第7回 「お笑い山脈〜欽ちゃんの時代」

popholic

えっ?内容薄かったですか。

読みようによってはかなり濃かったでしょう。心外だなぁ。
そんなことはさておき、「ゼロウーマン」ですが深夜テレビで飯島直子主演のやつ見ましたが、完全に騙されましたよ。あんなんで「ついに脱いだ!」なんて言われても誇大広告甚だしいですよ。ジャロに訴えたい気持ちですよ。

そんなことはどうでも良かったですね。
さて中編にいく前に話出てた「欽ちゃん」についてちょっと寄り道しますか。
まぁ欽ちゃんに思い入れある訳でもないのですがお笑い語る上で外せない存在なんすよね。

しかしHKさん、欽ちゃんに対して結構厳しいですね。
確かに今の欽ちゃんさっぱり笑えません。寒すぎるのも事実でしょう。
長野五輪に欽ちゃんが登場した際、会場は大会中の最低気温をマークしたというぐらいですから。

で欽ちゃんて人は僕らの世代からみるとどうしても「お笑い良識派」というイメージでそれゆえに「反・欽ちゃん」という立場をとりたくなってしまう。
でもコント55号時代(第一期黄金時代)の欽ちゃんはかなりエキセントリックでラディカルな反体制のお笑いヒーローだったようです。
それまでのお笑いパターンでいうと非常識人である「ボケ」に対して常識人である「突っ込み」が突っ込む。
観客は突っ込みの立場で自分より下の位置にいるボケを笑うという図式。
それに対して欽ちゃん・コント55号が作った世界は常識人である「ボケ」がエキセントリックで非常識な「突っ込み」に振り回せれうろたえるというパターン。
常識世界の住人・二郎さんが狂気の世界の住人・欽ちゃんの不条理な突っ込みにうろたえその狂気の世界に引き込まれていく。
その世界に引き込まれていくのは二郎さんだけでなく観客もなのである。
そしてその欽ちゃんの狂気の突っ込みに熱狂したであろう人物が明石家さんま氏なのではないか。
「エキセントリックな突っ込み芸」欽ちゃんとさんまの第一の共通項なのではあるまいか。
でお笑い界を制覇したコント55号であったがテレビで一気に消費されその人気は失速する。
二郎さんの人気の高まりを前に欽ちゃんの突っ込みが力を失ったのがその大きな要因の一つであった。
そして欽ちゃんは二郎さんに変わるべき「ボケ」を探す旅にでるわけだ。
55号のピークが昭和43、44年頃でそれから「欽ちゃんのドンとやってみよう」が始まるのが昭和50年。
その間、欽ちゃんは司会なんかしつつ「テレビ」というものの本質を探る。
で発見したのが「テレビ=ドキュメンタリー」という図式。
その上、二郎さんに変わる「ボケ」として「素人」を発見したのである。
また東野さんが「欽ドン」ってラジオでもいけそうと指摘されてましたが実際、素人からの投稿ハガキを読む「欽ちゃんのドンといってみよう」というラジオ番組がそもそものスタートだったらしいですよ。
1+1=2という手垢にまみれたお決まりパターンの笑いがメインだった時代に欽ちゃんは「素人」+「ドキュメンタリー」=「何がおこるかわからない」というパターン持ってきたんだからそりゃおもしろい。
この「何がおこるかわからない」というはらはら、わくわく感に視聴者は魅了されたのだ。
もちろんほんとに「何がおこるかわからない」訳ではない。
欽ちゃんの頭の中では完璧にできあがっていたのだろう。
素人や素人的な芸人がどうこようとその場の判断で突っ込み、落とせるプロ中のプロ・欽ちゃんだからこそできたパターンなのである。
そしてプロの突っ込み・欽ちゃんもまたセオリー通りのボケはノーサンキュー、「どうボケてくるかわからない」素人を必要としたのだろう。
だいたい俗に言う「欽ちゃんファミリー」の人達が「欽ちゃん」以外の番組ではさっぱりということが多いのは、いかに欽ちゃんの突っ込みが凄いのかを物語っている。
そんなわけで僕の見解としては別に擁護するわけではないですが「欽ちゃんの突っ込みは凄い」という結論になります。
もちろん、今はずれてますが。

