2000年3月下旬

2000.3.16
ここんとこ日記で愚痴ってないので久々に愚痴ろうかな。いや、サラリーマンなんてほんとつまんないもんだな。会社にいるといろいろ嫌な面が見えてしまう。おもしろくもない仕事やって上からなんだかんだ言われて、このままいっても更に辛くなるようなことばっかのようだ。中間管理職と言われる方々の悲惨が現状を下から眺めてると、「おい、おい、数年後あんな風になるんか・・・夢も希望もないがな・・」そんな感じだ。「じゃ、やめればいいじゃないか」ってその通りだが、ローン抱えて、家族抱えて、辞められへんっちゅうねん。・・愚痴終了。そんなこんなで帰り梅田で寄り道。なんとなく地下街うろうろする。ここんとこ「人間関係」ってのが結構大きなテーマになってる。行き交う人々を眺めながらいろいろ考える。目の前を通り過ぎる人達すべてにそれぞれの生活があり、全ての人達は決して一人ではなく様々な人間関係を持っている。一人になりたいと思う夜もあるが、一人ではとても生きていけないこともわかってる。・・・はぁ(ため息)。春は出会いと別れの季節だが、これから先の人生、別れることのほうが遥かに多いんだよなぁ。いろいろ、いろいろ考えつつもタワーで高野寛「RIDE On TIDE」購入。で帰りの音楽ピチカートの「プレイボーイプレイガール」。ここんとこ「きみみたいにきれいな女の子」って曲が頭に鳴り続けてる。「きみみたいに/きれいな女の子が/どうして泣いてるの/きみみたいに/きれいな女の子は/きみの他にいないのに」このフレーズは僕みたいな優しくて骨のない、見ているだけの情けない男にはぐっとくるんだなぁ。


2000.3.17
仕事、適当に終わらせて今日は飲み会。集合場所のタワーでピチカートファイヴ「REMIXES 2000」と雑誌「ストレンジディズ」購入。でいつものMと飲みに。今日は新婚旅行寸前のK不参加でMと二人会。連休前におっさん二人で飲んでていいのか。それもこの数カ月ちょっとつるみすぎや。でバンド結成やらいっしょにやってるHPの今後やなんかっていつものバカ話なんだが・・。さすがに10日ほど前にも二人でさんざん話してるので1次会で終了。勘定の段になってMが「2000円しかないねん、カードも忘れてきた」とぬかしやがる。で俺も財布には1万と1000円しかないよ。しょうがないのでとりあえず払ったが財布にはついに1000円札1枚しか・・。給料日までどうすりゃいいのか。泣きながら家路に向かう。


2000.3.18
休日なのに8時起床。なんか目覚めてしまった。妻と娘はまだ寝てるので一人、ベーコンエッグにトースト、ヨーグルトの朝食作って食べる。で午前中のんびり過ごし天気もいいので皆で県立図書館や美術館がある大きな公園へ。金がないからなぁ。でこども広場で娘遊ばせてだらだらっと夕方まで。帰ってからもひたすら娘のお相手。


2000.3.19
雨。9時過ぎに起きて今日もだらだら。なぜか、またギターの練習を始めている。部屋でリズムマシン鳴らしながら一人でジャカジャカやってると娘がやってくる。「さおちゃんも、べんべんしたい」。娘はギターのことを「べんべん」と言うのだ。部屋にはギタレレとかハーモニカとかピアノもあるし変な太鼓とかもあって娘の遊び道具としては結構揃っている。二人でノイズ出してるとさすがに近所迷惑だろうなぁ。で昼からは買い物。ジャスコは割引セールで雨ってこともあっていっぱい。結局、ちょっと遠い平和堂まで。娘はちょっと機嫌悪いのか「だっこしてー」と大泣きで困ったもんだ。夜、昨日に引き続いてNHKスペシャル見る。31年前にブラジルはじめ南米に移住した人たちを7年後、10年後、20年後そして31年後と追ったドキュメンタリー。これが深い。希望に燃え、夢を掴もうと南米に向かう31年前の映像、成功したものもいれば挫折したものもいる。わずか10年前に笑顔でインタビューに応えていた夫婦は、天災と病気に追いつめられ心中を図った。同じく10年前に日本に帰国し「1から出直す」と語った男はその後自殺していた。人生いろいろだ。考えさせられる。


