■France Angers 1997■
1997年8月にフランスのアンジェに行ったケティとアカネ。
-1-にはケティの報告を、-2-にはアカネの報告を載せました。
ここは-1-のケティの報告ですョ★
ANGERS(アンジェ)の風景 |
Bonjour!Je
m'appelle Ketty. Dans ma famille, il y a mon mari Yappy,mon fils Yohei, deux fille Aoi et Akane. Enchantee! ヒッポに入って3年半、家族5人で楽しく参加しています。阪神大震災の後、大阪市内へ転宅してからも土曜日の豊中ファミリーへ毎週のように通っているのは、親子ともに同世代の仲間と会えるから。2年前の夏、家族みんなでウラジオストックへホームステイに出かけた体験は、我が家にとってとても大切な共有財産となった。「狭い!」とボヤキながら17回も受け入れをしていろいろな国の人たちとの出逢いを楽しんできた。去年は、ゴールデンウィークに夫ヤッピィ()がメキシコ、夏休みに長男アマゾン(陽平)がアメリカのカンザスへ出かけて、新しい家族が増えた。 そして、今年の夏は…。 アマゾン(陽平)はカナダのケベック州へ1ヶ月、パラン(葵)は韓国へ2週間、ケティとルージュ(アカネ)がフランスのアンジェへ10日間のホームステイ。 |
「リリーン リリーン…」電話が鳴った。8月14日午前5時少し前。ヤッピィがすばやく「もしもし… なんやFAXや…」その声にいつもは目覚めの悪い私がガバッと飛び起きた。もしかしたら…の予感通り、フランスのアンジェで交流のコーディネーターをしているAMIOTさんから。17日出発というのに10日過ぎてもホストが決まらず、東京本部の上斗米さんと何度となく連絡を取り、もうそろそろ…心配と不安が募っていた。 FAXにはフランス語とすこし英語で、「ホストを探していたが見つからないのでAMIOT家へ来てください、横浜の加藤さんも一緒だけれど問題ない、楽しみに待っているから…」というメッセージと家族の紹介が書いてあった。大体のことが分かったので「ホストが決まって嬉しい、早くアンジェへ行きたい!よろしく!」とすぐに返事を書いた。 私たちを待っていてくれる家族が決まり、ほっとすると同時に8月2日〜7日まで受け入れた韓国のKoppanji(LEX KOREAのオンマ)のことを思い出した。彼女はパリへ留学した経験があり、私と茜がフランスへ行くのでステイ中はフランス語、日本語、韓国語、英語が飛び交う多言語の充実した交流を楽しんだばかり。AMIOT家のSylvainは4年程前からのヒッポとの交流の中で日本に興味を持ち、昨年横浜の高校へ留学(1年弱)。今年の7月、フランスへ戻る前に韓国へ旅行した時、Koppanjiと友達になり、AMIOT家とE-mailのやり取りをしている。 「とてもいい人達だからAMIOTさんの所へ行けたらいいね。」と言っていた彼女の言葉が現実となった。「人と人との出逢いは偶然でなく必然。前世からの因縁で決まっている。」彼女の哲学?が真実と思えなくもない。早速、Koppanjiにホストのことを電話で知らせた。(後でAMIOT家に着いてわかったが、やはりKoppanjiは私と茜のことを流暢なフランス語でE-mailを書いて送ってくれていた。とても嬉しかった。) |
