コレ、出たの77年なんですヨ。 で、洋楽業界で1977年といったらホラ、ふつうの年じゃなかったわけですヨ。 まァ〜みなさん、覚えてますか。 ダムド1stとか。カッコよかったよな。なのに。ああそれなのに、この内容ときたら。 これはもう、パンクを無視、というよりは単に無関心なだけ。だったにちがいない。 アンディ・ニューマークの知的なハイハットさばきも鮮やかに、 ウィリー・ウィークスのプレベはあくまでクリスピー! 仕上げにお得意のハモンドB3&フェンダー・ローズのトッピング。 今でこそフロアで再評価されるべきブツだと思うのは、わたしだけ?…か。 まあ、このヒトの場合「ジョリー」みたいなスィーツな雰囲気はなくて、 トラフィック時代からこの1stソロまでの曲には妙なフックがあるし、 声もストイックで枯れた味わいだからね。 にしても、このヒトみたいに「大物」なのに存在自体がナゾめいたミュージシャンもめずらしかった。 トラフィックはバンド自体からして場当たり的な鉄砲玉ユニットだったからイイ! としても、その他の挙動不審ぶりがなんとも。 マクドナルド&ジャイルズのLPでイナセなピアノ・ソロを披露してみたり、 クラウス・シュルツェにアル・ディメオラ? って未だ釈然としないバブルの先駆け的なツトム・ヤマシタGOではりきってバンマスはってみたり。 誰か説明してくれ。 そういやブラインド・フェイスっていうのもあった。 ようするに空気のバラけたコンパにさりげなく顔出して場を締める、 みたいな幹事役が好きだったというコトだろうね。 結局、次の「アーク・オブ・ア・ダイバー」 からはコンパ、いやバンドにいさぎよく見切りをつけて宅録明朗会計ポップスに専念したのが賢明で、 大成功するわけだが。 いや、たしかにそれはそれで大変なことだと思いますけれども…。 でもねえ、この『スティーヴ・ウィンウッド』の淡くほろにがい感触はなんとも捨てがたい。 さあ、ぬるめの黒ビールで乾杯を。メリー・クリスマス。 いつだって等身大のオレ(ちょいシブ) |
コレコレ。こんなの まで聴けるときた日にゃあ、もう…やってられませんね。 もうオレには新譜なんか必要ねえ! ああ…すごくいい。この官能。このワイルドさ。このマヌケ感。 マシーンといえば69年の『ライヴ・アット・ザ・パラディソ』が一番だと思っていたが。 ここにきて真打ち登場、である。 いいかい? この67年の録音から聴き取れるのはマッチング・モウル、クワイエット・サン、ディス・ヒート、ファウスト、それぞれの まだ見ぬ残像の断片。 とどのつまり、いずれのグループもこの時期のマシーンを追体験したかっただけ、なんではなかろうか? という考えに及んだって今さらバチは当たるまい。 だってさ、この炸裂ファズ・オルガン、なに?これ。最高! 笑っちゃいます。 やっぱり…オルガンのひとが一番くるっているような気がする。今年の年越しはもう、コレでキマリ。
レツゴー三匹 |
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カモーン! 去年、山崎マゾ君に教えてもらって探していた、 仏エヴァのサイケ・コンピ「Louisiana Punk From The 60's」を入手できた話は、ずいぶん前に書いたよな。 ところが、である。 この話にはつづきがあった。 その後しばらくしてマゾ君からの知らせ。 「た、たいへんです。調べていたらEVAのルイジアナコンピLPは2種あることが判明!しらんかった」 とのこと。 ワオー、なんてこったい!そいつはたいへんだ! …というわけで最近ようやく入手できたVol.2。 第1集にくらべると若干小粒な感じだが、むせかえる濃密な臭いは不変。 これまた渚にていうところの「パンク」の真髄である。 サイケ・コンピはそれなりに色々と聴いてきたつもりだが、なぜこのルイジアナ編だけが格別なのだろう? これはGSでいえば、 ダイナマイツやモップスみたいな本格派ガレージ・サイケへの道をわざわざ迂回したあげく 難なくアウトキャストやボルテージの境地に達してしまったかのような、欧米か? とにかく闇雲だったすべての若きヤングども(意味重複)に発泡酒で乾杯を。 そして、恐るべし!ルイジアナ・パンク・フロム・ザ・60’s。 パンクの真髄(No.2) |