2000.3.20
久々に床屋に行く。いつもの1000円床屋。相変わらず理髪師達は不愛想でばっさばっさと仕事をこなしていく。それにしても、ここの理髪師、皆やたら強面で「こいつら2、3人は・・殺しとるっ」そんな気がする・・。で結局今日もひたすら娘と遊ぶ。テレビ、「怪傑えみちゃんねる」の上沼恵美子の神業的話芸に爆笑。この、おばはん、おもろすぎる・・。


2000.3.21
帰りの音楽、高野寛「ride on tide」。去年の弾き語りライブを収録したライブアルバム。このライブも良かったんだよねぇ。・・・しかし、なんか最近ブルーがこんでる。


2000.3.22
帰りに梅田のタワーに。あの大傑作アルバム、Shi-Shonen「Do Do Do」がついにCD化されたのだ。オリジナルは85年12月16日発売。この年の春に発売された彼らのファーストアルバムにすっかりいかれていた僕は当然のごとく予約して前日の12月15日の夕方には手に入れていた。この日のことはよく憶えてる。僕は14才、中学3年生だった。当時はレコード買ったら、兄貴のステレオで即テープに落として自分のラジカセで愛聴するというスタイルだった。この日は2学期の期末テストを終え、学校から帰って速攻で駅前のレコード屋に行き、購入。でいつもの様に兄貴の部屋でレコードをターンテーブルに載せた。流れてきたメロディー、その懐かしく、暖かなサウンド、ポップミュージックの魔法にその時、かかったのだ。その日の内に何回リピートしただろうか。・・・あれから約15年、俺はまだ魔法にかかったままだ。でこの名盤、当時全く評価されず長らく絶版。ここ数年、ネット上でも「是非、再発、CD化を」の声が高まっていた。僕も数カ所の掲示板やなんかで再発祈願したもんだ。それがそれがついにCD化が実現。「Do Do Do」に加え、これまた幻と言われた84年発表のシングル「憧れのヒコーキ時代」にライブ音源まで収録。これは買うしかないでしょう。もう家まで我慢できなくてびりびりと袋あけ、即ディスクマンにセット。いやぁ、泣いた。これですよ。これがポップミュージックですよ。この良さがわからないような奴とは口もききたくないな。で帰って「明石家マンション物語」。今田、ココリコ田中のオープニングコントが最高。しかし爆笑問題・太田氏は一時期のビートたけしそっくりになってきたな。


2000.3.23
ダラダラっと仕事。帰りの音楽はやはりShi-Shonen。このアルバムがってしつこいな、俺も。ここんとこ、なんかちょっとブルーなんだけど音楽は全てを洗い流してくれる。


2000.3.24
出口のない、2000年の夜。週末の地下街はにぎやかで、コートのポケットに手を突っ込み、背中丸めて一人歩いていると孤独が身にしみて凍え死にそうになる。相変わらず俺はバカで卑怯で臆病で、胸の奧につかえた想いだけが空回りをおこしている。そんなわけで結局のところ、意味なく梅田の地下街うろうろしてるという訳。「家族が待つ、家帰れよ!」というのはもっともなところですね、はい。でも、ほら映画「鬼火」じゃないけど30才になる前の死にたくなるような気持ちわかるでしょ。同世代の男性諸君なら。でタワーによって細野晴臣の4枚組BOXセット「HOSONO BOX」購入。買っちゃったよ、やっぱり。


2000.3.25
さっさと仕事終え、阿倍野のHMVへ。今日は松尾清憲氏のインストアライブ見に行く。本日発売の実に13年ぶりのソロアルバム「BRAIN PARK」発売を記念してのインストアイベント。もちアルバムは速攻購入。リラックスしたトーク交えてのライブはわずか2曲だったものの、これがもうとんでもない美メロ!ポップとはなんたるかを知らしめる素晴らしい曲。ライブ後のサイン会でしっかり買ったばかりのアルバムにサインもらう。考えたら氏のデビュー曲にして究極のポップソング「愛しのロージー」聴いたのも中学生の時だもんなぁ。こう考えると成長なしか、俺は!とついでに五島良子「ツキノハナ」購入。で家に帰って娘と風呂。


