「心優しき王者」


私がその彼をはじめて見たのは、大学のボクシング部の同級生Tの試合会場でだった。
その試合は、鳥取の米子で行なわれた「全日本アマチュアボクシング大会」だった。
その試合は、ロス五輪の代表選手を決めるのに大きなウェイトを占めていた。
私が試合会場に到着してウロウロしていると、Tが私を見つけてくれた。
暫らく雑談をしていると・・・・背の高いハンサムな男が近づいてきた。
  「Tさん、この方がおっしゃっていたXXさんですか?」
T 「そうや、紹介しとくわ、T大のMって言うんや」
M「はじめまして、お噂はかねがね、Tさんより聞いています。」
私「こちらこそ、XXです。」
M「自分、酒好きなんですよ。大阪行ったときに飲みに連れていってください。」
私「いいよ、一緒に飲もうよ。」
M「本当ですよ。」
私「ああ、いいよ」
そんなことを、ちゃめっけたっぷりに言って、Mは離れていった。
私「おい、Tあいつ酒、好きやって言うてたけどホンマか?」
T 「ああ、ホンマやあいつ、強いでーーボクシングも酒も!!」
私「へーー、ボクサーって摂生するんとちがうん?」
T 「あいつは、別やーーみんなに言われてる。酒やめたらオリンピックでメダル取れるって・・」
私「そんなに強いんか?」
T 「ああ、2階級ぐらい上げても敵はおらんわ!!」
私「そしたら、あいつ今日楽勝やな。」
T 「うーーん、今日の相手も一発あるからな、負けんと思うけど、負けても代表は確実や」
私「お前、リラックスしてんな?みんなそうか?控え室とかピリピリしてんのんと違うん。」
T 「よかったら覗くか?」
私「ええんか?」
T 「ええよ、ちょっとぐらいやったら。」
そう言ってTは、私を控え室に案内してくれた。
 
控え室といっても、ロッカーも、何もない殺風景な部屋だった。
選手は、それぞれ思いおもいな事をしていた。
着替えているもの、バンテージを巻いているもの・・・さすがに冗談を言う選手はいなかったが・・・
テレビドラマのようなことはなかった。
しかし、彼らは一度リングに上がると、精悍な顔に変貌した。
この飽食の時代に、自分の意志で何もかも断ち切り、ボクシングという苛酷なスポーツに青春を捧げ、
この大舞台の日を迎える選手たちは、さすがに精神をもコントロールし気負い等は見せず、
うちに秘めた闘志を、自分自身の精神の中で、燃やしていたのだった。

私はふっと、部屋の片隅の選手が気になった。
その選手は、几帳面に自分のジャージをたたみ、身の回りの物も几帳面に整理整頓をし、
その前に正座をしていた。
そうして、手を合わせ黙想し、静かに祈りを捧げていた。
その彼の風貌は、角張ったアゴに不精髭といった感じだった。
TやMといった端正な顔立ちではなく、まさしくボクサーそのものの風貌だった。
 
私とTは控え室から出ていった。
私「さっきの正座して、拝んでたやつ、変わっているな〜やっぱり神頼みなんかな?」
T 「いつもあんなんやけど・・・めちゃ真面目な奴やねん。
  あいつが今日のMの決勝戦の相手や。」
私「そしたらあいつ、オリンピック行かれへんな。」
T 「いや、わからへん。1階級上げて選ばれるかもしれん。あいつ強いもん。」
私「へーーそうしたら始めから1階級上げて出たらええねん。減量も楽やろし・・・・・・」
T 「うーーん、あいつ、いつもMに負けよるねん、意地や。階級上げて出たら優勝するのにな。」
私は勝負師のすさまじさを見た気がした。
 
バンタムで出場していたTは、判定で勝ち、オリンピック代表をほぼ決めた。
私はMとその彼が、闘うライトウエルターの試合が待遠しかった。
試合が始まった。
速い!!二人供、とにかく速い!!!
軽量級かと思えるほどのスピードだった。レベルが高かった。
そして迫力のあるパンチが、僅か片腕の間合いで飛びかった。
それは、スポーツじゃなかった。まさしく「真剣勝負」、命のやり取りだった。
おちゃらけていたMの形相がすさまじかった。
そして、その彼も大きな目をカッと開き、相手のパンチを見極めようと必死だった。
1Rはほぼ互角で終わった・・・・・・
2R目からは、Mが優勢に立ち的確にパンチを顔面にたたき込んだ。
しかし、その彼は怯まず勇敢に闘った。
勝負は判定に持ち込まれた・・・・・・・・・
勝者はMだった。
敗者の彼は、Mの勝利を讃え、4方向に向かい礼をし、最後にレフリーに頭を下げ、
礼儀正しくリングを去っていった・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
翌朝の新聞を見て私は、嬉しくなった。その彼が敗者にもかかわらず、代表に選ばれていたのだった。
ウエルター級の勝者が選ばれず、ライトウエルターの準優勝者が選ばれたのだった。
その彼は大学を卒業し、故郷沖縄に帰っていった・・・・・・・・
彼は沖縄の小さなジムに籍を置き、プロボクサーになっていた。
沖縄はボクシング王国である。
世界チャンピオンを幾人も輩出している。
しかし、全員都会の大きなジムに所属し世界を狙った。
彼は違った・・・・・マッチメーキングをするのに不利だとわかっていて、故郷に帰っていった。
彼は日本チャンピオンになり、注目されるようになった頃、週刊誌の見出しが目に付いた。
「沖縄から世界へ」私はすぐに彼のことだとわかった。
その雑誌を買い求め、数ページに渡る写真と記事を読んだ。
その写真は、まさしくあの米子の体育館の控え室で見た、彼そのものだった。
大きな目、角張ったアゴ、濃い不精髭・・・・・・・・・
その記事から何故、彼が沖縄にこだわり、故郷に帰っていったかが理解できた。
彼のお父さんは、隻腕であった。
実家の稼業は、養豚業と農業であった。
過酷な労働をしながら、彼を大学に進学させ仕送りをつづけたのだろう。
そんな父親の背中を見て育った彼は、感謝の気持ちで一杯だったのだろう。
父親を楽にさせてあげたい・・しかしボクシングも捨てれない・・・・・・
彼は故郷沖縄に戻り、稼業を手伝いながらボクシングを続けるしかなかったのだ。
あの控え室の片隅で祈っていたのは、両親に対する感謝だったのかもしれない。
心やさしきボクサーだった。
それから数年後、彼にビッグチャンスが巡ってきた。
世界に挑戦するのが決まったのだった。
相手は、幾度も防衛をしている名ボクサーだった。
下馬評は圧倒的に不利だった・・・・・
勝負はあっけなかった。
1R・・・・・・・・その彼のフニッシュブローの右フックがチャンピオンのアゴを捉えた。
チャンピオンは1Rでマットに沈んだ・・・・・・・
その彼は、右フック一発で、沖縄にチャンピオンベルトを持ち帰った。
素朴で心やさしき王者の誕生の瞬間だった。

彼の名は「平仲信明」心やさしきファイターだった。
 
 
               
                        後日談
 
Mはロス五輪代表にもなり、ソウル五輪の代表にもなった。
私は、ソウル五輪の時に応援に行った。
しかし、負けてしまいその夜朝まで、ソウルで飲み明かした。
約束は4年後に果たされた。
Mは約10年間アマチュアの王者に君臨し、王者のままで引退した。
現在ある学校に勤務している。