ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています     大切な人が又一人

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        “ 大切な人が又一人 ”

 私の残された時間は、片手か、両手かいずれにしても指折り勘定できる年齢になりました。この年になりますと大切な人が一人、又一人といなくなります。
 大切な人が又一人、先にいってしまいました。寂しい限りですが、その人達の分も一生懸命に生きて生き抜こうと考えています。人生、長いとか短いとかの問題でなく、自分をしっかりと生きたいと思います。
白い百合の花

 
 私の大切な先生

  私の尊敬する医師が亡くなりました。優しくて、まじめで、人のこころを大切に
 する先生でした。
 先生と初めて出会ったのは神戸新聞に掲載されていた「がん よろず相談承ります」でした。
 毎回スクラップしていましたが、ある日堪らず電話しましたところ、
 実に気持ちよく「お逢いしましょう」と言って下さり、病院まで飛んでゆきました。

  先生は、大学で教授をされていたそうですが、現場で人と直接触れたいと言う思いから
 病院勤務とされたそうです。
 思った通りの先生でした。自分で考え、自分で決める、相談者が主役であり、
 アドバイスをし、本人が決めることが出来るようなお手伝いをするを基本としていました。
  医師は、多くの方々が教えると言う態度が多いのですが、
 先生は、本人の答えを引き出すことを基本としていたように感じました。

  その先生が、残念ながら亡くなられました。65歳でした。早すぎました。
 知り合った時には先生はすでに病魔に侵されていたようですが、
 その気配は全く感じ取ることはできませんでした。
 今思えることは、先生は密かにいろいろと準備されていたようです。
 当時はそれが判らず、講演の依頼をお願いしますと実に爽やかに引き受けて下さり、
 教室が一杯となりました。

  葬儀に参列した翌朝2時から腹痛と嘔吐で苦しみ、堪らず救急病院へ電話し、
 歩いて病院へ行きました。幸い何もなく、ストレスと言うことでした。それほど私にとって
 大切な先生でした。
  一昨年、ご家族総員でヨーロッパ旅行に出かけた折りの写真を送っていただきましたが、
 今年の年末年始は先生だけ写真に入っていませんでした。心配していたことが現実と
 なってしまい、心棒が一つ抜けたような気持ちです。

  しかし、いろいろと話し合った言葉一つ一つはこころに生きています。
 生ある限り今後に生かして日々生きてゆきたいと霊前に誓いました。
  
 ご両親と奥様

  最期のお別れの時に高齢な方が大きな声で泣いて悲しんでいました。
 私の父が、亡くなった時も祖父母は健在でした。私は、父の葬儀後20日位で実家に帰りました。
 その折に祖父母が、毎日仏壇の前で二人が並び念仏を唱えながら泣いていました。
 当時私は、ペルシャ湾航行中でした(以前にも書いていますが)。

  今回の先生が亡くなった状況と非常によく似ています。ご両親の気持ちが痛いほど判り胸が
 痛みました。先生の奥様がお父様を抱きかかえてなぐさめていましたが、奥様が一番悲しかった
 ことでしょう。
  奥様は、私たちが、訪問した折にはこころを込めてご馳走をして下さいました。
 先生は料理自慢の方でプロ顔負けでした。そのお手伝いは大変だったと思いますが、優しい笑顔で
 何時も迎えて下さいました。

  葬儀会場で奥様にお逢いした時に私たちの顔を見て、涙を目に一杯溜められましたが
 すぐに毅然として式を取り仕切っていました。
 その場面を思いだすだけで涙ぐんできます。
  奥様とご親族、ご両親の健康と幸せを陰ながらお祈りするしかありません。
 

   神戸新聞夕刊 イイミミより転載

  <話しを聴いてくださり>

 エッセー「がん よろず相談承ります」を書いておられた医師M先生、亡くなられたんですね。
 ショックで。私も抗がん剤治療を受けていて、体調が良くなってから先生を訪ねました。
 スタッフの方にまで気遣っていただき、本当にありがたかった。丁寧に私の症状について説明して
 「いつでもおいで」と言ってくださって。「僕が作ったものです」と病後の過ごし方の冊子も
 頂きました。行くのが遠かったけど、とても満ち足りた気持ちで帰ることができたんです。
 仕事に精いっぱいで、再会がかなわなかったのが残念です。先生ありがとうございました。
                       (姫路 務め、女、55歳)
  (これは原文のままです)
 
                      シニア ライフ アドバイザー 岡島 貞雄



                            


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