向こう側


私が生まれ育った、町は混沌としていた。そして、学校の校区全体が混沌としていた。
ある地区の住人は、子供達に道路の『向こう側』に行ってはいけないと言った。
道路の『向こう側』の住人は、川の『向こう側』に行ってはいけないと言った。
また川の住人は、畑の『向こう側』に行ってはいけないと言った。
私の通学した学校の校区は、被差別部落、在日韓国、朝鮮人の住む地区。そして、
親と一緒に暮らせない子供達が集団で暮らす施設があった。それぞれが、社会からいわれのない差別を受けていた。
なのに、『向こう側』と言われるものどうしが、集団を作り互いに、勢力争いや牽制をしあっていた。
中学生になり、男女の交際は、『向こう側』の人間とすると、親からの圧力がかかり、長続きするものはなかった。
実際、裕福な『向こう側』の同級生の女の子が、道路の『向こう側』の人間と交際したときに、
彼女は途中で私立の女子中学に転校して行った。
子供の頃、比較的裕福な『向こう側』の人間の同級生と遊びに行くことになった。
私たちは、ほとんどが鍵っ子だったので遊びはたくましかった。
カエル、ヘビ、ザリガニ、台湾ドジョウ(雷魚)カメ、捕まえたりしてあそんでいた。
そんな、遊びを羨ましく思っていたそいつは、ある日連れて行っててほしいと私たちに頼んだ。
私たちは、承諾し、それぞれの絶好の秘密のポイントに連れていった。
彼も、大いに楽しく遊んだので,「家にプラッシーあるから飲んで帰れや。」になり、全員で、彼の家に行った。
母親が出てきて、「プラッシー」の栓を抜き全員に飲ませてくれたが、歓迎されていない事は、感じられた。
その後、そいつは、2度と私たちと遊ばなくなった。