ひとこと
また出た山本くんソロ。 去年の「プレイグラウンド」はジャケの印象そのままで、 誰もいなくなった夕闇の砂場で一人佇んでいるかのような寂寥感、 に向き合うのがつらくなってくるような内容だった。 いや全然悪くはなかったけどさ。でも今度のは普通にいい。 フラット唱法15年、山本節もやっと板についてきたな。 というか、山本くんの最大の特徴、時として魅力の一部でさえあった「不自然さ」成分が今までで一番少ない。 歌にしてもギターにしても技巧的になることを恐れていない。 そういう意味では僕がもっとも評価している「クラウン・オブ・ファジー・グルーヴ」に近い。 例えるなら、ポール・マッカートニー「アナザー・デイ」「アンクル・アルバート」のミルク・ティー的叙情に、 ハネ気味の16ビート(瞬間的にスティーリー・ダンを連想させる箇所アリ) をからませてサスティーンを効かせたロングトーンのギター(瞬間的にラリー・カールトンを連想させる箇所アリ) をあしらってみたらこないなったで、どや!という音楽。 いや、どや!はないけどナ。 こう書くと木に竹を継いだようだが、実際には無理なく聞けるからこれはこれでたいしたもの。おおきに。
歌詞はあいかわらず否定形のオンパレードだが |
坂本くん期待の初ソロ。予想通り会心の出来映え。 今までは余計な何かが重い足枷になってる感じ、が時としてどこか辛そうな印象だった。 「しびれ〜」の頃とか。でも今度のはいいよな、フツーに素直で。 こんなにも自由に音楽ができるヒトだった。 いうなれば大瀧詠一の1stみたいな全方位的にとっちらかった音楽で、その拡散感が心地いい。 あげくのはては山本コータロー「岬めぐり」みたいな白々しく爽やかなジャップ・フォークまで。 スプートニクスか?いやむしろドゥルッティ・コラムなのか? みたいな明るいギターの音色、あからさまにシンガーズ・スリーのコーラス隊もイイ。 「等身大です」面出しジャケも込みで、 とりあえず過去の禁則事項を一通りやってみたんだな。今後への期待がいっそう深まる。
ひとりでできるもん! |
ヘヴィー・スモーカー。自己評価が低くプレッシャーに弱いひとだったという。 スタジオでしりごみする彼女をはげまし勇気づけてやるのが自分の仕事だった、 とフェアポート時代のプロデューサー、ジョー・ボイドはいう。 直後の不幸を暗示させるかのような遺作「ランデヴー」の暗鬱なジャケットと荒れた歌声からすると、 その4年前の「Like An Old Fasihoned Waltz」には、 ジャケットの印象そのままに淡く彩色された儚い幸福感が宿っている。 しかし、もはやトラッドではなくファッツ・ウォーラーを楽しげに歌う時であってもその歌声にはかならず、 わずかに、だがはっきりとわかる擦れが含まれている。 その微細な擦れは、ある種の喪失感のようなものの裏打ちのように思えてならない。 それが彼女の音楽に底知れない深みを変成させていたのではなかったか。つよい光が生む影の濃さのように。 結局それがいったい何だったのか、いまでは知る由もないが。
She just went solo |
この...茫洋たる空漠感、この...半覚醒の音の成層圏...は依然として抗いがたい磁力を放つ。 そのフレーズ以外にありえない固有の部分だけを弾くリー・アンダーウッドのギターが気絶するほど悩ましい。 濡れたストリングスのあしらいもしっとりと美しい1966年産の逸品。 もうどうにでもしてくれたまえ。 この盤についてはモノラルよりステレオの方がしっくりくるように思うがデラックス・エディションなんかいらんやろ? コレ。 そういえば遠いむかし、京都市左京区は錦林車庫前にあったアパートで交わした、 サントリー・ジンを飲みながらの与太話「からっぽの世界」は「Song Slowly Song」が元ネタだ、 と看破していた高山謙一君は慧眼だったと、いまさらながらにして思う。
男の服飾 MEN'S CLUB |
「からっぽ〜」つながりで思い出した。この早川のジャケットのディレクション、まさか偶然とは言わせないぜ。 パロディー?にしてはタイトルが自信過剰だし諧謔味が感じられない。 同じ会社だし購買層も同じ団塊世代だし「和製レナード・コーエン」てことで、 チョコッと変えときゃまあいいんじゃないスか? てな感じで軽くやっちゃったんだろうね。 指とグラサン、いかにも余計だよね。でもやっぱりこうゆうのって...... みっともないと思うんだオレ。これじゃ歌は聴こえてこない。
L : Leonard
Cohen/Various Positions(1984) |
