好漢 赤井英和


私は、元プロボクサーであり、現在俳優として活躍している、赤井英和に会ったことがある。
世間では、虎舞竜の「ロード」という曲が大ヒットしていた頃だった。
私は友人に連れられて、ミナミのあるスナックに行った時のことだ。
そのスナックのマスターが、赤井さんと同じ年で、同じジムでボクサーを目指していたが、
目の怪我のためにボクサーを断念したのだった。
そのスナックに、赤井さんが居たのだった。
赤井さんは、なんとホストをやっていたのだ。もちろん無報酬だ。
「赤井英和がくる店」と評判が出れば商売繁盛で友人が助かる、そんな思いだった。
客席に行っては、水割りを作り、客と話をし、場を盛り上げ、「普段は東京で活動しているが大阪に
帰って来ると、必ずここで飲んでいるからまた来てね。」と友人のために宣伝をしていた。
当時赤井さんは、俳優として人気が出だしていた頃で、ミナミを歩けば人気者だった。
私の、席に来たときも私のことを「先輩」と呼んでいた。
私もよくやるのだが、相手の年令が解らないときはとにかく名前に「さん」付けするか「先輩」と
呼ぶのだった。
お互い、相手の大学の知っている人物をさり気なく、話題にし「その人と同期なんですよ」なんて
話題にし、相手の年令を計るのだ。
それで1歳でも上だったら、「勝ち」で少しだけ先輩の言い方をする。態度が豹変すれば逆に、
軽く見られるからだ。相手が「先輩、先輩」と立ててくると帰りぎわ「勘定一緒ね」と言ってしまうのだ。

私もこの手でよく驕ってもらえたし、驕りもした。
私は、赤井さんに「私、XX大学で、ボクシング部のTと友人なんですよ」と言って年下をアピールした。
ボクシングも競技人口が少ないために村社会で、赤井さんと、Tが友人であることはTから聞かさ
ていたのでそう言ったのだった。
すると、マスターが「昨日T来てくれたで、それは奇遇やなぁー」と感心された。

赤井さんは、高校チャンピオンになっており、関西のボクシングの名門近畿大学に進学した。
重量級のホープで自信満々の大学生活をスタートした。
大学関係者から、「赤井もすごいけど、重量級でHはもっとすごかった」と聞いたのだった。
Hとは、私の大学のボクシング部監督Hさんの事だった。
格闘家としての本能がそうさせるのか、強い相手と闘ったみたい。
そう思った、赤井さんはTの高校へH監督にスパーリングを申し込みにきた。
H監督は、病気で選手生命を断たれたが軽い運動ぐらい出来るように回復していた。
渋る、Hさんを説き伏せ、1ラウンドのスパーリングをすることになった。
赤井さんは、右フックをHさんから受け軽い脳震盪を起し、スパーリングは終わった。

それから数カ月後、私は後輩を連れそのスナックに行った。
店は、満パイ状態で、マスターが「赤井のNHKのドラマの打ち上げで貸切やねん、ごめんな」と
謝ると、奥から赤井さんがやってきて「ええやん一緒に飲もう」と誘ってくれた。
ちらっと見ると共演の女優も居たみたいだった。
入りたい衝動をこらえながら辞退した。
後輩は、入りたがっていたし私も惜しいことをしたなと、半分悔やんでいた。
私が、感じた俳優であり、スポーツマン赤井英和は、テレビそのまんまであった。

    好漢  赤井英和である。