8月17日(日)いよいよ出発の日。朝、伊丹空港までヤッピィと葵が見送ってくれた。この後、葵はケティの実家で3日間過ごすことになっている。ヤッピィは一人の静かな時を過ごすのだろうか。23日には陽平がカナダから帰国する。私と茜が27日に戻るまでだいじょうぶかしら?とほんの少し心配になったが、伊丹空港の搭乗口を通ったらホームステイのことで頭がいっぱい、これからの10日間を思うと留守宅のことなどどこかへ行ってしまった。心地よい緊張と期待、ちょっと開放感 、新しい出逢いが楽しみ。 成田から約12時間のフライトでパリのシャルル・ド・ゴール空港に到着。ホテルに泊まり、18日朝、TGVにてANGERSへ。駅のホームにはホスト家族が来ていて、いきなり対面。パパのJean-Louis、ママのFrancoise、Sylvainが暖かく迎えてくれた。他の家族の対面を確かめてから、私と茜はパパが運転する紺色のワーゲン、サングリアはママと一緒にシルバンが運転する赤のワーゲンに分乗してメゾンへ。 素敵な町並みを走り抜け、アンジェの郊外の方へ15分位。時々ジャン・リュイが何か話しかけてくれるがわかるようなわからないような…。 とうもろこし畑!「セ・クワァ・サ?」ジャン・リュイに聞くと「マイス!」。そういえばその子テープにあるある!なんだか嬉しくなってセ・クワァ・サ?の連発。デ・バーシュやムトンを確認した。ひまわり畑を通り過ぎ、到着。 「セ・マニフィーク!ジュナイフパイクア!」これは是非とも言いたかったフレーズ。ジャン・リュイがニヤリ。ここではお定まりのセリフなのだろう。 |
AMIOTO家は3〜4年前から何度も受け入れを経験し、ヒッポのことをよく理解して最近はアンジェのお世話係をしている。95年の春には夫婦で日本へ行ったこともあり、息子のシルバンは横浜のケンシさんの家にホームステイして高校留学。「ジュ・スィ・アン・ベベ・オン・フランセ。ジュブ・エクスチャンドフランセ・ボクゥ。ジュブ・パァレフランセ・ボクゥボクゥ。」自己紹介の時、精一杯自分の気持ちを伝えるとジャン・リュイもフランちゃんも「ウィ!」大きく頷いてくれた。意味はよくわからないけれど、テープと同じで心地よいメロディが流れ、その中に知っている音を聞き取ると、大まかな全体を想像してしまう。2年前にロシアへ行った時は、まだテープもほとんど歌えなくて、それでも何とかコミニケイションし交流を楽しんで来た。今は体の中でヒッポのテープが回っているような気がする。 AMIOT家では、フランス語がほとんどだったが、はっきりとしたこと(予定の時間や間違えると困ることなど)はジャン・リュイが英語で確認してくれた。シルバンには日本語で話しかけたり、フランス語のことを教えてもらったり。茜から「なんて言っているの?」と聞かれた時はわかる範囲で答えてやり、サングリアと日本語で話すこともあった。ジャン・リュイもフランちゃんも少しだけ日本語を知っていたし、とても興味を持っていて会話するのがとても楽しかった。「根回し」のようなちょっと特殊な言葉をジャン・リュイが使った時は、え?と驚いた。「半分半分」もHの発音が難しいので「あんぶんあんぶん」。フランス語では「モチモチ」と教えてもらい大笑い。韓国語の「ケンチャナヨ」は何ていうのカナ?「ノン・プロブレム?」と聞いてみたら「ノンノン。パ・プロブレム!」あ、そうか、ダ・コゥー。「モンダイナァイ!」フランちゃんの右上がりの言い回しが忘れられない。何語で話すか、それはそれほど問題じゃなく、いかにコミニケイションするか、一緒にいる人と楽しく過ごすかがとても大切。 |
