万物流転とエントロピー



皆さんは"万物流転・永遠不滅"という言葉を聞いたことがあるであろう。 この世の中のあらゆるものは流転する、しかし永遠に不滅である、という意味である。これらは一見矛盾する概念である。これは仏教の諸行無常・輪廻転生と通ずる言葉である。

不思議なことに、これは洋の東西において、この世界に対する本質的概念として存在したのであっる。さー、どうしたらよいか。これに真っ向から向き合ったのが古代ギリシアの人々である。この矛盾する概念を如何に論理的に考え得るか、ということである。古代ギリシア人は真摯にこの難題を受け止め、結果として哲学、自然科学の根源となる考えを創り得たのである。それがギリシアの原子論である。皆さんは2500年も前に、何故原子論と称する論があり得たのか不思議に思うであろう。それを以下に示そう。そしてそれがルネッサンスを経てヨーロッパにおける近代科学(物理学、数学、化学等)へと繋がっていくのである。ということは近代科学は、やはりギリシアの哲学がその根本なのである。

2500年ほど前の古代ギリシアにおいて、万物流転と永遠不滅という一見矛盾した概念は、 この世界の構成を理解するための最も基本的な理念であった。このような中でギリシアの原子論は、 レウキッポスやデモクリトス等によって提唱された。 このギリシアの原子説は、 現在我々の知っている原子論から見ても、驚くほどの洞察力を以って構成されている。

さらに、万物流転と永遠不滅は、この世界の構成を科学的に理解しようとする際に不可欠となる、 エントロピーとエネルギーの概念と見事に合致していることも注目に値する。 即ち万物は常に変化し、その変化に伴い必ず変化するもの、それはエントロピーであり、 永遠不滅なもの、 それは質量をも含めたエネルギーである。

1.エントロピーの関与している解り易い問題

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まず次の3つの問題を出そう。これらはやさしい言葉で述べられているので、 一見易しそうに見えるが、まともに考えると難しい問題である。 これらの問題にある程度まともに応えることができる人 は、相当できる人、"お主できるな"に相応しい人である。

問題1 原子は何故にこの程度に小さいのか?
皆さんはこのような疑問をもったことがあるでしようか。 物の大小には「何に比べて」と言う意味が含まれているから、常に相対的なものである。 従って上の疑問文は、次のように言い換えることもできる。 生物、(特に我々人類はと言ったほうが良いかもしれない)何故にこの程度に大きいのか?  時間的経過から言えば、原子があり、分子が形成され、生命体が生まれたわけであるから、 表題の疑問は「我々人類は何故にこの程度に大きいのか?」とする方が妥当であるかも知れない。 原子と人の大きさ関係は図e.1を参照されたい。 さて皆さんはこれらの疑問に答えることができるでしょうか。
これは私の考えたオリジナルな問題ではない。量子化学あるいは波動方程式で世界的に有名な、 E.シュレーディンガー(Schrodinger)が、著書『What is Life』の中で紹介している問題である。 それでは本当にこのような人を食った問題、あるいは大それた問題に正しく答えられるであろうか。
私はこの種の問題に100%の正解を出すことはできないと思っている。 かといって全く答えられないこともないかと思っている。 この人を食った問題にまともな思考過程によって、 そこそこなんとなくもっともらしい答(実はこれは頗るあたりまえの答なのだが) を見出してゆこう。

まず上の疑問に答えるためには、まずこの世界で日常接することのできる 普通に観られる物質は例外なく、原子や分子でできていることを知らなくてはならない。 さらに原子のおよその大きさを知らなければならない。 普通の物質はという意味は、原子を構成している物質である陽子や中性子あるいは電子あるいは さらに小さな素粒子等は、原子や分子でできているとは言えないからである。 それではこれだけ知っていれば、上の疑問に答えることができるであろうか。 きっとまだできないと思う。そのためにはもう少し深くこの世界の仕組みを知らねばならない。

問題2 いったい地球では何が起きているのか?

地球は太陽系の内側から数えて第3番目の惑星である。その形はほぼ球形で、 半径はおよそ6000kmである。地球上でのほぼあらゆる活動のエネルギー源は太陽からの 光のエネルギーである。
太陽光は陸地、海水及び大気を暖め、 それによって大気や水の循環が起こり、さまざまな気象現象を引き起こしている。 また地球の緯度の違いによって太陽からの放射エネルギーが異なるため温度差が生じ、 地球規模の海流として熱エネルギーを赤道付近から極地へと運び、 それがまた気象現象や物質の循環に多大な影響を与えている。 従って海流や風も太陽エネルギーの変化した形態である。
一方地球上の生命のエネルギー源も 太陽エネルギーである。植物はこの光のエネルギーを利用し、炭酸ガスと水からデンプン あるいはセルロース等を合成し、生命を維持している。動物はこれらの植物を食べ、 生命を維持している。従って生物もまた太陽エネルギーの一形態である。このような意味で、 "生命体には太陽が宿る"という言葉は一つの真理でもある。石炭は地球の永い歴史の中で、 植物が地中で炭化したものであり、石油も微生物を含む動物が体積し、 地中で高圧と高温によって変化した化合物であるから、結局は太陽エネルギーが源である。

