ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています   老いの想い

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   間の大切さ    “ 老いの想い” 
  4月で80歳になりました。40歳時代や50歳時代には80歳などと想像しますと、
 立派に枯れた老人を想像していました。実際にその年を迎えますとあまり変化はなく、
 なかなか枯れることができないようです。しかし、やはり生活を単純化し、
 少しの社会とのかかわり、楽しいことと健康を中心の日常に移してゆきたいと考えています。
  80年の誕生日を迎えて思うことを述べてみます。 
  

 花  老いの想い” 

1・健康
   高齢期、特に80歳の大台に乗るといろいろと健康についての悩みが出て来るものです。
  出て来ると言うか、自分のこととして考えることが多くなりました。
   これから不幸にして病に侵された場合の対処方法など。「ピンピンころり」は難しいと
  言う覚悟をしておく必要があります。
  介護、看病などの準備と自分の意思を親族等に伝えておく必要があります。

   私自身は、医師の言いなりとならないこと、医師とチームを組み自分の意思をしっかりと
  伝えて自分の意思による治療をお願いしたいと考えています。
  そのためには、家族の協力なくしては成り立たないでしょう。
  病に侵された場合の治療に関する意思は、書き物として親族に伝えておきたいと考えています。
  その書き物は独りよがりではなく親族など関係者としっかりと打ち合わせをし、可能な限り
  世話をかけないことを考えたいものです。でもそれは難しいことです。

   普段から「お世話になります」と話しています。
  肉体的な衰えは自然に、逆らわず、ウイズ・エイジングと決めています。老いは自然として
  受け入れる。
  その為には、規則正しい食事と楽しい日常をこころがけて日々暮らしたいものです。
  常に妻は私の健康に気遣いを心掛けてくれています。感謝です。


2・欲
   欲には、色々な欲があります。高齢期となり、その欲を少し整理し身軽になることを考え
  ています。高齢期の方でも物欲だけは旺盛な方もよく見かけますが、私には、その心配は
  ありません。元々何もないからです。

   高齢と言われる方でも承認欲求(※)は決して衰えない方もいます。認められる為の行動
  でなく、自分自身の幸せの為の行動に切りかえて、仕事や地位はスマートに次世代に引き継ぎ
  たいものです。
  認められたい欲から脱却することを目指し、縁の下の力となれることができれば最高です。

   所属欲は、持ち続けたいと思っています。高齢期にふさわしい場所と位置を求めて出来る
  ことはやってゆきたいものです。高齢期になればなるほど一人では生きてゆけません。
  若い時代より、高齢期には多くの人々との助け合いが必要となって来ることでしょう。
  友達・地域・行政等などとチームを組むことが大切です。
  チームとは、一人一人が役割を担うことです。

   結晶性知能を生かして実感を生かして、社会に少しの貢献を果たしながら楽しみたいもの
  です。高齢期でも出来ることは多くあります。自分に出来ることを探してみたいものです。

3・枯れる
   色々な欲から脱却し、自分の立ち位置が安定しますと、きれいに枯れることができると思い
  ます。 梅の木は幹が枯れても空洞になっても花は咲いています。
  可能であれば今年も来年もその次も咲いていたいと思っていますが、無理には咲きたくなく、
  自然のままで生きてゆきたいと思っています。

    高齢期になり、きれいに枯れることができれば、多くの若者を引き付ける魅力があるように
   思います。その為には、心身共に健康である今が大切と考えます。
   ある日突然にきれいに枯れることはできません。適当な栄養と水が必要でしょう。
   規則正しい日常と言えると思います。
   きれいに枯れると命は営々と続くのではないでしょうか、人の心の中で生き続けるようです。

4・自分にできること
   高齢者の集まりに参加しますと「まだまだ何かができると」と考えている方、
 「誰かにしてもらいたい」というように考えている方と二つのタイプがあるようです。

  常に他人に頼る方は、老衰が早いようです。

   自分にできることをグループ内で、近隣の中で貢献している…。
  即ち、社会に対して何かを尽くそうと考えている場合は、知能も働き活性化しているようです。
  世間に溢れている認知症予防も良いことですが、社会より貰うことのみでなく、社会に何かの
  小さな貢献を考えているときは、生き生きしているように思えます。

   貢献は大きなことでなく、朝の挨拶でもチョットしたことに「ありがとう」でも、
  小さな子どもが信号を渡ろうとしている場合などそれとなく注意して見守るとか、
  人が気づかない小さな貢献は、いっぱいあります。

   誕生日を迎えて考えることは、自分にできる間は、小さな貢献を探し続け、
  一人で心身共にできないことが発生する場合には「助けて」と言える仲間作りを目指したい
  と考えています。

5・自己受容
   80年も生きてきました。苦しいこと、失敗等などと経験してきましたが、自分の過去を
  全て受け入れようと考えています。
  これまでの良いことも、悪いことも経験してこそ今の自分があると考えています。
  苦しかったことを乗り越えてきたからこそ、今があります。
  その意味からも現在の自分を受け入れることが大切であり、今の自分があると思います。
  全て、自己責任でもあると考えます。

   現状を否定的な気持ちで暮らす日常では、決して良い方向性が出てこないでしょう。
  80年生きて来て、良いことも悪いことも全て自分が作ってきた環境だと考えています。
 
梅の花 老いの想いとは…

   超高齢社会とか、介護や看護など終末は在宅で迎えることが最高によいと偉い先生方が
  話していますが、本当にそうでしょうか。
  私は、家族や妻など親族に最も世話をかけない終末を迎えたいと考えています。
  自分からは求めない。その状況状況で決めて欲しいと思っています。

   元気ないまですから、いろいろと希望を話すことはいいことかもしれませんが、
  老衰の末期や病気の末期に、自分の意思を伝えることができるでしょうか。
  介護にしても看病にしても簡単ではありません。
  介護者は、身もこころも大変な状況となります。

   老人施設でも病院でも家族さえ元気であれば在宅と同じような日々の中で最期を迎えること
  が出来ると考えています。
   介護疲れや看病疲れを背負う家族を想像したくありません。常ににこやかな家族で居て欲しい。
  この世で最も難しく大変な仕事は、介護や看病ではないでしょうか。



※ (参考) 承認欲求とは、

 「マズローの欲求5段階説」では5つの欲求(生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、
 自己実現欲求)のうちの4番目の欲求に位置付けられ、「他者から認められたい、尊敬されたい」
 と願う気持ちのことを指す


                          シニア ライフ アドバイザー 岡島 貞雄
                               


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