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![]() 生きがいって何なんでしょうか。名誉欲・出世欲・創作・演奏・社会貢献・ 文学的な創作等、人によりいろいろとあると思いますが、 私には何もないというかできないと言った方がいいと思います。 強いて言いますと「ぼんやり・のんびり欲」かも知れません。 時々自然を感じ、時々美味しいものを食べ、 結局は普段通りの普通の生活が出来ることが生きがいと言えるかも知れません。 ぼんやり日常を過ごすことを実行するのも難しいものです。 その為には長年の計画が必要と思います。 |
![]() それが高齢期となれば生きがいに繋がるような気さえします。 平和で穏やかで安心して「ぼんやり・のんびり」と過ごすことができますか。 その為には、計画と準備が必要と思います。 ![]() 仕事現役の時代は、仕事に生きがいを求めて働き、また、社会貢献に力を尽くすことだと 考えます。それらが、高齢期となった時代に生きがいの準備として生きてくるように思います。 後期高齢者ともなれば体力的にも知力的にも若者には太刀打ちできませんし、少しでも 社会よりお世話にならない様にとこころがけて、 「ぼんやり・のんびり」が生きがいと言える時期が必ずやって来ます。 その準備は、仕事現役時代を通じて準備する必要があります。 若い時代に何かを求めて学習し、経験し、参加することが大切と思います。 準備は、年齢に関係なく気づいた今から始めましょう。常に準備途上です。 高齢期ともなれば、心配のない日々を過ごすことが生きがいと言えます。 ![]() 準備するにしても楽しさを感じながら何かに挑戦することだと思います。 楽しさなくしては長続きしないのではないでしょうか。 「ぼんやり・のんびり」と自然に触れ、日常を楽しみ、気の合うグループや友人と過ごす時間も 楽しいものです。それは生きがいと言えます。 高齢者と月に1回のおしゃべりの会(えんがわ クラブ)を開催していますが、 この会は話題はある程度決めていますが。 先ずは、参加者の皆さまが話し出すことでスタートとします。 その後に少しの勉強的な話題となります。 気にすることのない気楽な会話が「ぼんやり・のんびり」の首題と考えています。 楽しさ第一の「ぼんやり・のんびり」は生きがいです。自然な会話は最高です。 ![]() 原理原則で「ねばならない」では高齢期には人との交わりができない様に思えます。 高齢期の方々は皆さまそれなりの人生経験をし、いいも悪いも自分を持っています。 それらをお互いに許し合い、受け入れる寛容さが必要ではないでしょうか。 その中で一人一人が自分を出せる雰囲気があれば、グループや仲良し会もスマートに運営できます。 人は、一人では生きてゆけません。生きがいと言っても全くの一人では楽しくないと思います。 人々から認められることも必要だと思います。そのためにも人との交わりが大切です。 地域の人々とも仲良く、気遣いの無い会話でつながりがもてるようでしたら、 それらの人たちの中でも「ぼんやり・のんびり」とすることができます。 気を張らないと言うことです。自分本来のこころで会話し、他人を受け入れて、助け合う。 考えてみますとこれが最も大切なことかも知れませんし、難しいことと思います。 朝「おはよう」から始めてみましょう。挨拶されて嫌な思いをされる方はいないと考えます。 次に感謝の気持ちを伝える「ありがとう」の言葉が出るようでしたらもう立派に 「ぼんやり・のんびり」の仲間の一員となれることでしょう。 安心してぼんやりできるような地域とのつながり、 友人とのつながりができましたら、それは、立派な生きがいとなることでしょう。 ![]() 体力が衰え、知力が衰えますと、一人で行動をとることに億劫さが先ず出てきます。 その為にも地域の人々友人と助け合うことが大切ですが、その条件は、自他ともに幸せ感を 共有できることです。 最近高齢な方の行動を見ていますと、信号無視、歩き喫煙、ごみのポイ捨て、協同住宅の ルール無視など子供には見せられない行動を見ることが多々あります。 自他ともに幸せ感を共有するためには、小さなルールを守ることから始めましょう。 幸せ感を持つためには、まず、小さなルールを守ることではないでしょうか。 ひとり一人が、小さなルールを守る社会は「ぼんやり・のんびり」していても安心して日々を 過ごせます。 ![]() こころが豊かであれば、社会が求めているものは何かを見つめることができると思います。 損得に関わらず、真理に基づいた世間が見えてくると思います。損得を考えればそこには策が 必要となり、人を信頼しなくなるのではないでしょうか。 高齢期に必要なものは「物」でなく豊かな「こころ」だと思います。損得で判断しますと 「ぼんやり・のんびり」とはできません。 年老いて損得を考えずに、ぼんやり・のんびりできる環境が欲しいものです。 ![]() 悠々自適とは、財産が有れば出来るのでしょうか。財産は、持ってあの世には行けません。 相続で揉めることは多々ありますが、こころの相続は、何の手続きも必要もなく、 残された人のこころに何時までも新鮮で生き続けます。 そのためにも週に1日や10日に1日位は「ぼんやり・のんびり」と過ごす日も必要でしょう。 後に残される家族(妻か夫)の生活が「のんびり、ぼんやり」出来る状況を創ってこそ 悠々自適と言えるのではないかと考えます。 テレビや書籍には、「ぼんやり、のんびり」していると認知症になるとか、 この薬には認知症予防ができるとか、脳トレや、運動等が、まるで脅迫のように宣伝して いますが、認知症には、不安感と孤独感さえ解消すれば安心できる日々を過ごすことができ、 ある程度症状が解消されます。 それほど心配することはないと思います。 歳相応に物忘れをしても、楽しむぐらいの余裕を持ちましょう。 平気の平左(へいきのへいざ)…「ぼんやり、のんびり」…をこころがけて安心できる日々を 送りましょう。 シニア ライフ アドバイザー 岡島貞雄 |