディレクターも堪忍袋の尾が切れたのであろう。
このヒトの場合、ウーヴェ・ネッテルベックと組んで作ったレコードはすべてMNKリスト入り決定なんだが、
それはおいおいやっていくとして今回はコレ。このMNK盤がデビュー作とは恐るべし。
以前、この「ミニマル・ミュージックというにはあまりに微温的でアカデミックな雰囲気を揶揄するような感触」が
「ミニアチュール的にマヌケ」と指摘した自分であるが、リスト選出にあたって若干言い換えるとすれば、
サロンの会話のペダンチックなムードを一方では見下しているんだけど、
実はどこか親しみを感じて嫌じゃないので自分でもミニマルでやってみたが、
やっぱりちょっと恥ずかしくて成りきれない半端なインテリ青年の夢想がシースルー、といった気分か。
ZNRなんかモロ影響うけてそうな感じ。でもコレはあいつらほど気取っていないし、
オレ好みの夢想音楽としてとてもきれい。
コーティングなしの薄紙ジャケ |
その1 : ジョンとヨーコ John and Yoko/Two Virgins
世界最大級のマヌケ。フェロモン・ジャケを鼻でせせら笑う極北のレコード。
やっぱり最初にやった人はエラいという見本。
紙袋入りとはいえジョン・レノンのフルChinとワケのわからんジャップ女の前貼り無しやで?
これほどまでに内容よりも装幀自体に存在意義のあるレコードもめずらしい。
この無修正の代物が昭和43年に正規発売、一応メジャー流通(EMIと米キャピトルは配給拒否)だからね。
過激ジャケで名を馳せたファウストにも、
フラワーズで全裸ジャケにこだわった"幻視者"ユーヤ・ウチダでさえも達し得なかった偉業である。
発売を押し切った当人のモチベーションもマヌケ。今までも将来も世界の誰もがこれを真似ることは不可能。
ていうか世界の誰も真似ようと思わない。アビー・ロードの真逆やな。
ロイ・ハーパーがこれを皮肉った(ようにも見える)MNKオナニー・ジャケをやったが、
肝心の箇所が黒マルだったため失格(そこがいいかも)。
ポール・マッカートニーは本作をあからさまに嫌悪していたそうだが、そりゃま無理もなかろうて。
これをマヌケの始祖鳥と讃える。ただしクギを刺しておくが、あくまでも真剣勝負でやってる点、ここが重要。
いくら世界のビートル・ジョンとておちゃらけ気分では商品化できなかった。また、あくまで内容は楽しい。
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トラフィック。 ここの場合はですね、 どう鑑みても、あきらかにクリス・ウッドのジャズ色皆無なフルート&サックスがMNK感を一身に背負っていた、 といえよう。スティーヴ・ウインウッドは彼を必要としていた。 バンドが技巧的にソツのないヤツばかりで固まると、 クソ退屈なブラインド・フェイスになってしまうことを身をもって学習したウインウッドが、 改めてクリス・ウッドを召集したのは必然であり正解だった。 それが結果的にジョン・バーレイコンだったわけで。あれも相当にMNKな出来映えだったが、 あのアクション・ペインティング風の荒削り感をていねいに剪定して大人っぽく仕上げたコレは、 背景が落ち着いた分、逆にクリス・ウッドのオツな味が際立つ逸品となった。 この滋味溢れる地味なレコードが当時(71年か...)全米チャート4位というのはちょっと信じられないね。 アメリカにもいい時代があったんだな......。
この落ち着かない六角ジャケもマヌケで楽しかった |
この何ヶ月か、マジで毎日聴いているのがキティ、デイジー&ルイス。 というかうちの娘たちがナ。狂っとるんですわ。マジキティ....毎日毎日。 YouTubeもいっかい見せろ聴かせろともうウルサいことといったら...イヤもうかないまへんわ子供には。 などとボヤキつつエンジョイしてるオレ。 キャンド・ヒートのカバーとかネオロカっぽい音から最初てっきり米国産かと思っていたら、 実はイングランドはロンドンっ子、ウッベ弾いてるお母さんは元レインコーツ? ということでオレ的にも俄然興味が。 でもって調べたら、サイドギターと録音担当のお父さんは元アイランド・レコードのマスタリング・エンジニアで、 古いマイクやヴィンテージ・テレコの収集家。当然ながらそれらを駆使したフル・アナログ・レコーディング。 