その昔。廃盤レコの買い付けで毎年USへ行く石原くんが、 テキサスのレコード・フェアで無心にエサ箱を漁るトム・ヴァーラインを目撃したことがあるそうだ。 いろいろとマメに聞いてそうだね、このヒト。アンサンブルの作法がとにかくきっちりしていたのが彼等の身上だった。 いわゆるパンクとは真逆で構築美が自己目的化していた。 ドラムのフィル・インからギター・ソロの作文まで。 いちいち神経質に作り込んであったから、やってて疲れるバンドだったと思う。 そりゃリチャード・ヘルみたいな口ばっかりで指定通りに弾けないDQNは、 最初の時点でイジメられたあげくクビになるわな。 マーキー・ムーンはアレなんだよやっぱり誰だって1stアルバムっていうのはそれまでの10年間の蓄積の放出だから、 どうしたって濃くなるワケだよ。VUとかスーサイドとかジョージ・ハリソンとかな。 コレは78年だったか、はじめて聴いたときのな〜んともいえない虚脱感がいまだに忘れられず、 たまに無性に聴きたくなる。最初聴いた時はよくわからなかったが、 それはどこかポスト・コイタスの甘い悔悟感に通じるものであったことを後年になってから知った。 欲をいえば、もっと突き進んで虚脱しきって、 誰も相手にしないようなカスみたいなサウンドでIIIを作ってから解散してほしかったのだが。 その前に月が満ちてしまったから、という言い訳もなつかしや (そんなコト言ってない、らしいが)。橙に霞む初秋の入り日子らと追う。
赤盤といえばコレ |
あの...78年頃って言われてもさ、こんなコトやってる場合じゃなかったはず...なんだが。 「ふむ。それはいったいどういうコトかな?私にパンク・キッズの格好をしろとでも?」 「い、いえ、手前どもは決してそんなことは...」 悠長なヒトである。悠長なドラム、悠長な調べである。今ならわかる、その気持ち。 ドラムがコロコロと気持ちよく鳴ってて、シンバルがすごくイイ音で録られてる。
でっ、電車で行くんすか!? |
『As Time Goes By 』…『時の過ぎゆくままに』ていう邦題だったのか…。ジュリーかよ! 知らんかった。ここ10年でいちばんよく聴いたフェリーのレコード。 さしずめ、憂歌団をバックに戦前の映画音楽とスタンダードのカヴァーをちょいと小粋に、な? ええやろ?… って済ませるにはあまりにも本気度過剰な歌唱。 各曲オリジナルの出自はよく知らないんだが、メロディーは聞き覚えのあるものばかり。 とにかく初演のニュアンスと空気感を損なわないよう、 最大限の敬意と注意を払っての再演であったであろうことはひしひしと伝わる。 しかしこの、もはや花粉症レベルのこもった鼻声しかもかすれ気味、 それでも唄いたかったオレ55歳フェリー、ここが肝でしょ。 わざわざ喉のコンディションのよくない時を選んで歌入れしてるみたい…だが違うんだろうな。 その点を除外すれば全体的にあんまりひねったり崩したりしてないところが、とってもイイ。 もちろん録音ミックスも極上の生々しさ、アナログで聴くとひしひし泣ける。 身に覚えのある年配者、御同輩には自信をもっておすすめする。
からだの傷ならなおせるけれど 心のいたではいやせはしない 11.6.3. |
11.3.17. |
スカタライツの滋味あふれる演奏をジャマイカのコニー・プランク、キング・タビーがミックスした名盤中の名盤。 タビーはけっこうムラがあって、 やる気のときのミックスとそうでない時のミックスとのギャップが激しいんだよな (やる気がない時はミュート/スイッチングと必殺ディレイゴースト返しの頻度があっけなく減るのですぐにわかる。 わかりやすいヒトである)。 だがコレは極上のガンジャきめてたのか全編やる気マンマン。世界で一番スゴいレコード。 いっかいコレかけてみ。空気一変するで。 オリジナルのJigsaw盤はまずめったに出ない激レア盤、サイケでいうと13thフロアのEaster Everywhereモノラル盤とおんなじぐらいレア。 おもしろいことにダブはドイツ人にコアなマニアが多く、 人気のあるオリジナル盤がまれに売りに出ると大抵ドイツ人コレクターがとんでもない値段で落札する。 NEU2ですでにあきらかであったように、ジャーマンとダブは確実にジョイントしている。 2001年にイギリスで再発されたアナログとCDはなかなか良好な音質、まだ安価で手に入るであろうから、 まずはお試しを。
オリジナ ルは白ジャケ Jigsaw JS004 右が再発 Motion FASTLP008 |
新年はコレでキマリ。UK盤とカナダ盤も出てたみたいだけど、 やっぱり74年ジャマイカ盤のオリジナルTotal Sounds TSL 106じゃないと。 まっことやっかいなもんだが13thフロアのEaster Everywhere同様、オリジナルLPにしか生息しない空気感、 がとてつもないレベルなもんだから。もう、コレばっかりはしょうがないんだわ。
手作りの王冠はダテじゃない |