2006年5月下旬

2006-05-16「休暇小屋
午前中はいつものようにお仕事。
で会議の為、和歌山まで。
京都駅で弁当を買って、和歌山行きの特急に乗り込む。
仕事とはいえ、ちょっと旅行気分。
一人で電車に揺られて見知らぬ町へ-なんてイイネ。
で車中では遊佐未森「休暇小屋」聴く。
20年前に出た、彼女のファーストアルバム「瞳水晶」は大好きなアルバム。
日本ポップ史に残る名盤だと思う。
その後、数年ニューアルバムが出るたび聴き続けてたが、いつからか聴かなくなった。
彼女の音楽は、僕にとってちょっと優しくなりすぎた。
でだ。
20年目のこのアルバム、いい。
彼女のペンによる楽曲陣は、耳障りのいいだけのポップスとは一線を画す。
素直なメロディーじゃなくて、どちらかというと癖があるメロディー。
でも心地よい。
8の字唱法なんていわれてた彼女の歌声は、より美しく透明感を増している。
彼女の音楽はどこか現実離れしていたが、20年経って彼女の音楽は地に足をつけた形で、たおやかな表情をみせる。
思わず2回目リピート。
あー気持ちいい。
で和歌山着。
会議も終え帰宅。
が京都直通の特急は2時間後までなく、しょうがないので新大阪まで。
そこから満員の新快速に。
なんだよ、旅行が通勤になっちゃった。


2006-05-17「救われる気持ち」
早速ですが、中沢新一「アースダイバー」読了。
「ほぼ日」での縄文話も相当おもろかったが、これは久々に興奮する読み物だった。
縄文地図を手に、現在の東京-その土地が持つ記憶を探る旅。
学術的に読めば「こじつけじゃねーの」って思う人もいるのかもしれないが、僕にはおもしろかった。
地球の歴史に比べたら、人間の歴史なんてたかが知れている。
所詮、人間なんて地球に住み着いた寄生虫みたいなもんだ。
「地球に優しく」なんて思い上がりもいいとこなのかもしれない。
地球にとっちゃ、人間が滅びようがそんなこと知ったこっちゃないだろう。
土地の歴史、土地の記憶の前で、人は無力になる。
そう言えば確かにその土地、土地の持つ雰囲気だとか、匂いってものがある。
それはそこに住む人達によって形成されていくもんだと思ってたが、全く逆で土地が人を呼び寄せるんだな。
人の力なんて土地の力に比べりゃ取るに足らないってことなのだ。
にしてもこの「アースダイバー」、「異形の怪物としての金魚」とか、「生と死をつなぐ橋としての東京タワー」とかいちいち話がおもろい。
全然難しくなくて、むしろこんなロマンティックで官能的な読み物はない!ってぐらい。
グッとくるフレーズも満載で付箋貼りたくなるページ続出。
とにかくこれ読むと、街を歩きたくなる。
いつもとは違った目線で土地の匂いを感じながら。
会社帰り、先輩に誘われラーメン。
近江鶏の塩ラーメン、美味しい。
美味しいものを食べると幸せな気分になれる。
美味しいものを食べて幸せな気分の人を見ると、これも幸せな気分になれる。
普通にそういう風に思えて、それをつなげていければいいなと思う。
単純だけど、たやすくはない。
でもそこに行きたいのだ。


