■Mexico Mexicocity/Cuerunavaca■
2002年夏、Kettyがメキシコへ行きました。写真を交えた報告です。
8月4日〜13日 メキシコシティー、クエルナバッカでホームステイと合宿
この夏、MEXICOへホームステイに出かけた。 ヒッポのメンバーになって8年、いろいろなことばと人との出会いを楽しんできた。夫のヤッピィが、96年にメキシコ・シティへ出かけたり、娘が98年にチワワへ行ったり、あるいは、受け入れをするうち、MEXICOは「いつかは必ず行きたい国」になっていた。 今回はホームステイだけでなく、ヒッポのメンバーたちとの『合宿』もあり、より多くの友だちができるといいな…。中2、高1、大学生の3人の子どもたち、夫に留守を任せて、ひとりで冒険に出かけることにした。 |
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準備として、CDを歌うことも楽しかったが、4月にMEXICOから日本に滞在中のPaolaを受け入れたことが、とても大きな刺激となった。その当時、Paola(18歳)は日本へ来て1ヶ月余り(メンバーになって10ヶ月)、神奈川県にホームステイして、ヒッポの東京本部のサポートをしながら、日本での生活を楽しんでいた。 | |
日本語をナチュラルに 話すPaola (Mexicoの合宿で) |
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ナチュラルな日本語を話すので、「どうして、そんなに話せるの?」と聞いたら、「だって、ヒッポのメンバーだもんあたりまえだよね!」との答え。我家にいる2泊3日の間に、その秘密が知りたいなと思いながら、彼女を見ていた。いつもニコニコしていて、一生懸命に会話する。メタ活しながら、話を聞いて、よくそれを繰り返す。好奇心が旺盛で、知らないと思うことにはよく反応して、「わかりたい!」って気持ちが伝わってくる。「自分のこともわかってもらいたい!」ってとても前向き。 冬のMEXICO合宿に参加したともちゃん(関西のフェロウ)が言っていた「コラソン・アビエルト」の意味が実感できた。私がスペイン語で自己紹介したり、ありったけで話すと、「すごーい!」と誉めてくれ、「CDをいっぱい歌って、MEXICOでいっぱい音をだして、帰ってきていっぱい話したら、もっともっと話せるようになるよ!」そんな嬉しいアドバイスもしてくれた。 それから、私なりの「Que es HIPPO?(ヒッポは何?)」をスペイン語で話し始めた。 ヒッポを始めた頃、とてつもなく速いスペイン語、巻き舌もまったくできなかった。「私にはとても無理!」とあきらめつつも、交流の体験談や受入れなどでスペイン語を話す人と出会うにつれ、そのメロディやリズムが心地よく、マネできるようになってきたことを、自分の精一杯の音を出しながら話すと、また次には別の音も浮かんできて、「こんなふうにも言いたい!」と増えていった。ヒッポのメンバーに向かって話していると、みんなもありったけの音でこたえながら受け止めてくれる。話すのが嬉しいことばになった。 |
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大阪から、成田、ロスアンジェルスを経由してようやくたどり着いたメキシコ・シティ。 北海道、関東、中部、大阪といろいろな地域から集まった4歳の女の子を含む16家族19名。それぞれにこのホームステイ&合宿への想いがふくらんでいる。飛行機の中で話したり、ロスアンジェルスでのトラブル(飛行機の故障で、8時間余、待ち時間があった。)もみんなで乗り越えたので、すでに心強い「仲間たち」だ。 ホテルでの対面式では、MEXICOメンバーが突然、「さいしょ…なんていうんだっけ…How do you do?かな……♪」歌い始めた。とても自然で、CDそっくりの日本語!みんなが気持ち良さそうに口ずさんでいるのは、まぎれもない日本語!日本から来た仲間たちは驚きと感動でウルウルしている。「『歌う』ってすごい!」改めて思った。これから始まるホームステイと合宿が楽しみでたまらなくなった。 私のMEXICOの家族は、ヒッポメンバーになって1年あまりのパパ・Mauro(24歳)、ママ・Adriana(31歳)、8歳だけれどお姉さんのNancy。大きなパパとママがクエルナヴァッカ(メキシコ・シティから車で1時間半の町)で待っていてくれた。それに、アメリカから来たJane。ボストンでヒッポのスタッフをしていて、同じ部屋でステイした、とても頼りになるお姉さん。 |
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Host Familia 左から
Adriana (Mama) |
