ひとこと
See Me。 1980年京都。寺町通三条下ル、サンボアバーの角を入ってすぐ。
白い壁のちいさな雑居ビル、入り口の灰皿でタバコをもみ消して、狭い階段をあがる。
そこにあったラテン音楽メインの輸入レコード屋、ジャンクショップ。ここで買ったはず。
たしかこの店では、やたら滅法高かった缶入りレコードMetal Boxも、
講義をさぼって吉祥院の陰気な段ボール工場で汗水流して得たバイト代を大枚はたいて買った記憶がある。
神経質そうな店主の毛利さんはじつはラテンが一番好きなのだが、 まめに勉強していたのであろう、
スリッツやジョイ・ディヴィジョンなど流行りのNW系からヤードバーズなど、
今でいうところのルーツ・ロックの定番も欠かさないような品揃えに細かく気を配っていた。 See
Meは当時の友人井上君が先に買ってしきりに自慢していたのがシャクで、 あとでこっそり自分も買ったのだった。
京都に住んでいた頃に買って今も手放せないでいる、 個人史を物語るようなレコードは、もはやコレぐらいである。
冷え込むこの時期になると襟元にマフラーが恋しくなるように… ふと思い出して聴きたくなる一品。 Metal Box?
そんなもんはとっくにありませんがな。 酒はぬる燗で コレはアナログでナ |
コレいいよなあ…。 メンバーの履歴とか細かいコトはよくわかんないんだけど、そんなことどうだっていいぐらいにシブい。 ロック音楽の、ひとつの終着の浜辺がここに。 1971年っていったらよ、団塊オヤジ随喜のゼッペリンでいうと三か四の頃さね…。 当時「ゼッペリン?子供向けの音楽だね。あんなのが売れるからロックが幼稚なものと誤解されるんだ」 と軽蔑をあらわにしていたというイアン・アンダースンの心情はコレ聴いてるとよーわかくる。 別格だよな、マイティ・ベイビー。秋深し。
A Jug Of Love たのむから定年退職を機にバンドはじめないでくれ |
この夏、山崎マゾ君が企画でDJも務めるというライブに出たときのコト。 ウチの長ったらしい演奏が終わって渚にてこだわりのゆるいSEが流れる中、 粛々とステージの後片付けをしていたら…突然ですよ、とつぜん。 SEがフェイド・アウトしたら突然「ラブ・カムズ・イン・スパーツ」が大音量でかかったのであった。 コレにはのけぞりましたねマゾ君。 生演奏と同じぐらいの爆音でPAスピーカーから弾けるロバート・クワインのねちっこいギター。 おもわず「こりゃカッコいい!」と心中で叫んじゃった。 その合いの手に入る(逆か)腰くだけのひ弱な歌声が… これまた耳になじんでいい感じ。ん?この組み合わせはどこかで…。 そう、ロキシー・ミュージックにおけるフィル・マンザネラの左手が微妙に遅れ気味なゴツゴツしたギターと、 ブライアン・フェリーの大げさなビブラート唱法がベスト・マッチングだったのと相似形を描くかのような、 まっこと見事なコンビである。 この人のギターは特徴的にチョーキングがクドい。 そこがとてもいい。 このギターはルー・リードの貫禄を強調するやたら堂々とした歌語りよりも、 捕まった万引き犯の言い訳みたいなリチャード・ヘルのセコいシャウトの方がよく似合う。 なんたって胸はだけて「盗んでねぇって!」いや、You make me__だもんね。 ヘルは読書のしすぎ。でも、それでいいんだ。それで。パンクだから。 元相方ヘルのコメントによると、この人、セックス・ピストルズだのラモーンズだのクラッシュだの、パンク・ ロックは嫌いだったそうで。 でもってフェイヴァリットはマイルス・デイヴィス/ストゥージズ/VUときたもんだから、 その心情、察するにあまりある。 そういや7年前の今時分、 ニューヨークに遊びにいった折、 サブタレニアンという怪しげなレコード屋でいきなりロバート・クワインに出くわしたことがあったっけ。 写真で見たのとおんなじ格好だったよ。たまに聴きたくなるよな。ヴォイドイズ。
花・太陽・雨 |
