13人で公式戦


中学2年に進級し、3名いた新3年生もラグビー部をやめてしまい、ラグビー部は、
13名の新2年生だけになった。
2年生の春、公式戦の大会が始まる、私達はどうしても、出場したくて部員集めに奔走
した。
1年生は、まだ仮入部で、危なくて規定上出場できないのだ。
バスケ、水泳、柔道、ジャージを着ているだけでいいからと頼んだが、皆断られた。
顧問の先生は、素人だった。でも芯の通った先生で、素人ながらもグランドには、来てくれた。
棄権は、避けられない。それでも私達は練習した。
試合前日先生が、大会を見学に行くと言い出した。
一応、公式戦のジャージが配られ、その日の練習は終了した。
当日、私達は試合会場校の中学まで電車を乗り継いで、隣の市までやってきた。
この中学は、この市1番の不良校で、有名だった。この中学と試合をする予定だった。
また、ラグビー部に不良グループが集まっているのも私達は知っていた。
会場に着けば、もう他の学校が1回戦の試合の準備(アップ)をしている。
私達は、このチームの後に試合する予定だった。
私達は、とりあえず、ジャージに着替えた。ゲームは始まっていた。
私達はそのゲームを見ていると、先生が「何してるんや、アップせんか」と言い出した。
「試合できるんですか?」と聞いたら「いや棄権する。」相手チームの先生に、
13人で練習試合を申し込むと言ってくれた。私達は、嬉しくてアップを始めた。
敵チームの先生と、私達の先生の話をしているところを、遠くの方から見ながら、
私達はアップをしていた。
先生は、にこにこしながら私達に近ずいてきた。
「相手は、受けてくれた。相手も13人でやってくれるそうだ」
私達は、「やったーー」と歓声を揚げさらにヒートアップした練習をしだした」


相手は、この市一番の不良校、おまけに不良グループが集まっている。
緊張は、していたが恐くはなかった。試合ができる喜びで一杯だった。
このゲームよく覚えている。
私達は、善戦したが負けた。相手チームは聞いていた感じではなく、紳士的にゲームを
してくれた。
普通、不良グーループのいるチームは、レフリーの居ないところで、ラフプレーや
言葉で、相手を威嚇するのにこのチームはしてこなかった。
逆に、相手はほとんど3年生のチームで、キャプテンが、「相手は2年ばっかりや」
「何してるんや」と自チームを叱責していた。
スコアーは12対20だった。私は2トライし後大学で再会するカメが1トライした。
ゲームには、負けたが3年生中心のチームに善戦したこと、
何よりゲームができた事に私達は満足し、ゲームを終える事ができた。
先生は、満面のほほ笑みを浮かべ私達を出迎えてくれた。
私は、軽い脳震盪を起こしていた。
相手にタックルにゆき、その時後頭部を地面に打ち付けたのだ。
今まで明るかったグランドが、急に夕暮みたにに薄暗くなった。
ふわふわと体がタンポポの種子のように浮いている感じなのだ。
あっこれが脳震盪かとその時思った記憶がある。
ひどい脳震盪なら記憶が飛んでしまうが・・・・・・・・・・
着替えて、帰る道中先生は、機嫌がよく「相手の先生も2年生ばかりなのに、
ええチームやと誉めてくれてたぞ」と私達をおだてていた。
「先生もし相手がぼく達に負けていたら、2回戦かっこ悪いですね。」
「棄権したチームに負けて、負けたチームが2回戦に出たら」
「あほ、勝とったらお前らがでててんや」
「えっ」?
「今日のは、公式戦」私はきょとんとした。
13人しか居ないのに???


・・・・・
当時ラグビーのルールでは、1チーム15名以内でゲームすることを明記してあり、
13名でもゲームはできるのだ、ただし相手は15名出場できる。
先生は、はじめから棄権する気などサラサラなく。
相手チームに13人でゲームをする旨を伝えたところ、
相手の先生が「それじゃ、こちらも13人で」と言うことになったのだ。
現在は中学生は、12人制になっている。
現在は、社会人と大学生は同じルールで。高校生、中学生は、棄権防止のために、
若干ルールは違うが、当時は社会人から中学生まで同じルールでしていたのだ。


昔、本当に大昔イギリスとフランス(だったと思う)がラグビーのテストマッチ
(国際ゲームの事)をした。当時リザーブ制度がなく、
怪我で退場すればリザーブを補充できないルールだった。
片一方のチームの選手が、怪我で退場した。相手方は15人対14人では、自チームが
有利になりフェアでない事を主張し1名ベンチに引き上げさせたのだ。
怪我をした、チームの監督は、ルールはルール。怪我をし退場したこともチームの実力
の内と15人対14人でゲームを再開することを主張した。
引き上げたチームも納得しない。
結局、怪我で退場したチームが折れ、14人対14人でゲームは再会されたのだ。
この話は、「幻のトライ」の話とともに有名な話である。
この試合以降、リザーブ制度のルールが確立した。