2006-05-18「白い花」
思ったよりスムーズに仕事が終わったので、今日はさっさと帰る。
そのまま映画館に直行だ。
フェルナンド・メイレレス監督「ナイロビの蜂」観る。
メイレレス監督は、あの「シティ・オブ・ゴッド」を撮った監督。
「シティ・オブ・ゴッド」は、ブラジル版「仁義なき戦い」的ハードコアな史実を、交差する時間軸、緻密な構成、そして超絶的な映画テクニックを惜しげもなく使って描いた大傑作で、僕は上映中何度も仰け反り、観終わった後、興奮のあまりモギリのお姉さんに「めちゃめちゃおもろかった!」と語ってしまったほどだった。
でそのメイレレス監督待望の新作が「ナイロビの蜂」。
外交官のジャスティン(レイフ・ファインズ)は園芸が趣味の優しいが、平凡な男。
そして情熱的な妻・テッサ(レイチェル・ワイズ)はアフリカ人の医師と医療ボランティアとして働く。
物語は彼女の不可解でむごたらしい死から始まる。
優しく、妻を愛してきたジャスティンは、妻の死の真相を探ろうとする。
その過程で彼は、今まで自分が何一つ見ていなかったことを思い知る。
アフリカの現状、国家の深い闇、そして彼女の深い愛を。
ことなかれ主義で問題から目を背けていた男は、妻の死をきっかけに真実に目を向けていく。
息を呑むサスペンスであり、深い愛を描いたラブストーリーでもある。
壮大で重厚な社会派ドラマ。
これだけ聞くと、なんか重たくて疲れそうだなって思うかもしれないが、そこはあのメイレレス監督。
過去である妻と過ごした日々、そして妻の死の謎を追う現在が絶妙にシンクロしストーリーは続く。
「シティ・オブ・ゴッド」ほどの派手さはないが、その「画」の切り取り具合、ハッとするような映像テクニックはさらに深みを増している。
最初の5分で監督が並々ならぬ絵画的センスの持ち主だということがわかるだろう。
色使いと構図、それをつなげていく編集の妙技。
ストーリーに惹きつけられるだけじゃなく、映像そのものが持つ魅力にまたも仰け反ったね。
映画でしかありえない表現。
メイレレス監督の凄まじい「映画力」に脱帽。
パク・チャヌク監督(「オールド・ボーイ」「親切なクムジャさん」)も相当なテクニシャンだと思ったが、フェルナンド・メイレレス監督もやっぱスゲーや。
とにかくちょっと観てよ、この映画。


2006-05-19「Rolling」
金曜。
お仕事、お仕事。
昼休みは小林信彦「名人-志ん生、そして志ん朝」読む。
落語はまだまだ未知の世界。
この先、随分楽しめそうだ。
ひょんなことで、ギタリストの斉藤誠さんにご挨拶。
間近で弾き語り聴く。
渋い。
江戸前なトークも気持ちいい。
仕事の後、楽しい楽しい飲み会。
久々ということで激トーク祭り。
4時間強喋り続けてもまだ話足りない感じで。
喋りながら、このアンサンブルは最強だなとすら思う。
ま、中身は全くなくて(清水国明はクオリティが低いとかそういう内容)一切残らないのだが。
くだらない話は最高なのである。
あー楽しかった。


2006-05-20「WALTZ IN BLUE」
8時半起床。
昨晩夜更かししすぎたせいか、眠気とれず。
結局布団の中で9時半までグダグダ。
午前中、ちょっと頼まれ物があったのでパルコへ。
ついでに紀伊国屋に寄ってムーンライダーズ特集の「ミュージック・マガジン」誌購入。
昼食はおにぎり祭り。
娘とパクつく。
その後、いつものごとく我が家は保育所状態に。
部屋に避難する。
で夕方、大津のライブハウス・ユーストンへ。
斎藤誠ライブ観る。
MARTINギター主催のアコースティックライブ。
前半はゲストギタリスト、住出勝則のステージ。
関西のりのベタなMCに超絶ギターテク。
生ギターの音が心地よい。
そして斎藤誠登場。
特に熱心なファンだったわけじゃないが、デビュー時(23年も前)から気になってる人だった。87年頃だったか、FMラジオでやったスタジオアコースティックライブをエアチェックしたカセットが実家のどこかにまだあるはずだ。
そのギタープレイはピチカートをはじめとして耳馴染み(ピチの名曲「きみみたいにきれいな女の子/シングルヴァージョン」は彼のギタープレイ無しでは語れない)。
でライブはMATINギターの柔らかな音と彼の渋いヴォーカルが見事にマッチ。
なんか大人の愉しみって感じで安心して聴ける。
それにしてもいい声。
こんな風に唄えたらいいだろうな。
「What's Going On」のカヴァーが最高。
そう言えば柄本明によるこの曲の絶品カヴァー、アレンジは斎藤誠だった。
こういうライブ観るとベテランの力量を感じる。
多くのライブを経験し、音楽が身体の隅々まで染み付いてる職人の力。
ギターの一音一音、声の出し方、一曲を組み立てていく構成力。
テクは当然、その先で音を楽しんでる。
気持ちよいグルーヴが会場を包む。
こういうライブが普通に気楽に会社帰りとかに観れたら幸せだろうな。