「あっ!」 ウルサイ!文句あんのやったらここ来てゆーたら? あ、いやいや、コントやってる場合やあらへんがな。 そういえば、あっ!ロキシー・ミュージック。 忘れてたね迂闊にも。やはり避けて通るわけにはいくまい。 はじめて買ったのはコレ。 たしか…鳴り物入りで「日本版PLAYBOY」が発売され大阪南部地方の本屋では即完売、 どっかに売れ残りはないんかい!と悩ましき男子中高生達が小銭を握りしめ奔走していた時分… だったかと記憶しているが。なぜストランデッド。 そりゃなんといってもジャケットがエロっぽいからネ、日本版PLAYBOYのグラビアみたいで… という不埒な動機からではなく、グラムロック華やかなりし頃から洋楽雑誌のグラビアで 「期待のニュースター、ロキシー・ミュージック!グループの人気者はシンセサイザーの魔術師エノ」 などと紹介されているのは知ってはいたが、 いかんせんTレックスやボウイに比べラジオでオンエアされる機会は圧倒的に少なく、 肝心の音は知る由もなかったところ「ブリティッシュの大貫」憲章がどこかの記事で 「ロキシー・ミュージックにはプログレッシヴ・ロック的な側面もある云々」 と書いてたのを見かけたという一件があったから、である。 また、すでにその頃には恒例のピンク・フロイドは少ない小遣いのやりくりに腐心しながら一通り制覇 (『狂気』から長い沈黙を続ける彼等の新作は何と既成の楽器を一切使用しない実験的作品、 なんて怪しげなニュースに心躍らせたことも遥かなる思い出)していたから、 新たな未知のロックに飢えていた時期でもあった。 まあ『カントリー・ライフ』も売っていただろうが、 いかんせんあの陰毛ジャケ、 自意識過剰の高校生が駅前の「ハシガミレコード店」で肩にフケをためたレジのおっさんに差し出すのは、 いかにもはばかられた。 それは、きれいなお姉さんの店員がいる阿倍野筋の旭屋書店で 「平凡パンチ」を購入するよりも羞恥心の克服が要求される、難易度の高い買い物だ…。 いずれにせよ、どきどきしながら針を落とした『ストランデッド』のサウンドは、 たしかにプログレッシヴ・ロック的な音響処理が実に格好よく、 クセのあるボーカルは正直ビブラートを効かせすぎで単にヘタなんではないかと最初感じたものだが、 それでも不思議に繰り返し聴きたくさせる麻薬的な魅力があった。 なぜなら、あの声の過剰な震えはもとより意識的なものであり、 三文芝居がかった歌詞とその虚構性を増幅させる舞台装置としての音響効果… にリアリティを与えるカンフル剤的に配置されたツールだったからである。 なにより1973年というロックがまだ有効だった時期にあって、 自覚的にそのやり方を発見し応用していたブライアン・フェリーはシブい… ということに自分が気づくまでには、なお数年必要だったのだが。 ジム・モリスンやイギーのような旧世界のリード・シンガーとしてではなく、 最高のプレイング・マネージャーとしてチームを効率良くコントロールするということ。 むろんただそれだけなら、 音楽をひたすら平易にならしていって全米の支持を得たジェネシスになってしまうところだが、 ロキシー・ミュージックの場合は音楽が深化する方向、 表現のクオリティそのものを向上させる方へと作用させていった。 その飽和点が「アヴァロン」であり、表現の結果としてのセールスという実績が後からついてきた。 思い描いていた自己の理想を実現させながらなおかつ結果を残す… ヤクルトの知将、古田でさえ達成し得なかったこの偉業こそ、 幾多のプログレッシヴ・ロック・グループが、 サイケデリックのまだその先に見ていたであろう到達点だったとはいえまいか。
俺だけのプレイメイト |
わかってほしくないオレのこと
ひまやの〜 |
イギリスに行ってきた。カンタベリーには行かなかった。 ロンドンの雑踏を泳ぎながら、妙にリラックスしている妻と自分。 午前のパブで、なまぬるいビールにだらしなく顔を赤らめたイギリスの男たちはみんな、 すごく平和そうに笑っている。平和とは退屈なもの。 そんな時はiPodでコレを聴くといい。特に現地で聴くと、もっといい。 かくもイギリス産の音楽とは、思っていたよりずいぶんと土着性の高いものだったのだ…。 ああ、セブン・シスターズのさびれたパブの静けさよ。 「ナイスとEL&Pの中間に位置するグループ」 という説明は強引だったが仕方あるまい |
