向こうVol.2


小学校、初めての運動会だった。
近所で隣り合わせて、良い場所を求め大人たちは、夜も暗いうちから場所取りに奔走した。
私は、楽しみだった、運動会が・・・・・
なぜなら、まずい給食ではなくてその日は、母親の作った弁当を食べれるからだ。
午前のプログラムが終わり、子供たちは、親のいる場所に散っていった。
おにぎりや、普段食べないご馳走を、重箱に詰めた母親が、近所の人たちと出迎えてくれた。
食事が始まる前に、私はトイレに行きたくなり校舎の中に入っていった。


すると、校舎から一番近い教室に、数十人の児童が教室の中にいた。
私は、その教室を覗き込んだ。すると、同級生の顔が見えた。
見た事のない、大人の顔もそこにあった。先生ではなかった。
私は、おちょけて同級生に合図を送った。
同級生は,気づき笑顔で手を振ってくれた。
その児童数十人は、小学校1年生から、6年生までの男女だった。
ちょうど、弁当を広げて食べようとしているところだった。
高学年の男の児童が私に気づいた。
怒った顔をして、私をにらみ、手で振り払うように『向こう側』に行けと合図した。
私は、恐くなりすぐにその場を離れた。
トイレに行き、母親達の待つ運動場に帰っても、なぜ怒った素振りをしたのか解らなかった。

私は母親に「xx君、教室でお兄ちゃん達と全然知らんおっちゃんと弁当食べてたよ」
と言った。
すると母親は、「xx君、学園の子やから、お兄ちゃん達と食べてるねん」と答えた。
楽しい運動会の昼食時間だけxx君が「向こう側」へ行ってしまったような気がした。

次の年から、運動会の時は、保護者と運動場で昼食を食べる事はなくなった。
教室でクラスそろって食べる事になった。
その次の年からは、弁当も無くなり運動会の時も給食が出るようになった。
理由は、私たちも解っていた。口さがない保護者は、「学園の子」がいるからや」
と不満を言う親達もいた。また同級生も、「お前らのせいや」となじるものも出た。
私の母親は、厳しかったがやさしい母親だった。
私が、高学年になり家に、彼らが来ても怒らなかったし、ご飯を食べさせようとした。
でも、門限があるために叶わなかった。
私が、学園に遊びに行くのも止めなかったし
私が学園で、夕食を食べて帰ってきたり、風呂に入ってきても怒らなかった。
ある日、学園に遊びに行くと言った時などは、お菓子を持たせてくれた。

昨年、中学の同窓会があった。
卒業以来、xx君と初めて会った。
教室から、私に笑顔で合図してくれた笑顔がそこにあった。
注:「学園の子」とは、様々な理由により、親と生活できない児童、生徒が集団で生活していた
児童福祉施設のこと 「 XX学園」という名前だったので、そこで生活していた児童、生徒の
事を私たちは、「学園の子」と呼んでいた。