コレなあ…。 出た当時は「なんや、こんなカスみたいなもん出しよって」てな感じ。 だって79年だもん。 やっぱり二十歳の若造にしてみたら 『ディス・ヒート』とか『メタル・ボックス』とかの方が全然刺激的でカッコイイやんか? こういうフュージョンの入った音っていうのは、もう「敵性音楽」だったわけ。 79年っていったら。完全にバカにしてたから。だがコレが今になってよくなるとは…。もう歳か。 まあいいや、ほら曲目タイトル見てごらんよ。 1. レザー・ジャケット 2. アラバマ 3.スロー・ブルース 4.ベイビー・アイ・ウォント・ユー 5. ブロークン・ハンズ 6.ギディー・アップ 7.S.W.5 8. スパニッシュ 9.Aマイナー 以上。 …って思わずディレクター気分、「ちょっとキミなあ、本当にタイトルこれでええと思てんの?」とツッコミたくなる脱力セ ンスというか、 無センスの極みである。ある意味不敵。 レコーディング・シートに書いた仮タイトルをそのまま付けちゃってるんだろうな。 アルバム・タイトルも『ミック・テイラー』。考えるのが苦手そうな人だ。 ビル・ワイマンですら自分のソロにはタイトル考えて付けてたぜ、『モンキー・グリップ』とか。 ところがいいんだよコレが。 つまるところ、この人の場合楽曲すべてが自分のギターのたどるコースに沿ってつつましやかに作ってある。 それがこの人の音楽の動機。と同時に目的にもなっている。 この欲の無さ加減、まだまだ真似事すらできません。自意識希薄なのが魅力。 真逆の人が跋扈するこの世界で、朝夕肌寒くなってきた晩秋に聴くと特にイイ。 激シブ(No.2) |
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八月の影は闇よりも 濃い。 こんな日には風もうすく伸びていき、戻ってはこれないだろう。 焦げかかった土の上で、うなだれた葉の下で、うずくまっているのはきっと誰かの分身だ…。 |
七月は憂鬱の国。 なにも記憶のせいだけではないだろう。 あの年、幾人かの友人たちがそろって夏を避けるようにいなくなった。 この時期、湿気をたっぷり含んだ舐めるような風がなつかしいのは毎年のことだが、あの年は風向きがちがった。 わずかばかりの不安を抱えて泳ぎに出かけたのは、あの夏のことだったのか、それとも。 それにしても、立ち小便と10トントラックがよく似合う、この辺りの風土よ。 おまえは、結局のところ繰り越された仄かな苛立ちを、また連れてきたな…。 |
雨にぬれながらたたずむ人がいる 小雨そぼ降る御堂筋‥‥ |
まあ、このひとたち はなんというか…アレですわな。 74年制作って書いてあるんだけど、ロキシー・ミュージックでいうと『カントリー・ライフ』と同じ年なのね。 で、 翌年のイーノ『アナザー・グリーン・ワールド』が、この『ツッカーツァイト』の巧妙な焼き直しであることは明白だが、 イーノの方が脂ぎっていて落ち着きがない。音に迷いがあるんだよ。 あ、すいません。いや『アナザー・グリーン・ワールド』も好きだけどさ、 イーノのは狭い場所からのぞいた広い世界の箱庭的ミニチュア。 クラスターは、最初から広々としたところで遊んでいる。 音の粒立ちにその違いがはっきりと出ている。それにしても、こんなに楽しいレコードはなかなかない。 なかでも「???」みたいな音をシンセでしつこく鳴らしつづけるバカみたいな曲はケッサク。 バカにはできない。 ハイ、口直しにコレどうぞ。天然キャンデー |