2006-05-21「この星につっぷしながら」
9時起床。
朝一で滋賀会館シネマホールへ。
市川準監督「あおげば尊し」観る。
小学校教師・光一(テリー伊藤。ちょっと驚くぐらい名演)は、同じく長年教師を務めていた父を看取る為、在宅介護をはじめる。
そんな中、光一のクラスで「死体」写真をネットで熱心に見る少年がいた。
死の意味がわからないまま、「死」に向かい始める子供達。
「どうして死体の写真を見ちゃいけないの」「どうして死に興味を持っちゃいけないの」そんな問いかけに、光一は上手く答えられない。
死にゆく父に、光一は「死ぬってどういうことなんだろう」と問い掛ける-。
ちょっと思い出したんだけど、この前テレビで太田光が「『どうして人を殺しちゃいけないのか』-それは『生』が価値のあるものだってこと。僕らはそれをわかっているから人を殺さない。でも今はそれがわからなくなってきてるんだ」というような話をしていた。
新聞を広げれば今日も「死」がそこにある。
なのに日に日に「死」の感覚が希薄になっているような気がする。
「生」の意味、「死」の意味。
僕らは子供達に上手く伝えることができるだろうか?
この映画の主人公は、苦悩しながら丁寧にそれを伝えようとする。
簡単にはいかない。
子供達にいたずらに拡がっていく「死」の希薄な感覚。
映画だけじゃない。現実を見てもそれは同じだ。
「死」の本質に蓋をして、表層的な「死」だけを子供達に与えてきたツケが現れはじめている。
でも、だから僕たち大人は考えなきゃいけない。
答えなんて簡単には出ない。
それでもその努力を惜しんではいけない。
市川準監督もまた、表層的な答えを用意しない。
苦悩しながら、ゆっくり静かに「死」の意味を伝えていこうとする。
その姿勢こそが「生」の価値なんじゃないかと思った。
死の淵にいる父の手を、少年に握らせる光一。
そのまだ温かい手のぬくもり。
かけがえのない「生」。
人は生まれた瞬間から「死」の準備をはじめる。
苦しみ、悩み、「死」を感じながら「生」をまっとうする。
うん、やっぱり上手くは言えないんだけど、いろんなことを感じながら観た映画だった。
それと市川監督が87年に撮った「ノーライフキング」をふと思い出した。
あれから19年たって、子供だった僕は親になった。
「死ぬってどういうことなんだろう?」
しかし初主演を勤めたテリー伊藤が良かった。
演じてるように見えない。
光一という教師がそこにいる-まさにそんな感じ。
これには驚いた。
そして妻役を控えめに演じた薬師丸ひろ子、死にゆく夫を見守る光一の母役、麻生美代子(サザエさんのフネ役の声優さん)もまた演技を感じさせない演技でテリーを支えていた。
で昼は「ぶっかけ冷やしうどん」。
冷凍ものながら美味い!
冷やしうどん季節がやってくるなぁ。
それからタダ券を貰ったので、家族でボーリングに行く。
娘は昨日から楽しみにしてたのに、思うようにならずふくれっ面。
2ゲーム目でやっと満足できたようで、良かった良かった。
僕は154/173と結構調子良く、父親の威厳を保ててホッとする。
で買い物行ったりしてるとあっという間に夕方。
日が長くなったので6時でも外は明るい。