妻は男のカン高いボーカルを嫌う。 ロバート・プラントなど典型的に。わかる気がするのだ。そういう気分は。 でも、たまにフィジカル〜の2枚目なんか聴きたくなる日がくると、 かるく気をとりなおしてコレを聴くことにしている。 やっぱり気分がとても大切なもの(by冨士夫)…だから。 まあ、1曲目に尽きるのであるが、この盤の場合。 いつもA面で力尽きてしまうあたりが潔く、好きな盤である。 ちょいシブ…やな(NO.2) |
『ブルース・フォー・アラー』の方がレコードとしてはいいンだけど、コレは別格。 コレに入ってる「天国の扉」聴いてごらんよ。 いや〜もう「ノックは無用」ですから!…ってな感じで。 So!ヘヴンもまさにバリアフリー。 このヒトのバヤイ。ゆるいのもここまでくるとキツイ。 しかしこのヒトの歌を聴いてるとロニー・レイン聴きたくなって、 Anymore For Anymore聴いてるとジョージ・ハリソン聴きたくなって、 All Things〜の1枚目聴いてるとちょっと箸休めしたくなってまたコレ聴きたくなってくる… という、魔のゆるゆるトライアングルが完成する。 君は薔薇より美しい |
ああ、すごく、いい。 春の薄い日だまりの中できこえてくるような、この淡色の世界。 そのむかし、ドラムを叩いていた頃の松本隆がSalty Dogとは、 まさに水夫達が恐れ崇める「海の神」の隠語に他ならぬ、 と自著で得意げに解題してみせたことがあったが、 果たしてそれはほんとうだったのだろうか。 でも、もうそんなこと、どっちだっていい。 海を司る神 |
アカン! アカン、っちゅうのに。 コッチの方へ来たら。え?もう遅い?・・・さよか。 最近、芸風が変わったと巷で噂のこのコーナー。ひとつ、お気楽にお付き合いのほどを。 はい今日はコレ。コレか、コレはなあ…。まず表紙がよろしいですナ、 この色合いが。このアルバムのくすんだ音色、その風合い、すべて内容をあらわしておるんですナ。 いやいや、米朝師匠やおまへんで。ナンと申しましても、この飴色…とでもいうんですかなあ、 な〜んともいえまへんな、この味わいは。 ふつうのようで普通でない、実はかなりの変態性音楽。 その意匠は、超時代的な骨董品の黒光りを連想させる音色設定によってレコード盤へと注意深く埋め込まれた。 その成果は、すでにこの3枚目で頂点に達している。 突出するのではなく、保護色の闇に身を引いて耳目を集めること。 それがバンドとしてのザ・バンドの方法であった。 同時にそれは、彼等の同期生であるジミ・ヘンドリクスの大音量フィードバックや、 ジム・モリスンのインテリ露悪趣味などに対する、屈折したアンチ・テーゼでもあった。 誰もが競い合ってアンプのボリュームを上げた時代に、彼等はボリュームを絞った。 しかも慎重に。その成果が「ステージ・フライト」と名付けられるとは、なんとも皮肉なことである。 だがいずれにしてもこの頃、若さと野心に裏付けられた意識的な音楽の数々は、 いかにも痩せていて美しかった。 13thフロア・エレベーターズでいうとブル・オブ・ザ・ウッズ 酒は冷やで コレは紙ジャケでナ |