デブでよろよろのギ ルモア…ってね。 ついにこんなのまで買っちゃったオレ。 でも、はなから期待なんかしてなかったもんね。それだけに、意外とよかった、のである。 なんてったってオレ、exギルモア派の夢想ヤングだし。 つけ加えるならば気分はデヴィッド、じゃなくて、デイヴ・ギルモア、なんだよな。 ジュラシック・パークみたいに壮大なオーケストラ(当然生オケだ)がダルい箇所はあるにせよ、 この人なりに現時点で精一杯誠意を尽くした、ということは伝わってくる内容だ。 要するに、もうとっくにピンク・フロイドはいないんだよ、というギルモア氏からの伝言なのである。 このCDは、それをふまえて聴くと、とてもいい。 ただし、この、人生の黄昏を謳歌する、いかにも実直で甘い雰囲気にはくれぐれも気をつけねばなるまい、ユージン。 こんな自分にでさえ忍び寄る、人生の黄昏ってヤツだよ。 油断していると、『雲の影』が好きだったボク…いやオレにとっては、 部屋が薄暗くなるまでブラッドベリを読み耽っていたような十代の頃ヘ退行させられそうな、 キケンきわまりないブツであった。 もうみずうみへなんか行かない、からな。そうそう『雲の影』に「ウォッツ…」という曲があったでしょう。 このCD全体が、 その一節「What's the news? Where have you been?」に対する自答になってるんだよ。 (あれいい曲だったなあ)…おっと、あぶねえ。 しっかし、こんなの、今の若い人が聴いても面白くもなんともないだろうねえ。 FAT OLD GILMOUR |
コレ、今でも最高。コレ、AMラジオで聞くと最高なのだ。なんでかっていうと…。 その昔、近畿放送で「ファズ・ボックス・イン」というラジオ番組があって。 当時、関西では(一部の限られた若者達に)カリスマ的な人気のあった阿木譲というDJが、 好き勝手に選曲して日本盤が発売されていないプログレッシヴ・ロックやジャーマン・ロック、 ニューヨーク・パンクの自主制作シングル盤をすごくニヒルに紹介しながら、 自虐的な冗談を言ったりリクエストはがきの文面に悪態をついたりする、という異様な番組だった。 よくスポンサーが降りなかったな、と思う。 時折、悪ノリが過ぎてディレクターからガラス越しにダメ出しをされることがあったらしいのは、聞いていてわかった。 そういう時は決まって、一瞬沈黙をおいて「……はい。じゃあ…曲にいきましょうか」などと、 しおらしく返事をしたりしていた。DJのヒステリックな雰囲気は好きではなかったが、 欲しいレコードもなかなか買えなくて 「イーグルスやボズ・スキャッグスなんかつまらん、 もっとなんかこう…ぐさっとクるやなー、そういうのはないんかい!」 と始終飢えていた貧乏高校生にとっては、大層ありがたい番組だった。 で、その番組でぐさっとキたのが、ヴォイドオイズのシングルとコレ。 だが近畿放送は京都のローカル局だ。 出力が低いのか自分の住んでいる大阪深南部では電波状況がかなり悪かった。 いつも、韓国語やロシア語?モールス信号のようなノイズの混信に苛立ちながら懸命に耳を傾けていたのだ。 コレが放送された夜もアナログ・シンセサイザーの音と混信ノイズとの判別が微妙な状態。 そんなありさまでも、コレはホントに魅惑的だった。 野趣あふれるリズムボックスに絡まる、ワケのわからない音の群れ。 一体構築されたのか野放しにされたのか、逞しく生い茂る雑草と同居する廃虚のような、 この音楽は、なぜだか夜の闇のあたたかさを感じさせた。