31歳


31歳、私はこの時期、一番きつかった時期だった。どうしょうもない不幸せ感、疎外感を感じ、
自分自身でコントロールの出来ない時期だった。
それまでにも、きつい時期はあったがそれは、目標までの過程だったり、なにかに転換できる
苦しさだった。
長く付き合った彼女と別れたときも、年老いていく両親の事を思うと、仕事に打ち込み
忘れるまではいたらなかったが、何とか自分をコントロールし、仕事に打ち込むことが出来た。
しかし、この時期の苦るしみ、きつさは今まで経験したことのない苦しみ、きつさだった。
この時期私は、明かりの点いていないマンションに帰るのがいやで、毎日出掛ける前に部屋中の
電気を点け出勤した。
冷たい、ベッドに入るのがいやで毎日ドロドロになるまで飲んだ。高校、大学、社会人時に友人に
なった、人に片っ端から毎日電話を掛け飲みに誘った。
ある日、飲む人間が見つからなかったために、京都にいる友人まで尋ねた。

私は、このまま消えてなくなりたいと、真剣に思っていたのだった。私の事を大切に考え、思って
くれる人々がたくさんいるのに、それさえも目に入らなかった。
大学時代の友人と飲んでいるとき、どうしても友人の勤めている学校の話題になる。
楽しかった、講師時代を思い出し戻りたいと真剣に悩み、採用試験の願書を提出した。
年収はかなり落ちるがそんなことどうでも良かった。ただただ、あの楽しかった頃、学校に
戻りたかったのだった。
しかし、試験は不合格、でもそれでよかった。当時の私は、負け犬でこんな私に人生の大切
な時期に教えてもらう生徒が気の毒だ。

一番荒れた時期、3週間程毎日飲んだ、毎日ドロドロに・・・・
1週間目の朝、歯を磨いていると、嗚咽が出た。このまま血を吐くか、内蔵が口から出てくる
のではないかと思うほど・・・・
それでも飲みつづけた。
そんな私の生活を聞き心配してくれて電話をくれた先輩がいた。
マムシの兄弟の片割れ、Zさんだった。
今週末、家に飯でも食べに来るようにだった。私は、今週末は飲む相手を探さなくていいなーと
思ったぐらいで、その時Zさんの気持ちが解らなかった。
家におじゃますると、もう鍋の用意がしてあり、2人のお子さんと奥さんと、Zさん、と私
の5人の夕食が始まった。(久しぶりの家庭の味だった。)
Zさんは、「大人数で食べる鍋は、やっぱりうまいな」
つづけて、「良かったらしばらく週末、これからも来ないか」と言ってくれた。
鍋の湯気が目にしみた一言だった。
それから、週末にはZさんの家に毎週お邪魔した。
Zさんが、帰ってくる前に、お邪魔したときに奥さんが、先にお風呂に入るように勧め
られたが最初のうちは断った。しばらくすると、Zさんの家にお邪魔をするのが待ちどうしくなり
Zさんが帰って来ない時間だと解っていてもお邪魔していた。
そうして、Zさんの子供たちと一緒に風呂に入り、奥さんのお酌でビールまで飲んでいた。
ある日、週末Zさんの家にいくと、システムキッチンや外壁タイルのサンプルなどが置かれて
あった。
「先輩家を建てるんですか?」
「せやねん、オヤジが猫の額程の土地を昔買ってな、商売苦しなったとき売ろうとしてんけど
 おかん(母親)が売らせへんかってあるんや。そこに建てよう思てんねん。」
ご飯を食べながら、今度は簡単な見取り図を出してきた。
1階は、玄関、リビング、台所、お風呂、納戸があり、リビングは広めに計画されていた。
「Yちゃん(奥さんの名前)がな、お前の寝るとこ言うて3畳でもいいから和室作ろうって
 言うてんねんけど・・」私は週末Zさんで泊まることがあたりまえになっていた。
私は、必死で涙をこらえながら、素直じゃない私は「先輩、そのころには素敵な恋をして
ええ女見付けてますわ、先輩が家に来いって言っても、よう行かん言うて断る奴ですわ」
とやんわり辞退した。
私は、大学でZさんの後輩だったことが、これほど良かったと思った日がなかった。

家が立ち、新築祝いに私は、ダイニングテーブルと椅子のセットをプレゼントした。
Zさんは、気を使ったが私は「このテーブルセットは私の物、大手を振ってZ家で飯が食える」と
相変わらず、毒舌を吐いた。
和室こそ無かったが、私のためにリビングに、ソファーベッドを購入してくれてあった。
しかし、生活が荒れているのは一緒だった。
その生活振りを聞き付けた、高校時代のラグビー部の監督から、電話が入り学校に来るように言われ
私は、学校に言った。
「監督は、何も言わず暇があったら高校のコーチにならないか、俺を助けてくれ」とおっしゃった。
私はこれで、生活が変わるのではないかと思い承諾した。
これほどラグビーをしていて良かったと思った日はなかった。
出来る限りグランドに行き、後輩達ちと汗を流し、現役時代と同じ、ゲーム前の心臓の鼓動が聞こえ
てくる、緊張感が私を徐々に荒れた生活から解放していった。

私は、今幸せである。かわいい2人の子供に恵まれ、数年前あれほど家に帰りたくなかった私が
嘘のようである。
ある日、家内が子供を連れて実家に帰った。
その夜、31歳の頃の寂しさが沸き上がり、2度と家内を実家に帰さなくなった。
その代わり、毎週家内のお母さんに来てもらっている。
家内が実家に帰れるのは、私が出張で外泊するときだけになった。
塩が、甘さを引立てる調味料とするならば、31歳の頃の私は、現在の幸せを引立てる
調味料の時期を、神様が与えてくれた時間だと考えている。