2000.3.26
ビデオで昨晩の「鶴+龍」の最終回見る。上岡龍太郎ついに引退。関西人にとっては物心ついたときから上岡龍太郎はもうあたりまえにテレビに居る人。古くは「ノックは無用」「ラブアタック」「カンピューター作戦」なんかの司会者で「横山ノック」を突っ込む人という認識が強かった。僕が最初に上岡氏を意識したのは中学生の時だった。島田紳助氏がDJを務めていた「ハイヤング京都」という深夜ラジオがあって、氏が病気で入院したとき何週かピンチヒッターを務めたのが上岡氏だった。「うまい司会者」としか見ていなかった氏のトークは意外や意外、理知的でありながら過激でちょっとカルチャーショックという感じだった。それが元で僕は氏の番組をチェックいれるようになっていった。そして数年後始まったのがあの「パペポTV」。当初は確か火曜の深夜で観客はほとんど居ず、黒木香がゲストに出たり、ざこば師匠が酔っぱらって乱入したりなんてこともあった。昔からお笑い番組には過敏だったので毎週ビデオ録画しては爆笑していた。当時、鶴瓶・上岡のおもしろさを故・香川登志緒氏は「陽中の陰(鶴瓶)と陰中の陽(上岡)のせめぎ会いのおもしろさ」みたいなこと言ってたっけ。二人の「漫才」は評判が評判を呼び、上岡氏は一気に全国区になった。そうそう上岡・紳助コンビの「EXテレビ」も好きだったなぁ。でこの引退。上岡氏らしい幕引き。残念なのはこの一大セレモニーにノック師匠の姿がないこと。


2000.3.27〜29
仕事しかしてないんだから書くことないよ。で帰りの音楽はひたすら「HOSONO BOX」。細野晴臣という稀代の音楽家の残した足跡。もちろん、氏はまだまだ現役で未だに最も動向が気になるアーティスト。細野氏の示す方向性は生きていく上での大きな指針になってる。DISC-4の「泰安洋行」時のライブがめっちゃいい。こうして聞いてみると細野さんて「肉体派」の音楽家なんだな。だからこんなにも「音楽」が「音楽」として響いてくるんだ。とてもヘルシーで無垢な音楽。素晴らしい。


2000.3.30
帰りタワーに寄ってメトロトロンレコードのアルバムを2枚・加藤千晶「ライラックアパート一〇三」青木孝明「Phase Four」購入。会わせてadvantage Lucyのシングル「めまい」も。最近はこうして梅田の地下街をうろうろしている時間が物事を考える時間なっている。


2000.3.31
夜、友人と飲む。前から知り合いではあったのだが、最近友人になった。ま、こっちが勝手に友達だと思ってるだけかもしれないが。で「偶然と必然」とか「生きにくい事を承知して生きていく覚悟」とかなんかいろいろ話込む。ちょっと自分のことばかり話過ぎたかなとか反省しつつも楽しい飲み会。昔は差しで飲むってのは苦手だったんだが、最近はそのほうがおもしろい。より深く話しができるし、その人のことが理解できるから。その分、こっちも自分を磨いとかなきゃならないんだけどね。こうして話することで自分を知ることにもなるし。「会いたい人と会い、話たい人と話す」これが大前提で。ロマンシング・アドベンチャー・イン・居酒屋だな。人間は孤独で一人である、それを理解して受け入れる勇気をもって、初めて人と出会える。そんなことを感じている。実際問題、この先なかなか人と出会うことはないし、友達を作るなんて至難の技だ。でも僕は生きにくいことを覚悟で僕を生きるしかない。そうすることできっと人と出会える、そう確信している。まぁ、とはいえまだまだ迷ったりすることも多いんだけどね。

4月の「泡」へ


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