もちろんカセットに録音して、愛聴したものだ。 ところが数年後、コレをやっと 『摩訶不思議』とヘンな邦題のついたLPで買って聴いた時のちょっとしたショックは忘れられないね。 だって、シンセサイザーによるホワイト・ノイズだと長年思い込んでいた印象的なサウンドが、 実はレコードには入っていなくて単に電波状況の悪さによるラジオの混信ノイズだった、というオチが判明したからだ。 あの夜自分が聴いたコレは、混信ノイズが安物のラジカセによってライヴ・ミックスされたヴァージョンなのだった。 そういう意味でも自分にとって、コレは第一級品の、夜の音楽。 あ〜あ、あのカセット、とっておけばよかったな…。 だからコレ、ホントはAMラジオで聞くのが最高なのだ。 ぐさっとクる 摩訶不思議、太陽賛歌 最高!コレはぜったい2枚セットで アルケミー・ミュージック・ストアで買おう! (AMSは2008年閉店しました) |
コレなあ…。若いころは「なんやこれショボイ音やな〜、しかし」 とよく思ったものだが。ところが、いいんだよコレが。 うん。いい?コレは耳鳴りの音を表現している。 大音量に晒されて麻痺した耳の奥へと幽かに伝わってくるバンドの振動。 その震えを鼓膜の内側で感じながら、それでもうたっている。そういうところに焦点を合わせた、いびつな音の遠近感。 それから、このアルバムはピアノ(チェレスタ?)の使い方がすごくうまい。 明らかに幻聴の表現ですよ、これは。 ジャケットにバーコードの入っていないUK盤(できれば初版オレンジラベルなら尚のこと良し)で聞いてみれば、 よくわかる。 ただ、73年という時代情況を鑑みれば、 この、あからさまにロック的な熱狂を押し殺した音作りはロバート・フリップやジミー・ペイジとは真逆であり、 あまりに極端であったといえよう。こういうのを過激というのだ。 90年代に、本人監修のリベンジ・リミックス (というよりはデジタル・コンプでレベル突っ込んで、聴感上で目一杯歪ませた怨念リマスターだと思う) が出たが、気持ちはよくわかる。当の本人ですら30年近く思い続けていたわけだ、 「クッソー、オレの音はこんなんじゃねえ! いつか絶対やり直したる!」ってね。 でも比べると、やっぱり…73年版の方がシブい。 この辺りを理解していたに違いないスリーパーズがシブい継承者たらんとして 81年にカッコイイLPを1枚作ったけど、やっぱり…自滅。 この道は険しいね。 激シブ |
トラフィックとくればフリーとくるわな、自分の場合。 さて『ハイウェイ』という傑出したLPがある。 フリー70年の4枚目だが、この、すべてを諦め切ったような、途方もない喪失感は一体どこから響くというのか。 これはまるで…漂泊の果ての座礁船から聞こえてきてもいい、終末の子守唄。 それがロックだったら。こうなる。たぶん。そう「ハイウェイ」といえばですね。 初期トム・ウェイツの名曲に「Ol'55」というのがありまして(曲中では「フリーウェイ」でしたが)。 それをイーグルスが演奏する際に 「次は、 一晩中ガールフレンドとセックスに耽っていたせいで卒業試験に遅刻してしまった哀れな大学生の心情を歌った曲です」 というような傑作な紹介の仕方をしていた、という逸話をジャクソン・ブラウンだったか誰だか、 のインタヴューで読んだ記憶が浮かんできたりするのだが…それはおいといて。 同じ「ハイウェイ」つながりなら、ナイーブな青年のメランコリックな希望を歌いあげた 「Ol'55」よりも、ニック・ドレイク『Bryter Layter』の裏ジャケットのすごい写真が脳裏をよぎる。 そうとも、さわやかな編曲がやたらと孤立感を煽る、場末の蛍光灯のようにとてもかなしい音楽だったね。 おっと、話を戻すぞ。 