■France Angers 1997■

1997年8月にフランスのアンジェに行ったケティとアカネ(小3)。

-1-にはケティの報告を、-2-にはアカネの報告を載せました。
ここ-2-のは
アカネの報告ですょ☆☆

フランスで大発見

ボンジュール ジュマペーウ アカネ フジモト。アプレモア ルージュ。ルージュ シルブプレ……。 メルスィボクゥ。 ドマファミィ リアパパァ マモォ ムヘデナリ ヨウヘイ マシィアニア アオイ エモア。 アンシャンテ。

アカネです。今年の夏、フランスのアンジェに行ってホームステイをし、いろいろな体験をしてきました。 お母さんといっしょに二人で行ってきました。フランスに行って友達が3人もできました。キティ、まきちゃん、ななちゃんというニックネームの子です。

私の行ったところのホストは、出発の3日前、8月14日の朝早く5時前にやっと決定したのか、フランスから私の家にファックスが届きました。その時間は、私は寝ていたけれど……。

ホストと対面 

「Jean-Louis AMIOT」これがホストの名前。ホスト家族は、パパのJean-Louis のほか、マモの「Francoise AMIOT」と息子の「Sylvain AMIOT」の3人です。アンジェの駅でホストと対面式。とてもどきどきしました。パリからアンジェまでのフランスの新幹線TGVの中で、いっしょにステイするサングリア(横浜の加藤さん)にホストの写真を一度見せてもらいましたが、もうどきどきして顔を忘れてしまいました。でも、TGVから降りる時だったので、もう一度見ることは無理。お母さんやサングリアに言うと笑い飛ばされてしまいました。「顔を忘れてもサングリアが覚えているから大丈夫だろう」と思い、TGVを降りました。

降りてみると少し人の集まりがあり、どうやらそこにホストたちがいるようです。
「あ、いたいた。」
サングリアの声。たくさんの人がいるので、よくわかりませんでした。そういえば、写真で見たことがあるような人が……。
「ボンジューウ。」
お母さんやサングリアがパパやマモと話をしているようです。パパはとってもやさしそうでひょうひょうとしています。マモもうれしそうです。あと、とても背の高いひげが生えた若い男の人が立っていました。その人はすぐにサングリアやお母さんと握手をして、
「シルバンです。」
と言いました。日本語でした。どうやら、シルバンは日本の高校に1年間留学したことがあるようで、18歳だそうです。サングリアとはその時に横浜で知り合ったそうです。パパはアンジェ交流のお世話係で、みんなが対面したのを確認していました。キティちゃんは、7歳と9歳ぐらいの女の子がホストのようです。私のホストは同じくらいの年の子がいないので、思わず、「いいなあ」とつぶやいてしまいました。

ゴリラとビーズしたメゾン 

メゾンは、フランスの田舎にある家だけあってとても広いです。「私の日本の家と全く違う」と思ってしまいました。1階、2階、半地下まであります。思わずお母さんと、
「この家は探検のしがいがありそうだね。」とささやき合うほどでした。

庭には、な、な、なんとム、ム、ムトンがいる……こ、こ、これはもうびっくり。羊を生で見るのは初めてです。そのムトンにえさをあげました。でも、ムトンはメス1頭だけでした。名前は「ホンダ」というそうです。前に来た日本人がつけたそうです。後で聞いたら、前にはオスも1頭いたけど、食べてしまったと言っていました。あと、庭にりんご、洋梨、さらにプルンという見かけはブドウの大きくしたようなかんじで味は桃に似たものがなっていました。桃好きの私は大喜びでした。ほかに、黄桃のような味で見かけはりんごと桃の間のようなアプリコットという果物の木もありました。台所にプルンやアプリコットの実が採ってあるので、おなかがすいたりした時に食べていました。庭の前の方には、バッタがたくさんいました。

家の中もとても広くてきれいで、半地下はカーブというお酒を置くところもありました。台所にも半地下にも冷蔵庫がありました。半地下の方の冷蔵庫の隣に大きいアイスボックスがあって、アイスがどっさりありました。1階にはお母さんと私、そしてサングリアの部屋もちゃんとありました。そのほかにも、2階にシルバンの部屋やパパ、マモの寝室がありました。

