第一回「関西ローカル番組の分析から昨今のバラエティを嘆く」

popholicより

さて。いきなり難しいテーマですね。

要は「最近のバラエティはなぜにこうもつまらないのか?」ってことですね。
しかし最近、結局誰も「笑い」を求めてないんじゃないかって気もしてます。
前はよく「ネタ番組は視聴率とれない・・」みたいなことを聞いたりする度、「いや、違う。ちゃんとしたもの作ればみんな見るはず。そんないいわけは作る側の怠慢だ。」と思ってたのですがどうやらそううじゃなく、世間は本当に優れたネタ番組見るよりタレントがだらだらゲームしてる番組のほうが好きらしいと感じ始めました。
かってテレビは先端だった。笑いにしろ音楽にしろあらゆるカルチャーの。
でも今テレビは一番後ろなんですね。
誰にでも受ける、誰にでもわかる状態ってのは鈍感な人達レベルまで落とすことですから考えたらおもしろいわけないんです。
かってはテレビ作る側に鋭い人達がいて自分達の感性を薄めつつもどっかにその鋭い部分をメッセージとして残していたように思います。
が今やもう鋭い人たちはテレビに見切りつけて例えばゲームとかネットとか別の場所にいっちゃったんでしょうね。
だから鈍い人が鈍い人に向けて作ってる状態。でまたまずいことにそれはそれでちゃんと成り立ってしまってるからますます鈍くなる。

例えば松本人志氏がなぜビデオを作らざるえなかったか。
もうテレビで真剣に「笑い」やるのがばかばかしくなったんでしょうね。
「誰も理解してへんがな。」ってことなんでしょう。

「ゴールデンと深夜」というお題からはずれましたが、ゴールデンにしろ深夜にしろテレビに「笑い」を求めるほうが間違いなんじゃないかという悲しい結論が最近の私の思うところです。

でここで「今までどうもありがとう。さよならテレビ」と言ってしまえばいいんですが、それはそれなかなか別れられないんですね、実際。
テレビがおもしろかった時代をぎりぎり知ってるし、地方在住のサラリーマンとしてはやはりテレビって大切な情報源ですから。

なんか小難しい話になっちゃったんで戻しましょうか。

そうそう関西の番組っていい意味で成長してないですよね。
この前なんか「上方漫才まつり」40周年ですよ。基本スタイル変わってへんがな。
「お笑いネットワーク」なんか関西でしかありえない。「お笑いネットワーク」ってどうでもいいけど凄いタイトル。しかし本当に関西には文字どおりの「お笑いネットワーク」が存在してるから凄い。
日曜の午後2時とか3時のゆるい時間に「オール吉本何とかかんとか」みたいな番組ぼーっと見てると「時代もくそもないなぁ。2001年になってもこんな番組作られ続けるんやろなぁ」って気がします。でもそれがそこそこ笑えるというかかなり笑えてしまうからまた凄い。
確かに人材も豊富ですわ。
例えば中山秀征ゆうてもレベル的には石田靖ぐらいかちょっと落ちるぐらいでしょう。東京ではそこそこキャリアある吉村明宏なんか絶対タージンより下。いくらTMRの西川君っても円広志にはかなわんでしょう。(って別にそこ目指してるわけちゃうとは思うが)

そんなわけでこれだけ人材豊富なら金なくてもワンアイディアあれば力技でおもろい番組作れてしまう。
しかしHKさん関西の当たり・はずれ番組って人生においてはいらん知識ですね。

「ゆうごはんまだ」
あったなぁ、イチゴちゃん。先日某友人がモーニング娘を評して「イチゴちゃんを思い出す」と語ったのは笑った。でもこれってハイヒール出てました?北野誠(当時MAKOTO)とか笑瓶とか原田伸郎が出てたんは憶えてるんですが。
ハイヒールは「4時ですよーだ」終了後、同時間帯でクイズ番組やってたの憶えてますねぇ。間違えたらちょっとずつ股広げられるやつ。今やハイヒールといえば「あさパラ」ですが。そういえば「あさパラ」の前にやってた「ときめきタイムリー」は当たり番組でしょう。上岡、ざこば、遥洋子のバトルは毎回かなりスリリングでした。

「どんぶり5656」
は幻ですよね。「なげやり倶楽部」ってのもありました。中島らもとか松尾貴志(キッチュ)とかひさうちみちおとか関西裏人脈ってのも実は重要なんですね。

「おとなの子守歌」
その後「大人の絵本」とか「男のララバイ」とか姿、形を変えつつエロの灯は消えず。関西の男子のほとんどが一回はこれらの番組で抜いてるというのは間違いないでしょう。私はKBS京都で見てましたが自分の部屋にテレビ入れたときまっさきにこの番組を見たものでした。オール巨人、坂田利夫、太平シローなど結構いろんな人が司会してましたが僕の中でベストは司会・笑福亭鶴志、アシスタント・小鳩美愛、乃木真梨子(現・村西とおる夫人)時代ですかねぇ。この辺の話はまたいずれやりましょう。

そうそうのりおと新野新がやってた「今夜、なに色」ってのもありました。えらく真面目な番組でしたがかなりの人気番組でした。

「圭修ファイブ」
は歴史的失敗作でした。
圭がいち早く東京に行ったのは正解。大阪ではあのレベルではやっていけませんから。圭氏は東京では「大阪・吉本」って部分で結構売ってますがはっきりいって関西人は誰も圭のことは認めてませんからねぇ。関西ではむしろ「なには友あれ」で修のほうが関西人(特におばちゃん)のハートを掴んでますから。でも「圭修ファイブ」内容は誰も憶えてませんが「ケッケッケッ圭修ファイ」っていうCM前のジングルはみんな憶えてるってのが不思議。

関西なつかし番組話始めたらきりなくなるんでやめますが。

あとさんま師匠についてですが確かに「欽ちゃん」ですね。
でもさんま師匠が欽ちゃんのように衰退を辿るというのはちょっと反論有りですね。
確かに大竹しのぶと結婚した頃、このままさんまも終わっちゃうのかな?なんて考えたこともありましたがここ数年の姿を見て終わることはもうないなと確信してます。
さんま師匠の未来はむしろ「植木等」的な有りかたじゃないかと思います。「負」のイメージのかけらもない天性の陽気さを持つさんま師匠は死ぬまで愛され続けるしかないでしょう。
でここでちょっと脱線して「関西芸人」の東京進出について。
考えたらさんま師匠は「こてこての関西」というイメージですが実は全く関西的ではないんですね。
もともと欽ちゃんや堺正章の影響を受けたスマートな芸風なんですが圧倒的な喋りのパワーでそこを感じさせない。
そこがさんま師匠を「東京で真の成功を収めた最初の関西芸人」にしえた要因だと思うのです。
関西芸人が東京(全国区)で成功するための一つの要素として「関西臭」を消すということがあるとおもうのです。
さんま師匠は前述の通りで基本にあるのが東京の粋だったりするしダウンタウンは出現当初「ラジカルガジベリビンバシステムなんかの東京のシュールな笑いに対する西からの回答」という位置づけで関西では異色の存在だった。ナイナイなんてとんねるず世代ですからもともと関西臭なんて全くなかった。
そんなわけで「関西の芸人が東京でも受け入れられはじめた」何ていいますが実は本場関西のりは全く受け入れられていないんです。
あくまで受け入れられるのは「関西風味」ってだけなんです。
ベースが全国区のものじゃないと。
だから「吉本新喜劇」が関西ベースの上に「東京風味」をつけて売り出したところで売れるはずないんです。

この辺りどう思われます?Dr.HKさん。

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