2006-05-22「dreamin dreamin」
月曜。
随分暖かい、というか暑い。
黙々コツコツ仕事してる割には机周りが片付いていかない。
要領悪いと言うか、非効率的というか…。
で今日聴いてた音楽はcapsule「FRUITS CLIPPER」。
「フロア対応のアッパーなダンスチューン」って大概のCD評には書いてある。
確かにそうだけど、多分そうじゃない。
いや、なんかヘンな言い方だけど。
capsuleはここ数枚聴いてるが、無味乾燥でデザインが行き届いた音。
ここまで徹底したらエライとは思うってとこだった。
でも、今日少し遠回りして湖岸を歩きながら「super speedy Judy Jedy」なんて曲を聴いてたら、いつもと違う部分に触れたような気がした。
なんか気持ちがスーッと澄んでいくような。
帰ってビデオでクドカンの新作「我輩は主婦である」チェック。
今日からスタートの昼ドラ。
主演は斉藤由貴!この時点で同世代だなぁって思う。
高校時代、彼女主演の朝ドラ「はね駒」を毎日欠かさず録画して見てた。
はっきり言ってめちゃめちゃ好きでした。
ま、さすがに数年後「一体、どこが良かったんだ?」と自分に疑問符を抱いたが。
でもここに来て一周回った感じ。
数ヶ月前、NHKの子育て番組に出てる彼女を見て、「…アリかも」と思ったことを正直に白状しておこう。
でドラマだが、これはまさに80年代フジテレビ系ラブコメドラマへのオマージュではないか。
斉藤由貴を主演にしてるのもしかり、呑気な劇伴や、全体を覆うゆる〜い感じとやりすぎ感がまさにそう。
もちろんクドカン、小ネタ(ペ・ヤングンて)も充実。
しかしこの年になって、毎日昼ドラ、ビデオ録画するはめになるとは。


2006-05-23「門外漢」
今日も、コツコツお仕事。
夜、試写会のお手伝いをちょこっとして、ついでに映画観させてもらう。
「GOAL」観る。
まぁ、普通なら絶対観ないタイプの映画だが、これもなにかの縁てことで。
なにしろ僕はサッカーのこと、これっぽちもわからない。
映画観て「手、使わないんだ…」って思ったぐらい。
で映画は、サッカー大好き青年(ばんばひろふみ似)が、持ち前のサッカー大好きっぷりを発揮して夢を掴むというお話。
父との確執と和解、夢と(ちょっとした)挫折、恋と友情(いい味出してる自堕落な人気選手役はチョップリン小林に激似)、まさに筋書きのあるドラマ。
期待を一切裏切らない王道、直球の展開、「1+1=2!」という明快なストーリーで、気持ち良い。
ま、普段「1+1=…2なのか、いや0なのかもしれない…いや…」とか「1+1=稲庭うどん!」みたいなタイプの映画ばかり観てるので逆に新鮮。
スカッとしたい人にはおすすめ。


