昭和23〜24年
17期生誕生!(@_@)
昭和27年 大阪府の分譲住宅水無瀬住宅完成
昭和28年 最初の町営住宅滝谷住宅40戸完成
昭和32年 町営プール完成
昭和36年3月18日
島本町立小学校 卒業式
昭和37年 谷崎潤一郎の小説『芦刈』に情緒豊かに紹介された淀川の渡し船が、廃止。
当町の山崎の渡しから対岸の八幡町まで、古くからの淀川の風物詩であった渡し船が消える。
昭和38年 名神高速道路の開通式。
桜井・広瀬・尺代・東大寺・山崎の関係地区地主との間に、道路用地のの買収が34年11〜12月中に
ほとんど完了し、36年頃から工事も本格化して、38年すべて完了した。
昭和38年7月9日〜12日
修学旅行 白糸の滝〜富士五湖(河口湖・泊)〜箱根〜江ノ島・鎌倉(江ノ島・泊)〜東京〜(車中泊)〜山崎
昭和39年3月10日
島本町立中学校 卒業式
昭和39年 国鉄新幹線“夢の超特急”開業
阪急京都線も従来の平面交叉から、新幹線に併行して、高架築堤方式に変更することとなった。
両工事中、新幹線の軌道を阪急電車が走るという珍しい光景も見られた。
昭和41年 町ぐるみのもよおし天王山ハイキング、島本町文化祭が行われる。
昭和42年 健康の町島本をめざし、第一回島本町体育祭が島本中学校校庭で行われる。
昭和43年 明治・大正・昭和の三代にわたり、小学校の玄関にとりつけられ住民にも親しまれてきた「菊水」の形を決定。
島本の島(嶋)を菊の花びら、本を水にたとえ明るく環境のよい未来の島本町を表現。
昭和44年 ユニチカ山崎バスケットチーム
旧二チボー平野工場バスケットチームが、この年より山崎工場所属になり、同工場で日夜猛練習を続ける。
1960年代に入って、住友金属マグネット工場・積水化学研究所・世界長ゴム・鯨岡製袋・エースコック・
ニチレバークシャーなどの工場が続々と進出してきた。
また、住宅では、町営住宅が、27年の半坂住宅以来、滝谷住宅、鈴谷住宅、鶴ケ池住宅など引き続き建設
され始めた。
又、島本町の公害問題は、昭和40年以降砕石採取業者のダンプカー公害であった。従来から東大寺の北に建設省
の採石場があり、採石の為の爆破作業による爆風の影響で、付近の住宅は地震のようにゆれたり、石の破片が飛び
散る多大の迷惑をこうむっていた。
上記の如く、我々の小学〜中学生時期の島本町は、開発の速度が早くなり、新しい住民の数が古くからの住民の
それを越えるようになった頃であったといえる。
ちょうど入学式の頃、田畑は一面に黄色に色どられ、田では沢山のキャベツが蝶達を呼んでいる。
その頃になると田んぼ道にはキャベツを積んだ車がいきかい、お百姓さん達は大変いそがしそうだ。
春はキャベツと共にたけのこの季節でもあり昔ながらの籠に入った、たけのこを売る人の姿が目に写る
(黒田あや子、中井万知子「私達の島本風土記」昭和38年)
という、当時まで留めていた島本町の農村的風情も、以後の工場、住宅進出の進展にともない、急速にかっての
面影を失っていった。
平成 05年11月07日 高槻・ホテル幸生殿にて同窓会開催
平成14年09月29日 京都 新・都ホテルにて同窓会開催
平成17年07月26日 NHK教育TV「わくわく授業」 公庄君(清風高校・数学教育研究所所長)の数学授業を放映
平成 2 0年11月23日 吹田市・万博公園 ホテル阪急エキスポパークにて同窓会開催
参考資 料:島本町史
本文編