お母さんと私の部屋には、ベッドと、その横には布団のようで布団とちょっと違う布団らしきものがありました。 ドアの横には大きいゴリラがいました。頭と体を合わせると、な、なんと70cm! しかも、その半分あまりが顔です。顔は、私のお父さんよりもずーっと大きくてびっくり。私は部屋を出入りする時に、そのぬいぐるみとは思えないほど大きなゴリラといつもビーズ(チュッを何回もするフランスのあいさつ)をして、他の人とする練習をしていました。しかも、そのゴリラはシルバンが14歳の頃まで、車で出かける時はシートベルトをつけて、歩く時は手をつないでいたそうです。

親切なマモ 同じぐらいの子がいないので、つまらなさそうにしていると、マモが
「あかねー。」
と呼んだので、ついて行きました。そのままついて行くと、2階に行きました。すると、2さつぐらいうすい物を取り出して、私にくれました。下に行って見てみると、片方は紙の着せ替え人形で、もう片方は、こすったら絵が出てくるような物でした。それは、私がつまらない時、遊ぶことができて役に立ちました。
アンジェのいろいろなところに行ったよ 

マモが、
「お城に行こう。」と言ってくれました。
お城に行く前に、病院の博物館みたいなところに行きました。そこには絵が展示されていて、マモが
「今年は日本とフランスの年だ。」
と言っていました。今年は日本とフランスの絵を飾る年だそうです。絵は両側で日本とフランスに分かれているみたいで、日本の方から見ていました。日本の絵は「広島の原爆」ばっかりでした。死の灰の絵がありました。フランスの方には、「平和を多くしましょう」みたいな感じの明るい絵が2枚くらいありました。

お城に着くと、堀を渡って中に入りました。すると中にたくさん建物がありました。その中の展望台みたいなものがあったので、そこに行きました。それからチャペルに行きました。展望台からカテドラル(大きな教会)が見えました。マモが、

「さっき見たカテドラルに行くか、マモのパパのところに行くか?」と聞きました。私は、
「マモのパパのところ。」
と言って、お母さんがマモに伝えて連れていってもらいました。
「お城から意外に近くて、5分もかからない。」
と言っていました。でも、信号があったので5分ちょっとかかりました。
この家もとても広い家だったので、お母さんと
「この家も探検のしがいがありそうだね。」
とないしょ話をしたほどでした。
それから、パパの弟の家に行って、そこでご飯を食べたり、テレビをたりしました。

カンパイアンジュのパーティ 

アンジェの人たちと日本人のパーティに行きました。途中、パパの会社によってナイフやフォークをとって行きました。パーティの会場もパパが鍵を持っているので、まだ誰も来ていません。パパは「カンパイアンジュ」というグループのリーダーで、パーティのお世話をしています。私たちがお寿司を作っていると、少しだけ人が来て手伝ってくれました。みんなが来てパーティが始まり、お寿司を出すと大好評で、すぐになくなってしまいました。

日本の人はゆかたを着ている人がたくさんいました。私もお母さんも着ていました。新聞の人が来て写真を撮っていました。

会場の森の木にブランコがあったので遊んでいました。でも、3つあったけど壊れて1つしか使えませんでした。そのうち、子供たちがブランコを見つけてだんだんこっちに来たので、1人3分制限になりました。私が乗っている時に、赤い服を着たフランスの女の子が背中を押してくれたので、
「メルスィ。」
と言いました。その子の番になった時、私が押してあげるとうれしそうに笑いました。
それから、その子が鬼のまねをして走るまねをして、そばにいた友達にタッチするマネをしたので、私は「鬼ごっこをするんだなあ」と思って
「ウィ。」
と言いました。すると、その子は急に私の手をひっぱってその子の友達のところに行きました。それから、鬼ごっこをしました。しばらく遊んで、とても疲れたので、私はその子に、
「ノン、アプレ。」(いいえ、あとで)
と言って少し休みました。

お母さんが、
「茜のゆかた着せてあげたら?」
と言ったので、着せてあげました。私の背は低い方なので、その子の背がたかいのか、足がひざぐらいまで出ていました。
その時、お母さんが、
「名前は?」
とフランス語で聞いたら、その子は
「アレクサンドラ」
と言いました。となりにいた、いっしょに鬼ごっこをした友達は、
「ルイザ」「スィ……(よく分からない)」
次は歳を聞きました。アレクサンドラは9歳でした。私は8歳だから、9歳が2人、8歳が2人になって「ぴったりだな」と思いました。

