治療には、鍼灸やマッサージ、整体、気功など、色々な種類があります。そして、その手技や術には、それぞれ特徴や特性があり、それを受ける患者さんにも好みというものがあると思われます。
 
 治療を行う者は、一つの術、あるいは複数の術を用いて、目の前の患者さんを治療します。それは一回一回、治療という作品を作り上げるようなものだと私は考えております。

 私は気功を始めて10年以上になりますが、気功の修行とは、単に集中力や精神修養といったものだけではなく、“気”というものを感じる事の出来る体造り、“気”というものをコントロール出来る体造り、“気”を発する事の出来る体造り、といったように、体造りという事が非常に重要で、それは決して避けては通れないし、それはそこから始まると考えております。

 そして、その体造りをより厳密に、より緻密に、一つ一つ丁寧に確実に行う事によって、いわゆる、丹田の意識であったり、自分の体の軸といったようなものが認識出来るようになってくると、ようやく最近分かってきました。そしてまた、その過程を更に積み上げていく事によって、今まで感じ無かった感覚が生まれてきたり、今まで見えなかったものが見えるようになってくるという事も分かって参りました。

 このような経験から、私は、今、治療というものに関してある考えに至っております。それは「治療を行う者が、あるレベルを超えた体を造りあげる事が出来たならば、どの種類の治療を用いても同じような結果は導き出せる。」というものであります。それはつまり、鍼灸でも、気功でも、整体でも、治療を行う者の体が出来ていれば、行き着く治療の方向性、結果はほぼ同じであるという事です。

 10年以上も前に、私は気功に関する本を読んだ事があります。そこには、ある中国人の鍼灸師の治療の事が書かれてありました。それは、腹にあるたった一つのツボ(経穴)に、針を一刺しするだけで、どんな病気も治療してしまうという“無極針”というものでした。

 それを読んだ当時、私は、恐らくそういう事が出来る人は居るんだろうなと素直に受け入れる事は出来ましたが、どうしてそういう事が出来るのか、どうしてそれが治療として成り立つのか、全くもって見当が付きませんでした。ただ単に“特殊能力”という言葉でしか解釈出来ませんでした。

 しかし、あれから10年以上が経ち、諸先輩方や多くの先生方にご指導頂き、今は私なりに、“無極針”に対するひとつの治療理論的解釈があります。

 中医学に「一脈通じれば百脈通じる」という言葉があります。それはつまり、「一つの脈が滞り無くつながれば、すべての脈も滞り無くつながる」という意味です。
 
 もしも、これが事実であるとするならば、ひとつのツボ(経穴)の一刺しで、一脈を通じる事が出来たならば、百脈が通じ、あらゆる病気の治療は出来るという事となります。つまり、“無極針”という治療が理論的に成り立つという事となります。 

 ただし、ここで当然のことながら、治療を行う方の立場からすれば、「では、一体どうやって、そのひとつのツボ(経穴)を選び、そして、その選んだツボ(経穴)にどのように針を刺せば一脈を通すことが出来るのか?」という事となってくると思われます。

 これは、前述した “体を造る”という事が答えとなります。それは決して特殊能力とかといったものでは無く
、造り上げていく事によって、感じれるようになるもの、見えるようになってくるものというものがあります。そして、その獲得しえた感覚をもってすれば、その一穴(ツボ)を選び、一脈を通す為の一刺しが出来ると私は信じております。

 かつて、私の鍼灸の師匠は言われました。「自分と同じ事が出来る者がいるのなら、自分が鍼灸師である必要はない」と。

 天下無双。 あとはどこまでやれるのか、それだけであると考えております。

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