つまりコンピュータ排除アナログ至上主義者だった! CDの解説には録音に使用したマイク、テレコ、カッティング・レースの型番まで逐一自慢げに列挙してある。 オーマイガッ!こりゃもう渚にての同志、英語でいうたらブラザーズ&シスターズやんか。 僕と共鳴せえへんか?(by 織田作之助 not 町田) しかしこの人たち、カッティングまでマスターをA/D変換しないLPはもちろんのこと、 あろうことか78回転(!)の12インチまで出してる。 もう降参ですわ。 演奏楽曲にもあなどれないセンスの鋭さとオレのいっとう大事にしてる「マヌケ感」がちゃんとある。 先週見つけたライブ動画ではデイジーが新聞紙丸めたのでスネアをぶっ叩いてたけど、 そういうのがネタじゃなくあくまで真剣勝負でやってるのが肝心なところで、 彼等すごく素敵だな、いいな、と思います。
うちの子らにもやらせるか... |
ロビー・ロバートソンが臨終間際のリヴォン・ヘルムと面会を果たしていた、というのはやるせない話だった。 その卓越したソング・ライティング/ストーリーテラーの才能の一環として巧みな自己演出を怠らない(であろう) ロバートソンの発言は言葉通りに受け止められない場合も多いと思うのだが 「彼は自分にとって兄のような存在だった」というのは真意だろう。 いずれにしても巨星墜つ、である。わたしごとき若輩者が語れるものは、ない。 汎アメリカ音楽の生き聖人はアーカンソーの土へと帰っていった。
過ぎてみればあっという間じゃ 誰でも皆そうなんじゃ |
昔からタイトル「Sort Of」の意味がよくわからないままだった。 (I'm) sort of slapp happyととれば「すっごい恍惚...まあ、ね」という感じかな? そう考えると冒頭Just a Conversationのやたら眩い曲想(のくせにやたら救いのない歌詞がミソ)につながってくる。 そう、32年前レコメンの偉業といってもいい再発盤で聴いてぶっ飛ばされた衝撃は今もって薄れない。 コレと「Out」は心の神棚に祀ってある。ドラムが主役だねコレも。 この天衣無縫にして緻密、豪放磊落にして繊細なドラムが、このレコードの心髄に位置している。 というか、そもそも最初からそういう方向で制作されている。 この点からすると、やっぱりウーヴェ・ネッテルベックという謎のプロデューサーが曲者だったんだろうな、 スラップ・ハッピーにとってもファウストにとっても。 Virgin盤以降のスラップ・ハッピーと復活ファウストからは、ある種のSensitivity、オレ流にいうと 「マヌケ感」が決定的に欠落していた。 なぜなら、それはもともとウーヴェ・ネッテルベックのインプットでありパーソナリティであったからではないか、 と見当をつけている。このウーヴェさんの監修は、ミニアチュール的なマヌケ感に満ちた作風が特徴的だ。 ファウストIVの五線譜ジャケなんかその最たるものだし、アンソニー・ムーアの「Pieces from the Cloudland Ballroom」 (すごくいいんだよなコレも) のミニマル・ミュージックというにはあまりに微温的でアカデミックな雰囲気を揶揄するような感触もまた、 ミニアチュール的にマヌケだ。 当然そんなのまるで売れなかったから、ドイツ・ポリドールからの「いい加減もっと売れ線のレコードを作れ!」 というオーダーに応えるべくポップ音楽にトライして作ってみたのが、 これまた更に輪をかけたようにマヌケ感の横溢する売れない代物だった。 だからこの「Sort Of」は世界最高水準をいくマヌケ・レコードなのだ。
世界の中心で、マヌケをさけぶ |
これほどのクオリティーにもかかわらず永遠に出涸らし扱いされるレコードもめずらしいよな、 生ギターとメロトロンのポセイドン。 初めて聴いた時の失望感は40年を隔てた今、捨てがたい味わいへと変異している。つまるところクリムゾン最初の4枚とは、ピート・シンフィールドの脳内 ファンタジー・ワールドの見本市だった。 宮殿の主役は音楽ではなく言語であり、 世界最高水準のバンドはあくまでシンフィールド王の詠唱に奉仕するための存在だった。 とくに参謀長イアン・マクドナルドを欠いたポセイドンではその傾向が顕著である。 だが3枚目『リザード』から側近フリップの自我がめざめ、 徐々にインストゥルメント主体による楽曲構成にシフト。 そして迎えた1971年クリスマス、株主総会抜きでのシンフィールドへの解雇通知は謀反であり、 音楽による言語への武装蜂起でもあった。それはまた必然であり健全な判断であった、とも言えよう。 専制はつねに腐敗を呼ぶからである。 崩壊直前の最終曲「アイランズ」ではその萌芽が匂うが、 さすがに英国人らしく配慮ある寸止めであった。今となっては、すべてがいとおしい瞬間である。