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対面式の後、Mauroたちが、「ソロヒコへ行こう!」と言った時、ソロヒコがわからないので、「ケ エス ソロヒコ?」とたずねていた私。「エレファンテなんかがいるよー」と言われ、動物園カナ?と思っていたらその通り。 でも車で行ってみたら、「セラード!」 残念。次に「ムセオ」へも行ってみたが、また「セラード!」「ああ、きょうはルネスだからね。」 月曜日は日本と同じでお休みが多いらしい。 はじめに、「セラード」を聞いたときは、意味はもちろん、繰り返すこともできなかったが、何度か同じような場面に遭遇するうちに、その音と状況がわかってくる。 車の中では「カンタモス!」と韓国語、フランス語、中国語、スペイン語、英語、ドイツ語、日本語…次々とみんなで一緒に歌った。今までアメリカ、日本、メキシコと場所は違っても、同じCDをいつも聞いて、歌っているから同じメロディを口ずさめる。みんなで「合唱」になる。 当たり前といえば当たり前、でもすごく嬉しい!地球の裏側にこんな素敵な仲間たちがいる!もちろん、スペイン語がベースだったが、どんなことばでもOKで、共有しているCDの音を出していくことがとても心地よく、楽しい! Nancyが「ヴェン!」と言って、部屋中を案内してくれた時は、かぼちゃんやさとみん(関西のフェロウ)がMEXICOの交流報告で話していたことがうかんできた。音を聞いたとたんに、その時の状景が思い出される。「記憶」って不思議。 |
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Casa de Mexico アマディーリオ(黄色)のお家 |
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Frutasいっぱいの 朝食 この写真にはアワカッテが |
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最初の朝、たくさんの果物がならんだ食卓で、「バモサ コメール!!」。 果物のひとつをゆびさして、「ケ セ ソ?」と聞くと、「エステス アワカッテ。」 え?わかって?日本語みたいと思い、「音が日本語の『わかった』と似ているね。ほら、CDの空港の場面に、『あ、わかった、髪を切ったんでしょう!…♪』のフレーズがあるじゃないの!」と言ったら、「エンティエンド!」。 この「わかった!−エンティエンド!」は手を打つポーズとともに、私たちの合言葉になり、ステイ中、ずいぶん口にした。CDを歌っていて音は知っているけれど、その意味はわからないことばも、やりとりのなかで、くっきりとする…こんなことが、CDを共有している仲間だから、いっしょに楽しめる。 出かける前に、Adrianaが「………〜?」と言ったので、どうもバーニョのあたりをきれいにしてきて…と言われているような気がして、よくわからないまま、お風呂の足ふきタオルをハンガーにかけた。でも、Adrianaはニコニコしながら、ごみ入れを持ってきて、「バスーラ……」。 実は、バーニョのごみを捨てるように…とのことだった。まあ、ちょっと近いけれど、「空振り!」。 はじめの1〜2日はこんなことがよくあったし、なんども聞きなおしたりしていた。 数字を教えてもらって、時間が言えるようになると、MauroやAdrianaは時々「ケ オラ…?」とたずねてくれるようになった。最初はスムースに答えられず、パニックになったが、だんだんと言えるようになった。Janeが助けてくれることもあった。 そのうちに「ヌエベ イ メディア!(9時30分)」とスラスラ言えるようになっていった。私よりももっと嬉しそうに見守ってくれるパパとママ。時間のことはそれほど必要ではなかったけれど、いつも、私に話しかけてくれる格好の話題だった。 |
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Colores Nancyのランチョンマット |
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「色」のことでもずいぶん遊んだ。 |
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Mercado クエルナバッカの市場 |
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Zocaro de Mexico メキシコ市の中心部 |
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話しかけられるとマネをして繰り返す。何度か同じフレーズに出会うと、なんとなくわかっていく。 例えば、「エスタ…」や「ノ・アイ…」は聞いているうちに意味もわかり、自分も口にしていた。 「デスプエス」もよく聞くので、何かな?と思っているうちに、意味もわかり、自分も使えるようになった。ヒッポのCDにあるかな?と思ってみたが、よくわからない。 そんな時、食事が終わって、Mauroが「ごちそうさま!」とCDそっくりに言ったとたん、「デスプエス デ コメール」とことばが出た。CDのフレーズがそのままにひっぱりだされた。メタ活はしていたが、歌える場面ではなかったのに。日本へ帰ってCDをつけたら、今までは気がつかなかった「デスプエス」があちらこちらに見つかる。