2006-05-24「ダミー」
滋賀会館シネマホールの唯一の難点は、最終上映時間が早いということ。
けど今週はいつもより少し遅め。
で7時過ぎに会社出たら間に合ってしまったもんだから、ついつい観ちゃう。
デイヴィット・クローネンバーグ監督「ヒストリー・オブ・バイオレンス」観る。
クローネンバーグ監督のことは実際あまり知らないのだが、昔からなんとなく「ド変態」というイメージがある。
いや、これは映画監督にとって「品行方正」なんかよりよっぽどの褒め言葉なんだが。
で映画だが、あるアメリカの田舎町でダイナーを経営する平凡な男・トム(ヴィゴ・モーテンセン)。
彼は弁護士の妻と二人の子供と幸せに暮らしていた。
ある日、事件は起こる。
そしてその事件をきっかけに、トムの消し去ったはずの「過去-それはまさにヒストリー・オブ・バイオレンス」が浮き上がってくる--って話。
目に見えない恐怖、実感のない不安が人間の中にある狂気、闇を呼び覚ます。
これがもうね、昨日の「GOAL」とは正反対。
全く予想できないスリリング極まりない展開。
「1+1=ペペロンチーノ!」と予想だにしない答えが返ってくる。
ラストに至っては「…ぇえ…」と情けなく声をあげてしまうような後味の悪さ。
がこれぞ映画!
映画的興奮を存分に味わえる傑作だ!
ネタばれになるからほとんど何も言えないけど、デヴィット・クローネンバーグ、あんた「ド変態」だよ(最大級の褒め言葉)!


2006-05-25「言葉」
それにしても、今日は書くことが無い。
こんな書き出しも、苦肉の策だ。
毎日、毎日、駄文を垂れ流す意味なんて、自分にもわからない。
それでもやっぱりこうして書いてみる。
一日を思い返してみる。
ホントは言葉にできないことのほうが、はるかに多いのだ。
胸の奥に積み重なってく想いの、上澄みを掬い取って言葉にしてみる。
何百分の一、何千分の一でも、言葉にできればいいんだろうけど、うまくいかない。
いや、そもそも言葉にする意味があるのか?
わからないから、やっぱり書いている。
とそんな話。
いや、今日は残業しすぎて疲れてるだけなんだけど。


2006-05-26「BOSSA NOVA 3003」
金曜。
ちゃちゃっと仕事終えて、いつものように映画でも。
と思ってたがうまくいかない日もある。
わけあって帰れず。
まぁ、いい。
今日聴いてたのは「pizzicato five we dig you」。
ピチカート・ファイヴのカットアップCD。
常盤響やHALFBYがピチカートの音をコラージュ。
これどこをどう切ってもピチカートで、ホント幸せな気分になれる。
やっぱ好きだなぁピチカート。
ピチカート・ファイヴ、今となっては世界で一番幸福なバンドなのかもしれない。


2006-05-27「連載小説」
今日は訳あって休日出勤。
定時出社で仕事。
グダグダ、ダラダラ、コマゴマという感じで6時退社。
会社帰り、タワー寄り道。
ヤン富田「フォーエバー・ヤン ミュージック・ミーム2」、小谷美紗子「CATCH」購入。
こりゃ聴くのが楽しみだ。
帰って「吾輩は主婦である」まとめ見る。
ゆるやかな悪ふざけ(清水圭ネタは笑った)。
竹下景子がおいしい役どころ。
そして池津祥子の暴れップリが良い。
ちょうど今日読み終わった小林信彦「名人 志ん生、そして志ん朝」は志ん生、志ん朝についての文章をまとめたものだが、最後の章で落語から漱石のユーモアについてが書かれる。
クドカン、絶対読んでる。
しかし週末の楽しみが出来た。