確かにポール・コゾフの、 アームを使わない細かなヴィブラートと高低差の激しいチョーキングを巧みにコントロールしたソロは最高だ。 が、実は…彼の真骨頂は、歌の旋律をあやすように寄りそう、とてもやさしいオブリガードなのだった。 これができる人は現役では頭士奈生樹か山口冨士夫ぐらいで、あまりいない。 アンディ・フレイザーの、 あの尋常でないベース・ラインがぎりぎりのところでアンサンブルを壊すことなく均衡を保っていられたのは、 コゾフの繊細なコード分解とカウンター・メロディーが表面張力のような役割を果たしていたからだ。 長くはつづかなかったけれど。 でもOK、今もあなたの音はよく聞こえるよ。 ホントは注射じゃなくて ただ友だちがほしかっただけ |
タジ・マハール。 昔、ライ・クーダーとかジェシ・デイヴィスとかに凝った時期があって、 その流れで知ったのがこのジンコクだった。 60年代にデビューしたジンコクいやブラックのミュージシャンとしては珍しく大学出のインテリだったそうで、 後追いでレコードを聞いて色んなブルース音楽を勉強したという人らしい。 ブラックなのに。ロバート・クレイならいざ知らず、60年代である。 そんな話を聞いただけでも、 この人が抱え込んだ矛盾を克服して自分の芸風を確立するのは決して楽な道のりではなかった、 であろうことは容易に想像がつく。 この人の作品では75年のコレ、Music Keeps Me Togetherが一番だと思っている。 このレコードが良いのは、なんといっても演奏の楽しさが肌で伝わってくるところ。 この楽しさはもう恋なのか…じゃなくて、 なんともいえずあっけらかんとしたタジさんのスモーキー・ヴォイスにまったく音の伸びないカスカスなギター、 それに各種鳴りものパーカス、フルートのからみ具合ときたらもう、アツアツのお好み焼きさながら。 あーもうたまらん、のである。さしずめそうやねえデイヴ・メイスンがいた頃のトラフィックが好きだったらぜひ。 いや全然ちがうけどな。おっと、こりゃたとえが古すぎ…。 お好み焼きは梅田東通の「美舟」がイチバン タジ・マハールはコレがイチバン |
まあーみなさん、このゆるいムードはあなどれませんよ。 言わずと知れたニューオーリンズの重鎮である。 実は、15の時に背伸びして初めて買ったジンコクのレコードが、コレ。 当時の環境がブルース・ブーム真っ最中だったもんで、 オーティス・ラッシュだとかライトニンだのジョン・リーだの、今さら(当時ね)いわゆる、 まっとうなブルースの名盤に手を出すのは格好わるかったもんで、 そこでちょっとハズしたつもりでシブそうなのを買ってきたのだ。 76年に天王寺の野音で「久保田麻琴と夕焼け楽団」がコレの中から「What do you want the girl to do?」 を日本語まじりでニコニコしながらやっているのを見た時には 「なるほどなあ」と思ったものだが、今さらにして思いかえしてみると、 やっぱりコレと日本の「トロピカル」とのあいだには、どうしても一線を画するもの、があった。 実はコレ…まだ持っている。 蒸し暑い夏の夕べにはコレ、と決めている。 ナイツ、なんだよね |
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ここまできたらもう、コレもいってしまおう。 そう、言わずと知れたマッチング・モウルである。 クソ退屈な授業がはねた放課後、電車2本を乗り継いで梅田のLPコーナーへ行き、 輸入盤を買うことを覚え出した頃、最初に買ったRW氏のレコード… だったように思う。 まだ肌寒い早春、薄曇りの乳白色の空。 がよく似合う、ちょうど今時分の季節には最高!のレコードだった。 