さてこのように地球は太陽エネルギーを様々な方法で利用しているのであるが、 地球の温度はほぼ一定に保たれているから、太陽から受け取るエネルギー(ほぼ1.8x10^17J/s) とほぼ正確に同じエネルギー量を大気圏外に放出していることになる(図e.2)。 因みにエネルギーは生成も消滅もしない(これを質量をも含めたエネルギー保存の法則という)。 ただエネルギーはその宿る場所を変え形態を変えるだけである。 それでは地球上ではいったい何が起きている のであろうか。生物は何を使って生命を維持しているのであろうか。この問題のキーワードは エネルギーの劣化である。エネルギーは利用しやすいエネルギーから利用し難いエネルギーへと変化 (劣化)する。

問題3 物の価格は何によって決まるのか?

これは前二問よりも我々生活者とって身近な問題であろう。 武田1)らによれば、いろいろな物の価格はそのものの地球上における存在濃度(分散程度)と 図e.3に示す関係にあるという。この図に寄れば、価格=定数/濃度となり、 物の価格は、そのものあるいはそのものを製造するための原材料の存在濃度の逆数に比例する ことになる。これはもちろんかなり大雑把に見た場合であろうが、 例えば鉄や銅等の地下資源であれば、その鉱石の地球上での分布の程度あるいは鉱石中の 含有濃度等に、医薬品であれば、その原材料の分布や濃度及び原材料中の有用成分の存在濃度に、 また砂糖であれば原料となる農作物中の含有濃度に逆比例するということである。 ここで注意することは、図e.3の横軸は地球上における存在量ではなく、濃度であるという点である。 存在している絶対量が多くても、それが広く薄く低濃度で存在しているほど高価格である と言うことである。もちろん人間社会の情勢及び経済活動は複雑であるから、 このような単純な関係が成り立たない場合も多数見られるであろう。しかし一般的には、 その物の存在濃度が低ければ、その物の価格は高いといえる。これはラジウム、ウラン、 銅等の地下資源、ビタミン、ペニシリン等の薬品類、砂糖等の食品類等、 物の種類に関係なくほぼ成り立つと思われる。これはそれぞれの分野で、精製、 抽出方法は異なるが、それらの方法にかかる費用は同程度ということであろう。 ここには現在,社会的問題になっているリサイクル問題の本質が含まれている。 この問題のキーワードは、拡散、混合あるいは無秩序性である。 以上三つの問題を提起した。これらの問題に含まれる共通のキーワードは何か。 それはエントロピーである。これら三問題はエントロピーと 密接に関連しており、エントロピーの概念なくしてこれらの問題の本質を議論することは 不可能に近い。

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図e.1 この世界の構成物の大きさあるいは距離 d
, 数字はlog(d /m)
(松本孝芳、バイオサイエンスのための物理化学入門, 丸善、2005、より転載)












図e.2 地球のエネルギー入射と放射 
(地球写真;NASA, National Space Science Data Center, Photo Galleryより転載)











図e.3 物の価格と存在濃度
(武田邦彦、リサイクル幻想、文藝春秋、 2000, P61より転載)


2.ギリシアの原子説
  

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2500年ほど前の古代ギリシアにおいて、ヘラクレイトスは「万物は流転し、 何ものも留まらない」と語り、クセノパネスは、「世界は永遠で不滅である」とした。 古代ギリシア哲学においては、万物流転と永遠不滅という一見矛盾した概念は、 この世界の構成を理解するための最も基本的な理念であった。このような中でギリシアの原子論は、 レウキッポスやデモクリトス等によって提唱された。

彼らは、物質を分割していくと眼に見えない極小な、それ以上分割できない「不可分 なるもの」に到達するとし、それを"原子"と呼んだ。原子は無限(無数)であり、形状を持ち、 永遠に不滅であり、この世界は空虚と高速で 運動している原子で形成されているとした。

このギリシアの原子説では、原子は渦を巻いて運動し、互いに衝突し、また接触しており、 しかし空虚において隔てられていると考えられ、原子の結合と分離によって 生成、消滅が生じるとした。 この原子説では色は原子の並び具合、恰好(形)、向きによって生じるとしている。また、 味は原子の形により、甘い味は丸くて大きいものによって、酸いさは、大きくざらざらで 、角があるものによって、塩辛さは、大きく丸くなく、ある部分では凸凹であるが、大部分では 凸凹でないものによって、等々とした。さらに原子は重さをもつと主張している。

この原子説によって、物質の簡単な性質や変化は説明できる。例えば個体は、 原子が互いにしっかり結合しあっている状態、液体は少しゆるく結合している状態、 気体はその結合が解け、分子が自由に運動している状態に相当する。 さらには、味は原子の持つ凸凹や刺によって、舌が刺激されることによって 感じることができる、というようにである。これらは現代の知見から見ても、 ある程度示唆に富んだ内容のようにも思える。しかしこの原子説によって、 複雑な人の感覚、例えば視覚、聴覚あるいは触覚等を説明するためには、余りにも不完全であり、 さらには思惟や生命のような複雑な事柄についてはほとんど議論不可能であった。 またこの原子説は思索から生まれたものであるから、別の思索によって否定することも 可能であった。このような訳で、その後ギリシアの原子説は、 ほとんど忘れ去られることになる。

