人夫


私は、講師の口を求めているとき、食いつなぐ為に、大学卒業後色々なアルバイトを経験した。
高校のラグビー部の先輩の稼業が、建設業だったので、そこで建設作業員として働いた事もあった
ある建築現場で働いているときに、釜ヶ崎(東京でいう山谷)から来た日雇い労働者と仲良くなっ
その時に、色々な話を聞いたのだった。
その現場は、大手の建設会社の建設現場だった。
大手建設会社は、「協力会社」という名目の子飼いの下請けを持っている。
私が、アルバイトした会社は、いわゆる「協力会社」であった。
しかし、人夫の人数が足らないときは、下請けの建設会社に人夫を依頼し、人夫集めをするのだ。
職長と呼ばれる人だけが、社員で後は下請けの会社が、宿舎を持ち人夫を抱えていた。
下請け会社は、依頼された人数を各現場へ配置するのだった。
それでも人が足らない時は、「手配師」と呼ばれる人間に依頼し、釜ヶ崎から人夫を調達するのだ。
私が仲良くなった、人夫も手配師から集められた人だった。
労働センターで仕事を斡旋してくれることもあるが、釜ヶ崎の労働センターの近くに、小型バス
をとめ人夫を集めるのだった。たとえば手配師が、1人1万5千円で、請け負うとバスに1万2千
と書き、人夫を募るのだ。1人3千円が手配師の儲けになる。
そんな人夫が5名ほどその現場にいた。
その中の1人の浜野と名乗る、中年の人夫と親しくなったのだ。
仕事をしていると、ある人夫が私に「この前、わし結婚してな、嫁さん斎藤由貴そっくりやねん」
と話し掛けた。私は「そんなにかわいいんですか?。羨ましいですね」
と答えるとその人夫は嬉しそうに「料理もうまいねんで」と続けた。
その人夫が持ち場を離れると浜野と名乗る人夫が「あいつまた与太話しとうるわ」と吐き捨てた。
「えっウソなんですか?」
「当たり前や、西成のドヤに住んどって何が結婚や、斎藤由貴や」とまたも吐き捨てた。
「ああやって、夢みたいなことを喋って、気をまぎらわしとんねん」
「大体、あそこに住んでいるのは、本名名乗ってる奴なんて1人もいてへん、みんな何か理由が
 あって、流れてきたんや」と呟くように言った。
「浜野さんも、偽名ですか?」余計なことを私は聞いてしまった。
浜野と名乗る人夫はにやりと寂しそうに笑った。

その現場に浜野と名乗る人夫は、2週間ほど来ていた。私は昼食を浜野さんと食べるのが日課に
なっていた。
その時に色々な話を聞いたのだった。
夜、釜ヶ崎では「たたき」と呼ばれる強盗が出ること。
この「たたき」と呼ばれる強盗は、日雇いでもらった人夫の給料を、強奪するのだ。
無抵抗の人夫を数人で袋叩きにあわせ、その日稼いだ、数千円の所持金を奪うのだ。
また、暴力団が、日雇い人夫専門の賭博場を開き食物にするらしかった。
その賭博場には、おでん、おにぎり等が無料で食べれるのだった。
1万2千円の手間賃を貰った、日雇い労働者は、2合500円の酒を飲み、1500円のドヤに泊
り(簡易宿泊所)残った1万円のお金を懐に賭博場に向かうのだ。
夕食は、賭博場の無料のおでん、おにぎりで済ますのだった。
今日、食べる心配のない人夫達は、有金全部博打に注ぎ込み、すってんてんになってドヤへ帰る。
浜野と名乗る男は、「やくざは、わしらみたいな者まで食いもんにするんや」と吐き捨てた。
「やくざが、人夫相手の高利貸しもしてるんやで」と続けた。
「といち」違うで、1日1割りの高利貸しやで、1万までしか貸せへんけどな」
「あの街のやくざは、わしらみたいな者をこの世界から抜け出せんように罠を仕掛けよる」

2週間後、浜野と名乗る男が来なくなった。
私は、釜ヶ崎から来ていた人夫に「浜野さん今日来てへんの」と尋ねた。
その人夫は、「ああ、あいつ昨日、何処かに行ってしもたわ」
その後、浜野と名乗る人夫は、2度と現場にはもどって来なかった。