我が不遇の10代、まだ『サイケデリックの新鋭』は聴いていないが「勉強」のためにと 『何人をも近づけぬ男』を無理して買ってはみたもののやっぱり 『おせっかい』の方が何倍もスゴイような気がしてならない、ギルモア派の夢想ヤング。 そんな時期に魔がさしたのであろう、 梅田のLPコーナーでふと目にした 、いかにも愛らしいモグラの絵のジャケットに惹かれて衝動買いしたのが、コレ。 ロックの幻想と夢想と夢精と… なんやかんやで饐えた部屋の空気をあっさりと風通しして淡く彩ってくれる、音のパノラマだった。 まあ1曲目はいい。すごくいい。でも、その後が問題だった。 この音楽から香り立つぬるく甘い雰囲気には独特の濃度があり、 それがB面ラストまで決して薄れることがないのだ。 それどころか、バルンガのように徐々に低速で増殖していく…。 2枚ほど聴きつぶして買い替えた。 ずっと後になって読んだ、RW氏のコレに対するコメントは本当に感動的だった。 氏はこう語っていた。 「グループがあろうとなかろうと、俺はあれを作ったよ。あれは俺なんだ。 俺が完全に主導権を握った。俺が曲を選び、俺が編集し、 俺がメロトロンをいじってそこらじゅうにかぶせるって言ったんだ。 誰が承認しようとしまいと…。」 これは俺 |
ジェネシス『静寂の嵐』の甘〜い!加減が割と好きでカセットでこっそりとよく聴い ていた我が不遇の蛍雪時代、 のことは前に書いたよね。 これはそのつづき。 それと『幻惑のスーパーライブ』は、なんとなく後ろめたさを覚えながらも飽きずに繰り返し聴いた。 親が寝静まった夜中に一人勿体ぶってセブンスターをふかしながら。 それにしても世はパンクまっさかり。 …自分は彼女もおらんワビサビの身分で一体なにをやっとんのやろ…などと、 川崎ゆきおの漫画よろしくボヤキが口癖と化していたものである。 だからといって、彼女を作ろうという殊勝な営業努力を特にするわけでもなく。 そんなパッチモンの十代であった。 さすがに翌年『そして三人が残った』の頃になると、 なんか、ちょっと…なあ、というような気分が飽和点に達したのか、 「ニュー・ミュージック・マガジン」で鈴木慶一が強く推薦していたカフェ・ジャックスのデビュー・アルバム 『Round the back』に目が止まった。 日本盤が出なかったそれは「ジェネシス+10CC+リトル・フィート」といったサウンドの形容がされていたから、 もう、こりゃ買わいでか。というものであろう。 早速、梅田にあった老舗の輸入盤店LPコーナーへ買いに走った。 それとも当時「ロック・マガジン」で阿木譲が推薦する暗いレコードばかりを優先して仕入れていたようなLPコーナー には入荷してなくて、 心斎橋にあった流行りっぽいオシャレな音楽も意識的に揃えていたメロディーハウスで手に入れたのか、 それともすでに購入していた友人に借りたのか、今となっては記憶が定かではない。 まあとにかく、これはなかなかよかった。 まるで出来過ぎみたいな上品な音楽で、ロックのロの字も感じさせない完成度は大したものだ。 音楽のすべてが淘汰された今の時代に聴くと、より一層味わい深いものがある。 ここでフュージョンっぽく澄んだ音色のパーカッションをダビングしただけでは飽き足らずに、 このレコードを強く推薦する文を裏ジャケットに献上しているのがフィル・コリンズなのであった。 ああ、ちょっとタイミングが悪かったね。 |