2006-05-28「フォーエバー・ヤング」
9時起床。
朝からマンションの総会で2時間。
昨晩、夜更かししすぎて眠いったらない。
昼は、娘のリクエストでバターライス。
中学生の頃、よく夜食に作ったもんだ。
バターと醤油のちょっとこげた香りが食欲をそそる。
午後はのんびりと。
ムーンライダーズ特集のミュージック・マガジン誌読む。
ライブレポート、鈴木慶一インタビュー、アルバム解説etcと労作。
ではあるが、もはやムーンライダーズは語られすぎてる。
ま、僕もしょっちゅう語ってるんだけど、それはもういいかなという気分。
ムーンライダーズの音楽は、本来の意味でラディカルになってるから。
これは聴いて感じるだけで十分なんだ。
そうそうミュージック・マガジン誌のアルバムレビュー、保母大三郎氏の「歌謡曲/ポップス」がめちゃめちゃやさぐれててオモロ。
「夕方にはもう廃盤な〜大量生産される、この手の腐れポップス〜」「〜美少女ユニットの一枚目。とはいえ、美少女はいないし〜金ピカ先生以下、吉幾三以下の腐れラップ〜」「〜蒙古班が残ってるようなバンドの〜」などなど胸のすくような発言。
いや、ま、音楽なんて好みだから…とはいえ、あきらかにクソみたいな音楽ってあるんだよ。
毎日のようにクソみたいな音楽モドキ聴かされてると、時々本気でキレそうになる。
時には毒も吐いときゃなきゃ、やってられねーんだよ!
でここで素晴らしい音楽を紹介したい。
ヤン富田氏の新作「フォーエバー・ヤン ミュージック・ミーム2」。約10年ぶりとなるDOOPEESの新録曲、いとうせいこう、高木完とのユニット・NAIVES(ナイーブス!最高な名前だな)の曲を収録。
DOOPEESのアルバム「DOOPEE TIME」は95年のベストワンアルバム(俺認定)だからして、そりゃもう聴き倒した。
白衣を着たヤン博士と、かわいい女の子・キャロライン・ノヴァク(ビジュアルは映画「Shall we ダンス」で役所広司の娘役を演じてた女の子。実際の歌はバッファロー・ドーターの大野由美子さん。長らく「あの声は誰だ?」と様々な憶測が飛び交っていたが、ここにきて大野由美子であることが公にされた)、そしてスージー・キム。
ヒッピホップ界のグル、スティールパン奏者、川勝正幸氏はヤン氏のことを「音楽界の河合隼雄的存在」と言ってたっけ。
そんなヤン氏が実験の先に見出したキュートなポップス。
それがDOOPEESだった。
でそのDOOPEESが唄うは、かの名曲「だいじょうーぶ」!いとうせいこうのアルバム「建設的」に収められた高木完作詞、ヤン作曲のラヴァーズロックナンバー。
いとうせいこうが見事なファルセットで歌い上げる、メロウで優しい直球のド名曲。
もう何百回聴いたかわからない。
前に会社のディレクターさんに頼み込んで番組の選曲を数曲させてもらったんだが、その時僕は真っ先にこの曲を選曲した。
ヤン氏が爪弾くアコースティックギターにキャロラインのキュートなヴォーカル、もう泣いた。
暗闇に一筋の光、頬にふれる柔らかな風、そんな音楽。
でさらに続くNAIVESも最高なのだ。
80年代初頭、僕が初めて聴いたラップはいとうせいこうだった。
トラックはヤン富田、タイニーパンクス(藤原ヒロシ&高木完)の共演。
そりゃ衝撃だったさ。
胸が高鳴った。
かっこ良かったもん。
当時、ヘビメタブームだったけど、何も感じられなかった。
でもあの頃のヤン氏やせいこう氏には胸が男騒ぎした。
文科系のパンク。
知性とユーモア、クールと熱情。
であれから20年以上。
いとうせいこうのポエトリーリーディングに、高木完のラップ。
イマジネーションを刺激する、音、言葉。
たまんねー気持ちになる。


2006-05-29「Who」
月曜。
眠い目をこすりつつ、バタバタと仕事。
今日聴いてたのは小谷美紗子「CATCH」。
彼女の音楽を聴くのは初めて。
デビュー10年目だとか。
ちょこちょこと評判聴いてて、試聴して即購入。
ピアノ、ドラム、ベースのトリオ編成での録音。
頭2曲の緊張感が尋常じゃない。
ながら聴き不可、これは本気だ。
感情の全ての要素が渦巻いてるような本気の音楽。
耳が奪われてしまう。