いや、なんか欽ちゃんだけでひっぱりすぎでしょうか。
それと東野さんが以前からしきりに言われてる「さんまの欽ちゃん化」ってことと結びつけると「突っ込み」の腕があがればあがるほど「もっとボケを、もっと凄いボケを」ってことになるんでしょうな。
究極のボケ探しをすると行き着くのが「素人」であったり「天然ボケ」であったりするのでしょう。
欽ちゃんが前川清や斉藤清六、おっくん(末期良い子悪い子普通の子)に突っ込む姿とさんまがジミー大西、中村玉緒、黒沢年男なんかに突っ込む姿は確かにだぶりますもんね。
違いといえば上から下への突っ込みの欽ちゃんに対してさんまは下の立場から上の人たちを突っ込むのを得意としていることでしょうか。

でまた欽ちゃんに話戻しますが「欽ドン」から始まり「良い子悪い子普通の子」や「欽どこ」「週刊欽曜日」の欽ちゃんの第二期黄金時代は凄かった。月曜には山口良一の細やかな芸に酔いしれ、中原理恵(この人ってかなり美人だと今だに思うのですがどうでしょう?)のコメディセンスに脱帽。水曜には「村の時間の時間です」斉藤清六の「あぜ道カット」が輝いてみえた。「バイナラ、ラナイバ」こんなギャグが最先端の笑いだった。(ところで元祖天然ボケ、氏の今世紀中の復活はあるのでしょうか?あえて今、彼をもう一度見てみたい。)金曜の茶の間はコニタンのたたき出すグルーヴに揺れていた。「きーん・ちゃーん・ぶぁーんど」佐藤B作はいつでも真剣だった「欽ちゃんバンド」の再結成なんてかなりいい感じで盛り上がると思う。

いやーこの時点でかなり長くなっちゃいました。
ほんとは僕に多大な影響を与えた深夜ラジオ(特につボイノリオ氏)のこととか山城新吾司会の「笑アップ歌謡大作戦」(レッツゴー3匹がレギュラー、和田アキ子、研ナオコがしょっちゅうゲストで出てた)がやたら好きだったとか「凸凹大学校」における、ずうとるび・江藤の「絵」についてとか取り上げたいことも多かったのですがそれはまた次に。
そうそうそれに「ビートたけし」も外せませんしね。
でも東野さん、たけしについては今まで全く語っておられませんね。
「たけしの影響」もあんまり見受けられないしそこんとこちょっと興味ありますね。
そう考えると問題山積みですね。

それと東野さんの意見についてちょっと言わせてもらいますと確かに「お笑いスター誕生」の審査員は「?」って人が多かったですね。
でも結構その中でまっとうな批評をしてたのが意外にタモリでした。
後、京唄子が小柳トムの警官コントのおもしろさに感動して何故か泣いていたのを憶えています。
それと司会の山田康雄、中尾ミエですが違和感はなかったなぁ。「夜のヒットスタジオ」の司会に「柴俊夫」大抜擢!のほうが衝撃的でしたよ。

・・・しかし結局、今回は「欽ちゃん」のことばかりになってしまいました。東野さんもご存じの通り今、会社は結構忙しくて大変なんですが何故に私はここまで「欽ちゃん」について考えなければならないのでしょう。
全く仕事に身が入りませんよ。
そんなわけで「お笑いノスタルジア〜中編」からタイトルを「お笑い山脈〜欽ちゃんの時代」(僕達の前に立ちはだかる偉大なお笑い人達を「お笑い山脈」と名付けてみました)とさせて頂きました。
ご了承下さい。

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