アンジェの美術の学校 

アンジェの美術の学校に行きました。入ってみると、とても大きい建物で、ステンシルをしたり、いろんな絵が飾ってあったり売ったりしていました。竹で作ったペンでフランス語を書いている人がいたので、じっと見ているとその人も気がつきました。私たちのことを、パパが
「日本から来た。」
とか説明してくれました。そこでその人は、いろいろな字を書いてくれたり見せてくれました。「AKANE」いう字も書いてもらいました。どうやら、お母さんの趣味がトールペインティングだと言っていたから、パパがこの美術の学校に連れて行ってくれたようです。

アレクサンドラが来た 美術の学校から帰った後、家にアレクサンドラといとこが来ていました。アレクサンドラは早く着いたけど、私たちが家に帰るのが遅かったみたいで、アレクサンドラは、家の庭でバッタ採りをしていました。あとで私もパパにビンをもらって、いっしょにバッタを入れました。アレクサンドラといとこと私でバッタ取りをしていると、アレクサンドラやいとこは取るのが少し遅かったです。はじめ少し不思議だったのは、いとこがアレクサンドラのことを、
「アレック。」
と呼んでいました。でも、「アレクサンドラ≠セから、いいか。」と思いました。
そのあと、庭でご飯を食べました。人数が多いので、子供は小さいテーブルで、大人は大きいテーブルで食べました。お母さんとお好み焼きを作りました。飲み物は、いちごのシロップにドロー(水)を入れたものを飲みました。大人たちは盛り上がっていました。仕方がないので、私は家の中でアレクサンドラたちに折り紙を教えてあげました。

雨が降ってきたので、テーブルを中に入れました。入れ終わった直後に雨が止みました。大人たちは、それをきっかけに家の中へ入りました。そのあと、手紙を書いてアレクサンドラに渡し、アレクサンドラと別れました。

パリのクイックレストラン 

アンジェのアミューさんちでホームステイが終わって、来たときと同じようにTGVに乗ってパリに戻りました。パリで、日本と違ういろいろなものを発見しました。

フランスにも、マクドナルドがありました。ほかにも、いろいろな外食屋さんがあったけど、アンジェのホームステイ中は、一度もお店に食べに行ったことはありませんでした。毎日アミューさんの庭とかで、ごちそうを食べていたからです。

パリでは、外食に3回行きました。マクドナルドには行かなかったけど、その最後の夜、「クイックレストラン」というハンバーガー屋さんに行きました。クイックはお店がすいていたけど、できるのがとても遅いので待っている時間が退屈でした。お店の中にトランポリンがあったけど、6歳までだったので私はできませんでした。

銀色の玉 パリのホテルで、
「銀色の玉がホテルの向こうにあるよ。」
とヒッポのバンビーナとヨッシーが教えてくれたので、行ってみることにしました。玉の近くに公園がありました。銀色の玉のところで写真を撮りました。それから公園で少し遊んで、急いでホテルに戻りました。後で分かったんだけど、その銀色のものすごく大きな玉は映画館でした。
パリのポスト 

日本のポストは赤だけど、フランスのポストは黄色でした。しかも、日本のとは形が違って、フランス人みたいに背が高かったです。入れるところは日本と同じで2つありました。それから、郵便局の建物も黄色が目印で、郵便自動車も何か黄色と青色で鳥みたいなマークがありました。郵便配達の人も黄色と青の服に白いペリカンみたいなマークがあったと思います。

パリの街をそうじする人 パリのバスの中でガイドの人が、
「パリの街のそうじは、緑色の服を着た人が緑色のほうきを持って、緑色のちりとりでゴミを取っています。」
と言っていました。大人はみんな笑っていたけど、私は「ほんとうかな?」と思いました。

それで、バスの中から一生けんめい見ていると、それが本当だったのですごいと思いました。その上、そうじをする人が乗って動かしている機械も緑色で、おまけにゴミ箱も緑色だったので、びっくりしました。

私は、フランスに行けてとてもよかったなぁ、と思います。フランスのいろいろなことを学び、教えてもらいました。私のニックネーム、ルージュ≠焉Aフランス語の赤$Fの意味です。キティもこの旅行で、ニックネームが、キキ≠ノ変わったそうです。

ものすごく素敵なアミューさんたちと会えたし、アレクサンドラとかいろんな友達ともとてもなかよくなりました。

フランスが、身近に思います。

フランスは遠いけど、ぜひまた行きたいです。

  

 

 

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