2006-05-30「THROUGH MY WINDOW」
なんだかなー。
どうも人間のバランスが崩れてる。
自分にダメ出ししたくなることばかり。
自分にがっかりだ。
そんな訳で、会社帰りに映画だ。
森田芳光監督「間宮兄弟」観る。
呑気な、いい映画だったなぁ。
これは落語だ。
落語を感じさせる映画。
出てくる男はみんなどっかバカでまぬけでダメで、出てくる女性はみんな強くてかわいくて魅力的だった。
とかくこの世はままならない。
それでも人生は続くよ。
否定でも肯定でもなく、あるがままを受け止める。
呑気だけど、とても柔らかな強さを持った映画。
もっと素直に喜びを感じられるようにならなきゃね。
ほら、すぐまた反省してしまう。
ここんとこ、ちょっと心がイガイガしてたので今日この映画を観れて良かった。
で役者陣だが佐々木蔵之介、塚地武雅(上手い)も自然で良かったが、一番のバカを怪演した高嶋政宏が最高。
初評価。
ホント、バカで良かった。
助演男優賞にノミネートしたいぐらい。
それから女優陣はみんないい。
沢尻エリカちゃんは、尋常じゃなくカワイイな。
「パッチギ」ではそれほどだったけど。
あんな笑顔見せられた日にゃ、0.2秒で落ちる自信あるよ。
しかし常盤貴子、さすがに力の差を見せたね。
はっきり言って全然好みの女優さんじゃないんだけど、今回はかわいげのあるいい役どころでグッときた。
でも実は一番グッときたのは沢尻エリカの奔放な妹役を演じた北川景子ちゃん。
なんとも魅力的。
彼女の名前は憶えときましょう。
美少女にはちとうるさい私が保証します。
そして兄弟の母親役、中島みゆきが素晴らしい。
あの役は彼女しか考えられないぐらいにはまっていた。
既存の女優さんにはない味わい。
あと、全編を通して大島ミチルの音楽がジャマせず、けど心に響く絶妙な味を出していた。
観終わって、音楽ものすげー上手い!って思った。
で今日聴いてたのはDOOPEES「DOOPEE TIME」。
うん、映画といい、音楽といい、「今、お前に足りないものはコレだよ」って言われてるよう。
自然にそっちに呼ばれちゃうもんなんだ。


2006-05-31「かすかなしるし」
月末。
早えーな。
今日は少し蒸し暑い。
いや、6月になればもっと鬱陶しい日が続くことになる。
-雨のよく降るこの星では-今、急に小沢健二のソロデビュー曲「天気読み」を聴きたくなった。
とても生真面目で青臭い歌だけど、今この年んなって改めて聴くと、やっぱりスゲーいい。
まだどっかにこの歌に共感できる自分がいるんだな。
なんてな。
Big Boy Blueですから。
今日、聴いてた音楽はSUBLIMINAL CALM「SUBLIMINAL CALM」。
SUBLIMINAL CALMはいとうせいこうと藤原ヒロシのユニットで、92年にこの一枚のアルバムだけを残している。
メロメロにメロウなメロディーとサウンド。いとうせいこうの詞と歌は、切なさが充満している。すっごい危険なんだよ、だから。
一時期毎晩聴いてた事もあるけど、センチメンタルが爆発してしまうので聴くの抑えてた。
ヤン富田に誘発されて、どうしても聴きたくなってしまった。
ほら、聴いてたらやっぱり真っ直ぐ家に帰りたくなくなる。
いつもは通らない路地を抜けて、少し多く歩く。
空にはぼやけた朱色の三日月。
路地に面した土塀にヤモリが二匹へばりついてる。
古びたビジネスホテルの灯り。
目の前で風が止まった。
頭の中も、心の中も空っぽにして、真夜中にはまだ早い夜の景色を感じながら歩くのだ。
とかなんとか。
そんな気になってしまう音楽。
これ名盤なんだけどな。


2006年6月上旬の日記へ


今あなたがご覧になっているHPは「OFF! 音楽と笑いの日々」です。
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