「GEANT」という大きなショッピングセンターへ買い物に行った時、茜が「トイレに行きたい!」と言いだした。これは覚えておかないと…と準備していたので、さっそく「ワララ・サルデュバン?」とフランちゃんに聞いてみた。「ウィ」と大きく頷いて、こっちこっちと連れていってくれた。ME(ところが)、たどり着いたのは「バス・トイレ用品」の売場。??そうなんだけど…。「ノン・ノン、トワァレット」慌てて言い直すと「ダコゥー、ピピ」とわかってもらえた。ああ、よかった。 AMIOT家での日が経つに連れ、何となくわかることが増えてきた。岩城ヒデ子さんがホストと一緒に夕食に来られた時も「なぜフランスへ来たのか?」と聞かれ、フランス語だけでは表現できずもどかしかった。赤ちゃんとして精一杯なのだがもっともっと話したい!テープをいっぱい聞いて溢れるほどにため込んで「もう一度来たい!」 茜の口からも自然にウィ、ノン、メルシィ…と出てくるようになり、パパやママの言葉はかなりわかるようになった。パーティでは「おにごっこ」で走り回ったり、友達になったアレクサンドラに折り紙を教えてあげたり、子供同士でなんとか遊んでいた。そんな茜の様子に「アカネ スゴイ!」とフランちゃんも嬉しそう。「孫娘のローラがいたら…。」とジャン・リュイ。FAXの家族紹介には、長男ジェロームにローラ(7歳)と書いてあったので、茜は一緒に遊ぶのを楽しみにしていた。彼女はキャンプに行っていて結局会えず、残念だった。 テープが頭の中でまわり、口に出してみると受け取ってくれる人がいる。ジャン・リュイがテーブルのセッティングを教えてくれた時、「アドア コットー、ラゴッシュ …」お皿を真ん中にナイフとフォーク。その子テープの「右が左で左が右で」の場面を口ずさみ、ああそうだったのかと納得。テープの一節を時々ブツブツと言っていると、「そうヒッポのテープだね。」と微笑んでくれる。私達だけじゃなく、ここへ来たヒッポの人はみんなこんな風にしていたに違いない。新潟のゴマちゃんや神戸のこうちゃん、東京本部の上斗米さん、横浜のケンシさん一家、直接知らないのにAMIOTを通して急に近い人達になる、不思議な出逢い。ヒッポならではのことかもしれない。 |
コットー(ナイフ)と言えば、ジャン・リュイには大切にしている自分専用のがあった。食事の時はもちろん、調理の時にも使えるし半分に折り畳んで携帯できる。25年位使っているらしい。野菜を切る時に使っていたら「これは僕のだからこっちのコットーをどうぞ!」刃の部分も時々磨いている。ショッピングに行った時、男性用品のお店にはバラエティ豊かに飾られていた。サングリアは日本にいる夫のおみやげに一つ買っていた。日本なら自分の箸や茶碗があったりする。コットーにこだわるのは、狩猟民族・肉食文化の片鱗かもしれない。(ちょっと大げさカナ?) 「ウィ・ウィ、ダ・コゥー、パ・プロブレム」が口癖になってしまった私。ビーズ(フランス風の軽いキス)がお気に入りの茜。「フランスといえばパリしか知らなかったけど、今は、ANGERS(アンジェ)だね!」その通り!! たくさんのVIN(ワイン)が寝かされているカーブ(貯蔵室)、いつも食事していた庭のテーブル、プティ・ディジョネ(朝食)にはオレンジ色のカフェ・オ・レ用カップ。ジャン・リュイたちのマネをしてパンでお皿のソースまできれいにいただいた。おしゃべりもおいしかった食卓。源氏物語、芭蕉から吉本ばななまでズラリ並べられた二階の書斎、ちょっと散らかったシルバンの部屋、リンゴのタルトを作ったキュゥジン(台所)。新聞に載ったKANPAI・ANJOUのパーティ。バカンスだから…と言っていたけど、ゆったりと流れる時間はとても豊かで居心地が良かった。牛や羊が放されている草原、とうもろこしやひまわりの畑、日本と違って棚がなく1m位のブドウの木が並んでいる畑。石造りの古いシャトゥ(城)。緑が豊かで絵になる町並み。 ジャン・リュイの優しい声、テキパキと明るいフランちゃん、茜を可愛がってくれたシルバン、一緒に過ごした時間や出逢った人達、すべてが大きなロアール川の豊かな恵みとともに、忘れられないアンジェの風景となった。 Merci Beaucoup! |
-1- -2-(アカネの報告)