ほんとに不思議! MEXICOで、わからないことはもちろんあったけど、おぼろげに理解できたし、言いたいことも表現して、それほど困ることもなくすごした。スペイン語のメロディに気持ちを乗せると、相手がその意味を受取ってくれる、とにかく、音が意味を運んでくれる。 年下のパパ・Mauroやママ・Adrianaに甘えると、「ミ チキータ イーハ ケティ!」と言いながら抱きしめてくれた。 Nancyは自分のぬいぐるみを寝る時のために貸してくれたり、「色」や「算数」を教えてくれたり、ほんとに優しいお姉さん。 いつもおいしいお料理、タコスやフルーツでもてなしてくれたママ。 ゆかたを着せてあげたら、踊り出したひょうきんなパパ。知的で物静かだけど、ユーモアたっぷりのJane。 素敵な家族と出会い、素晴らしいホームステイだった。 |
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9月の末にMEXICOから帰国したLeoくんから聞いた後日談 (彼は大学卒業後、1年4ヶ月MEXICOのヒッポでインターンとして働いていた。) |
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Mercado クエルナバッカの市場 |
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ステイ中、お好み焼きを作るために買い物に出かけた時、キャベツを買ってから、「他にどんなものがいる?」ときかれて、「セルディット!」と答えたらしい。(そのやりとりを私はおぼえていない。) 私としては豚肉が欲しかったので、そう言って、ちゃんと買って帰った。 その時どうしてこんなことばが飛び出したのか、わからない。よくよく思い出してみると、その子やカバジンのCDに出てくる! でも、この言い方は「子豚ちゃんまるごと一匹!」て感じらしい。それは、Mauroたちにとって、とてもおもしろくて大笑いするエピソード。「言いたいことはなんでも言えた!」と思っていた私としてはちょっと恥ずかしいけれど、その時々自分の精一杯の表現をして、ちゃんと受けとってくれていたホスト。 赤ちゃんみたいな私をまるごと受け入れてくれていたんだね。そんなプロセスも共有できるのが、嬉しい!もっと笑い転げるようなエピソードが他にもあるかも…。次に会ったとき、聞きたいな。(^。^) |
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Congreso おとな、子ども合わせて総勢150名(?)のヒッポメンバー。 メキシコ・シティ、チワワ、アメリカ、日本からは、青少年交流の子どもたちも集まった。 |
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Teporuzan クエルナバッカ近郊 テポルツァン・ピラミッドへのハイキングからスタート。山頂まで、岩ごろごろの険しい道を2時間弱。みんなヘトヘト。とてもハードで、帰りには足がつりそうになった。 「ムチョ カンサード!」と言ったら、チワワから来たMiguelが「カンサディッシモ!!」と叫んだ。ほんと、最上級。でも、みんなの笑顔は最高だった。 |
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メヒコ・アメリカ・日本のボニータたちといっぱいお話して友達になりました |
名札をぶらさげて、始めて出会う仲間たちと自己紹介したり、紙芝居したりしながら、ともだちになっていった。こんなに必要ないカナ…と思いながらも、持ってきた100枚の名刺と扇町のメンバーが和紙で作ってくれた名刺入れは、ほとんどなくなってしまった。 |
「一歩前に!」の気持ちでよりたくさんの人たちと話し、みんなが心地よく過ごせるよう、それぞれが思いやる。広い部屋に集まって、SADAもメタ活もお話タイムも一緒に楽しんだ。メキシコ・シティのメンバーがていねいに準備してきたことがよくわかる。 |
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とてもシンプルだけど、みんなのエネルギーが集まって、共振する。汗を流して踊ったり、ニコニコ笑ったり、感動して涙ぐんだり、ほんとに楽しい。こんなふうに、人と人がつながっていけたら素敵…。 ふだんのファミリーも、みんなの気持ちが集まると心地よい。どこでも同じこと。 みんなの気持ちが「スペシャルメンテ!」 みんなが大きな家族。 みんな、みんな、ありがとう! Gracias a todos! VIVA MEXICO! VIVA HIPPO! |
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友 Tシャツをプレゼント ホストに手作りの「友」Tシャツが大受け!!
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♪♪ 私のホスト、Mauro&Adrianaは、10/5に講演会をして新しいファミリーを始めました。 |