京都にいた学生時代、 僕は大徳寺から大宮商店街を少し上がったあたりの紫竹に下宿していた。 一乗寺に下宿していた同じ大学の井上君とはそこそこレコードの趣味が合ったので、 自転車で互いの部屋を行き来してはパンクやブリティッシュ・ロックの話に興じて夜更けまで盛り上がったものだ。 古着のアーミーを着てサングラスをかけた井上君はニック・ロウとクラッシュの大ファンだった。 彼は「ニュー・ミュージック・マガジン」 で中村とうようと鈴木慶一が誉めるレコードを即座に購入し、 僕の前でレビューの文章を復唱しては悦に入っていた。 三枚組の大作『サンディニスタ!』を買った時の彼の大いなる興奮ぶりは未だに憶えている。 そして井上君は雨を異常に嫌悪していた。 喫茶店にいて窓越しに見える空が少しでも曇ってくると、急にそわそわして話をいきなり中断し 「オレもう帰るよ!雨降りそうだしさ!」 と言い残しては全速力で自転車をこいで帰っていく、という妙な性癖があった。 ところが、彼があわてて帰った後は雨どころかすっきりと晴れていい天気になることも多かった。 最初は面喰らったが、だんだんとその癖がわかってくると 「ほら井上、曇ってきたぞ。もう帰った方がええんとちゃうか?」 とからかって遊んだ。 そのたびに井上君の顔色がさっと微妙に変わるのが面白かった。 井上君は同じ冗談に何度でもひっかかって、いちいち空を仰いでは 「どこが曇ってんだよ〜!」と真顔で憤慨するのだった。 井上君は埼玉県出身だった。 よほど埼玉とは晴天に恵まれた地域だったのだろうか。 1980年頃、井上君が「ホントいいから絶対キミも買えよ!」と やたら推薦していたロックパイルのレコード (全然面白くなかったので買わなかった) |
99年にオルグから出した岩田侑三氏のLP 「Drowning in the sky」がもう品切れが近いのだが、これやっぱりいいなあ。 タイトルからして「空におぼれる」なのである。 岩田さんは80年代中頃、初期のマヘル・シャラル・ハシュ・バズでギターを弾いていた人だ。 このアルバムは、ある意味マヘルよりもソリッドでユニークな音楽性を感じさせる傑作だ。 ニューヨークで会った時、岩田さんはマヘルの3枚組(これも品切れ間近)を、 ある1点を除けば完璧な傑作ですよと評していたが、 いやいやどうして「空におぼれる」は無条件に賞賛されるべき優れた作品ですよ。 ここで聞ける岩田さんのギターはクワイエット・サン「Mainstream」でのフィル・マンザネラに匹敵する、 野生の血の騒ぎを喚起させるものだ。 そこにあしらわれる、やけに無常感を帯びたアナログ・シンセとオルガン。 エレクトロニクスをこうも素朴に鳴らしきった例は他に類を見ないのではないだろうか。 エコーの反復にあわせて極端に簡素な歌詞をのんびりと歌う声も聞ける。 ノイズどころかUTAMONO?ONKYO? はぁ?ってな感じの骨太で繊細な不思議音楽。 なんといっても陰にこもっておらず抜け切った感覚が全編に感じられるのがいい。 そうそう、工藤君はA面2曲目のThe Moth「蛾」という曲が秀逸ですね、と言ってました。 空におぼれる |
去年、 山崎マゾ君に聞かせてもらって以来ずっと探していた仏エヴァのサイケ・コンピ 「Louisiana Punk From The 60's」をついに入手できた。 マゾ君が聞かせてくれたのはCDの方だったのだが、久々にサイケ・コンピで衝撃を受けた。 こ、これはヒドイ。いやスゴイ! 仏エヴァには「Punk Ballads Sampler From The 60's」という名作コンピがあったが、 あれを上回る濃密さが充満した必殺盤だ。 ああなんという哀愁。なんという生々しさ…。 これぞ渚にて言うところの「パンク」の真髄である。 これはアナログだったらもっと凄いだろうと直感した。 予感は的中、CDより数曲少ないものの一段と情けない空気感が堪能できた。 至福のひとときを過ごせる、宝物のような盤であった。 ルイジアナ・パンク・フロム・ザ・60’s。運よく出会えたら「買い」である。 たとえCDでも。カモーン! パンクの真髄 |
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