「東北人」


もう30年以上前のこと・・・・・・・・
私は高校2年生・・・・地獄の夏合宿長野県菅平高原に来ていた。
その2ヶ月前に私のチームは、大阪国体予選決勝で全国トップチームの大工大高(現在の常翔学園)
と熾烈なゲームをした。結果は負けてしまったが0−11という私たちに自信が付く大一番だった。

夏合宿の予定も半分も過ぎたころ練習試合が組まれる。
大阪の国体予選の結果は、ラグビーマガジンという雑誌で全国のチームに知れ渡っている。
大工大高が決勝戦で苦戦したチームと試合がしたいと、試合の申し込みが殺到した。

監督が試合の予定を私たちに告げた。
それは東北のある高校の名前だった。当時東北地方の強豪高と言えば、秋田県と岩手県の高校が有名だった。
青森県、山形県、茨城県、福島県は有名な高校が無かった。

その1つの高校が練習試合の相手、2年程前に全国初出場したが早くに負けてしまい無名に近かった。
私たちは2ヶ月の間に自信から慢心に変化していることを気が付かなかった。

ゲームが始まり直ぐに様子が違うことに私たちは気が付いた。
愚直なまでのプレー。ラフプレー寸前の荒っぽいプレーに気迫があった。

スタープレーヤーは居ないが猛練習しているチームだと直ぐに気が付いた。
私たちも目の色が変わった。
もしこのチームに負ければ、居残りの練習が待っている。
私たちも必死だった。
トライが取れそうで取れない・・・・粘りあるディヘェンス。
押し気味に試合を進めたが、引き分けた・・・・・・・・

居残りの練習こそ無かったが、監督の機嫌はすこぶる悪かった。

その夜東京の大学ラグビー部に所属している先輩からミーティングの集合が掛かった。
その先輩の話を要約すると

お前らあれが東北人や・・俺の大学にも無名高から入学してくる東北人がおる。
練習でも根を上げんし兎に角粘り強い。
なめたらやられる。2日後再戦する。今度は負けるな!!
夏合宿で再戦は異例だった。
監督同士の意地のぶつかりあいだった。

再戦はお互い意地が空回りして内容が悪い試合だった。

その年、私のチームは全国大会大阪予選決勝で負けた。
その東北のチームは全国出場翌年は全国ベスト8に入った。

私が記憶の残る選手、NO8(ナンバーエイト)の選手。
ラグビーマガジンでは拓殖大学に進学しラグビー部に入った。

福島県代表 小名浜水産高校ラグビー部の当時の皆さんご無事ですか?
ご家族の方はご無事ですか?

私は信じています。東北人のあの粘り強さと頑張りを!!