しかし、それ以後2000年程経た18世紀末から19世紀初頭のヨーロッパを中心として、 この原子という概念は、 ギリシアの原子説における概念と類似しているが、全く異なる様相を呈して蘇るのである。

(ギリシアの哲学については主に、「初期ギリシアの自然哲学者断片集」1,2,3、 日下部吉信編訳 、筑摩書房、2000-2001、及び世界の名著、「ギリシアの科学」、中央公論社、1972、を参考にした。)






図e.4 固体





図e.5 液体





図e.5 気体







甘さの元になる原子、大きくて丸い






塩辛さの元になる原子、丸くなく少し凸凹がある





3.アボガドロ数について
  

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エントロピーは系の無秩序性の指標である。無秩序性が大きいほど、その系のエントロピーは大きい。エントロピー増大の法則とは、系(正確には孤立系)は無秩序な方向へ変化する、ということである。よく引き合いに出される例は、多くの書籍や書類が整然と整理されている書斎は、ほっておくと次第にその書籍や書類が乱雑になっていく、ということである。しかしこの例は解り易く説明するための例えであって、若干正確さに欠ける。エントロピーが対象とする系は、統計的取り扱いができる程度に多くの要素からなる系である。どの程度に多数かというとアボガドロ数(Avogadro number, NA)程度に多数である。 皆さんはアボガドロ数を知っているだろうか。物理や化学を学んだ人なら馴染深い数値であろう。イタリアの科学者Amadeo Avogadro(1776-1856)に因んでこの名がつけられた。その値は、NA= 6.02×10^23である*。10^23は1の次に0が23個続く数である(10^1=10, 10^2=100である)。そして、アボガドロ数個の粒子(例えば原子や分子)を含む物質の量を1モルという。

普通にはこのモルという単位で表す物質は、原子、分子や電子のように、非日常的な極めて小さい物質の量を表すために用いられる。しかし日常的な物質に対して使うことも可能である。例えば鉛筆1モルとかゴルフボール1モルとかである。しかし1モルという量が余りにも大量なので、このような使用法は一般的でない。 水1モルはほぼ18mlである。即ち普通の盃1杯の水には、アボガドロ数個の水分子が含まれていることになる。 それではこのアボガドロ数という値はどのくらい大きいのであろうか。日常感覚で把握できるであろうか。 例で示そう。

1)アボガドロ数個の米粒を考えよう。 米粒1モルを世界中の人が毎日3合ずつ食べるとして、何日ぐらい食べることができるか。ただし米1合は約7000粒、世界の人口は70億人としよう。

米3合は約21000粒であるから 6.02x10^23粒/(2.1x10^4粒/(1日1人)x7x10^9人)=4.1x10^9日=1.1x10^7年

即ち1000万年以上かかるのである。人類の祖先である猿人アウストラロピテクスがアフリカの地に生きていたときは、今から約300万年〜400万年前とされている。即ち人類発祥のときよりはるかに長い間、世界の人類は米粒1モルを食べ続けることができるのである。

もう一つの例を示そう。
2)この地球の陸地には無数と言える木(樹木、木本)が生育している。大きな木もあり小さな木もある。世界中に生育している木の本数を想像することはかなり難しいし、数えることは不可能に近い。しかし、その数はアボガドロ数以上であろうか、以下であろうか。皆さんはどう思うか。6.02×10^23本以上の木があると考える人も多いであろう。

世界の全陸地の面積は、約150x10^6km^2 である。これにはシベリアや南極大陸、さらにはサハラ砂漠のような、植物の生育に適さない場所も含むから、植物それも木が生育している面積はこれよりかなり少ないであろう。1km^2=10^6m^2 であるから、150x10^6km^2 = 150x10^12m^2 である。1m^2に平均して何本の木が生えているであろうか。大木も小木もあり、大木の洞や小さなくぼみから生えている小木もあろうからから、正確に把握することは困難でろうが、100cm^2即ち10cm×10cmに1本生えているとすると、1m^2に100本生えていることになる。即ち、世界中の木の本数は1.5x10^16 本になる。これはアボガドロ数の4000万分の1(1/4x10^7 )である。

このように世界中に生えている木の総数は、アボガドロ数よりかなり少ないと推測できる。逆にアボガドロ数がいかに大きいか、あるいは分子や原子がいかに小さいか、が解るであろう。従って日常的な物質の量を、モル単位で表すことは非現実的であることも解るであろう。

このように、アボガドロ数という数は余りに大きくて、日常感覚で把握することはかなり困難である。

* 炭素の同位体C(原子番号6,質量数12) の12g中に含まれる炭素原子の数をアボガドロ数という。

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