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役員会の力関係は確かにこういう並びだった
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「アウトバーン」は要するにピンク・フロイド「On The Run」のゲルマン的誇大解釈だった、 ってことはいうまでもないよな。わかるよその気持ち。 オレだって『狂気』初めて聴いた時いちばんゾクゾクして鳥肌立ったの「走り回って」だったもん。 さて、一応ライセンス済みメジャー発売ながらどうみてもバンド側は認知していないであろう75年のライブ盤。 コレがマヌケ感(オレのいうところの音楽の旨味成分のコトね)炸裂でスゴくイイ!ライン録りで音質もイイ。 で、冒頭からシュワシュワとフェイザーかけっぱなしみたいなヘンな音が。 それが曲間でもず〜っと鳴ってるのがマヌケだ。もっさりしたMCもまたマヌケ感に溢れている。 ウケ狙いのつもりなのかオビに「えっ?」とあるところまでマヌケだ。 しかし肝心の演奏はといえば、コレがまた最高。 実質的には大好きな「ラルフ&フローリアン」の延長上なんだよね。 原始的なシーケンサーはちょこっと出てくるものの基本のリズムは人力のエレクトリック・ドラムで、 微妙に早くなったり遅くなったりするのが人間らしくてたいへんよろしい。 全体的にヴィブラフォンとシンセとFarfisaのエレピの音色が心地よい、手作り感覚ののんびりしたムード。 途中からフリーフォームな展開に雪崩れこむパターンは、ハルモニアに通じる味わいがあってたいへんよろしい。
ジャケットデザインは日本人の手によるものだそうでなかなかカッコいいが |
Einmal drauf und einmal drunter, Immer wieder hin und her, Kreuz und quer, mal leicht, mal schwer. Immer wieder rauf und runter, Einmal drauf und einmal drunter. 幾度も上へ、下へ 時には頂きへ、時には真下へと 幾度も後ろへ、前へ 時にはたやすく、時にははげしく行き交う 何度でも上へ、下へ 時には頂きへ、時には真下へと 1975年プログレッシヴ・ロック終焉期の終止符としてジャーマン・ロックが生み出した輝かしい果実。 「世界で最も重要なロック・グループ」(誰が言ったのか?イーノ?)とは、 あながち誇大な表現ではない。 あまたのアンビエント/テクノ/ハウスはパソコンのOSとおなじように経年と共に古びていくだけだろうが、 75年のDeluxeがいまだに新鮮な響きを保っているのは驚異的だ。 黒人音楽に準拠しないEUロックとしての矜持を示しながら、 なおかつEU圏にありがちなヒッピー・コミューン的世界観からさえも隔絶したリアル楽園的最終作。 このニュートラルな空気感、みずみずしい光の粒子感は彼等だけが達し得た境地だ。 これを聴いているとおなじ75年の「Another Green World」がやけに小賢しい模倣犯のこしらえた箱庭に思えてくる。
「摩訶不思議」の方は06年のひとこと参照 |
是非コレ見てみてください!とファンの方から先日教えられたのがニール・ヤングのホーム・スタジオの機材の様子。
待ちすぎた僕はとても疲れてしまった |
新年にふさわしいジャケで再登場。 デラックス・エディションって無駄なてんこ盛り感がキライなんだが、んなもん出すんやったらコレしかないやろが! さて終着の浜辺から何処へ行く?
「摩訶不思議」の方もよろしくナ |
2011年のひとこと→ こちら 2009年のひとこと→ こちら
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