本名


私は、在日で生きてきて、何時自分が韓国人であるか意識したのか記憶にない。
父親が、親戚と話す韓国語や、食物、法事の様式等は全部韓国式だったからである。
もの心付いたときには、韓国が目の前にあったのである。
ボクシングのタイトルマッチを家族で見ていると、必ず両親は、韓国人ボクサーを応援していた。
私は、馴染みのない韓国人ボクサーより日本人ボクサーを心のなかで応援していたのである。
子供心に両親の前で、日本人を応援するのを子供心に、憚ったのであった。。
日本の同化政策にどっぷり浸かった子供だった。

M美をある建設会社のアルバイト社員(頑張り屋のM美はお母さん参照)に紹介したときにM美は
本名を書いた履歴書を持参してきた。
私は、1部上場企業の建設会社がどのように判断するか解らなかったので、心のなかで(日本名でもいいのに)
と思った。その時そんな顔色を、M美は見逃さなかった。
面接が終わり、帰る途中で喫茶店に入り、とりとめない話をM美としている時に不意にM美が
「先生、本名書いた履歴書ダメだったですか?」(この時まだ採用は決まっていなかった)
と聞いてきた。私は心の中を見透かされたようで少し動揺した。
「なんで?」と聞きなおすと、「先生は、中学校に勤めているときに本名だったのに、T所長は、
 先生のこと日本名で呼んではったから、やっぱり日本社会で仕事するときに不利なんかなぁーと思って」
「そやな、やっぱりあるかもしれんな?」と答えるのが精一杯だった。
M美は、私が、本名で学校に勤務していたために子供の頃から、私が本名を名乗っていたと思い込んでいた。
「先生、私、高校生になってから、本名で学校行っててん。弟も私が本名使ってから本名で通学しだしてん」

 「そうか、俺はづーーと日本名やったわ。学校勤めたときにはじめて本名使ってん」
私は、別に自分が韓国人だと意識して隠したことはなかった。
特別に云いふらすでもなかったが・・・・

私は、大学を卒業する間際、学生課に赴いた。学生課の課長に、
「通名で入学しましたが、本名で卒業証書を頂きたいのです。」
本名で卒業させてください。」と申し込んだのである。
課長は、「そうやな、その方がええな」とあっさり言ってくれたのである。

小学校を卒業式した夕方、担任の先生が、私の家に尋ねてきた。
手には、本名で書かれた卒業証書を持って。
私は日本名の卒業証書を昼間にもらっていた。
担任の先生曰く「日本名の卒業証書は、韓国では認められないと聞いて・・・・・」
後から聞いたのだが、2枚卒業証書を出すことは当時大変な事らしかった。
記録として残るからである。
学校長は渋っていたらしかったが、何度も校長と掛け合いもう一枚作成してくれたのだった。
そんな記憶があったから、学生課に申し込みに行ったのだった。

当然、教員免許状も本名で申し込んだ。
故に、講師の申し込みも本名と通名を書いてだしていたのだった。
初めて、講師した時に赴任先の校長先生から「どちらを名乗る」か聞かれた時に、
私は、本名でと答えたのだ。校長先生も「その方が良い」と直ぐ様答えた。
社会的に初めて本名を名乗ったのが、教員生活スタートと同じ日だった。

家内の従兄が、本名で大手不動産会社に努めていた時に、名刺を見て反応する人もいたし
しない人もいたらしい。また韓国人のクライアントの場合は、喜んでくれて指名されたそうである。

M美と話をしているときに、私自身恥ずかしくなってきた。
M美は、私の影響で、教員を目指し、本名を名乗り、生きているのに私が、日本社会でコソコソ
生きているように思えてきたからだ。
「負うた子に教えられる」とはこのことだ。
しかし、現在も私は、通名で仕事をしている。