私が教師になりたかった理由


私が教師になろうと思ったのは、中学2年の時、ある事件がきっかけだった。 
2年生に上がると同時に、私が所属していたラグビー部の、顧問の先生も転勤してしまい、
3人程の新3年生もやめてしまった。学校の雰囲気も急に暗くなり、
荒れる予感がした。私は、2年生ながらキャプテンに指名された。
部員は13人である。まだ、新入部員はいない。案の定、学校は3年生の
不良グループと、2年生の金魚の糞の不良グループがつながり、荒れだした。
授業抜け出し、授業妨害。授業が成立しなくなってきた。私のクラスでは無かった。
私がさせなかったのだ。2年の糞が、3年生に私のことを報告する。
生意気な奴だ、シメてやろうになった。
ある日、授業中3年生が私を呼びだした。
使い走りの3年が、「Tが呼んでいる」と言ったのだ。先生は、1度は終わってからに
してくれ、と言ったが、「ちょっとだけや」と言われ、
私を教室から出した。クラスメートはかたずを飲んで見守っていた。
トイレに連れ込まれた私は、3、4人の3年生に囲まれ、ナイフを突き付けられた。
「生意気だ」とか、「エエカッコしている」、「挨拶しない」。そんな罵声を浴びせられた。
外にいる見張り役が、先公来たと報告した。「まだか?早く帰したってくれ」
「もうちょっとや、あっち行け」
先生は、すごすごと引き返した。3年生は、他の先生を呼ばれるとまずいので
その後すぐに私を解放した。この事件は、他の先生の耳に入る事無く、
私の親の耳にも入らなかった。
もちろん、私は親にも言わなかった。後から聞いた話だが、教室を出た後、
その先生は授業を再開しょうとした。クラスのラグビー部員が
「なんで授業中出すねん」と抗議し、クラス全体が騒然となったらしい。
また先生が1人で帰って来たときクラスは騒然なっていた。そんなとき私が帰ってきたのだ。
私はその時、心のなかで{あんな卑怯なTと、この先生だけは一生許さない}と思った。
この事件がきっかけで、この先生の授業が成立しなくなった。
注意されると「3年生にはよう言わんくせに」と逆になじられる始末だ。
次に、弱い女の先生の授業に飛び火した。その後5年間、学校は荒れた・・・・・・・・
荒れた学校に通学しながら、あんな先生に教えられたら生徒は不幸や。
俺が教師になって不幸な生徒を助けてやろう。真剣に考えたのだ。
私って本当に単純!!