あ、こっち瓶ビールね。キンキンに冷えたやつ、キリンでね。 いやいや、まま、ぐ〜っといってちょうだい。 ふぅ〜。ま…、なにはなくともJ.J.ケール。 やっぱり南部なのよ南部。 でもこのヒトはちょっと特殊で。 オクラホマ産一人ジャーマン・ロックというか。 もう、わけわかんないぐらいのミニマリストなんだよ、このヒト。 なにがスゴイってさ。やっぱりソレを実践している、のがスゴイ。 これぞアティチュードってもんですよ。 ライヒだってグラスだってサ(古くてスマン)、「それなり」の「微細」な音像の変化というか推移はある… あったでワケでしょ、フツー。 でもこのヒトの音楽は、それすら…無い?・ように聴こえて…し・ま・う・ん・・で・・・ もうええ!ヴォコーダーか!キミとはやっとれんわ。 てなぐらいにシブい。いや、もはやシブすぎ。 まさかこのヒト、朝コーヒー1杯飲むのに3時間ぐらいかけてるんじゃ…? てゆーか、それだと昼になっちゃいますぜダンナ!というぐらいの妄想すらかきたてる、 じつに味わい深いレコードが、コレ。オーキー。 J.J.Cale : Okie (1974) まいどオーキー!(オクラホマ人を指す米語) |
今日の気分は…ギター・スリム。やっぱ南部でしょ、南部。 このヒトのギター、オブリの入り方にすごいクセあってさ。もう、なんちゅうかエグイ。 あのヒトったら、洗濯物干すとき、服のかたちにハンガーむりやり曲げちゃうしぃ、みたいなイビツなライン で。 まあ、どの曲も全部おんなじ入り方なんですけど。それがまた味があってオツなワケ。オンガクのエキスみたい なのが、そういうトコにつまってる。 そういうところがね…ミソ。いうなればマイク・ラトリッジのくるったオルガン・ソロの入り方も一緒なワケ で。 ロビー・ロバートソンの激情型オブリもまたしかり(毎年いま時分になるとプラネット・ウェイヴスのA面が聴 きたくなる)。 いや〜、今夜はコレかけてモツ鍋で一杯といきますか。あ、焼酎ロックでね。 かなんな、しかし |
なんたってこのヒトは…いや、もうなんもいえん。 オン・ザ・コーナーもいいけどよ、この豪快にバラけた感じがまたなんとも…いえん。 いいねえ!今日の気分にずっぽり。今日のブルース。 よっしゃ、異議なし! ゲット・アップ・ウィズ・ミー |
「音楽は灰皿にマッチを落とすのと同じ。その程度の意味しかない」…なんちゃって。
今から30年前に制作されながら発売中止の憂き目をみた、この奇跡のようなアルバム。
ロック・マガジン、阿木譲、といわれてハッとするような人なら、コレが97年に正規発売された時の、
あのなんともいえない安堵の気持ちはわかっていただけるだろうか。
この名盤は77年にマスターテープとジャケットデザインまで完パケた段階で、
レコード会社(ヴァージン)の営業方針がプログレからパンク路線へとシフトしたことによって、
一方的に発売中止とされた悲劇のアルバム、 というのが長年の定説となっていたのだが、
こういった裏事情に詳しい小山氏がアンソニー・ムーア氏から直接聞いた話では、
アルバムを完成させた直後にムーア氏がパンク・ロックに多大なる衝撃を受け
「いかん、この御時世にこんなこと(Out)をやっていたのでは皆から笑われる!」
と思ったムーア氏自身がヴァージンに発売中止を強硬に要求したのが真相、だったそうだ。
いやはや、なんとも。
デヴィッド・ベッドフォードの甘美なストリングス・アレンジまであしらったこのアルバム、
結構な制作費はかかっていたはずだから、そんなことをすればそもそも契約違反だし干されるわな。
音楽はパンクとは隔絶した官能美に溢れていたのにアルバムをめぐる顛末はまさに「パンク」そのものだったぜ…
というオチがついたところで今年もよろしく。
なお、78年当時阿木譲が近畿放送でやっていた伝説的ラジオ番組「ファズ・ボックス・イン」
でオン・エアした時の曲順は以下の通り。
現行CDとは違うけど、やっぱりこれが正しい曲順だと思う。アンソニー・ムーア。アウト…。 1. Stitch In Time 2. A Thousand Ships 3. The River 4. Please Go 5. You Tickle 6. Lover Or Mine 7. Johnny's Dead 8. Dreams Of His Laughter 9. Catch A Falling Star 10. Wrong Again 11. Driving Blind 12. The Pilgrim 音楽は灰皿にマッチを落とすのと同じ |
|
|
|
|
|