後藤を待ちながら・・・・VOL 2


佐伯  「その時、私は14歳でした、勤労奉仕で広島市内から、数十キロ離れた、所にいたんです。」
     「父親は広島で役人をしていましてね。母親と小学生の妹、それに幼い弟がいました。」
     「私は、作業が始まるので、宿舎から作業場に行く途中だったんです。」
     「稲妻が走ったように、閃光がひかり暫らく経ってから、ドーーンという音が聞こえてきたんで光った方向を見ると」
     「地上から大きな雲が湧き出てくるように空に向かって、上がっていったんです。」
     「みんなは大騒ぎでした・・・・・・・」
     「係の兵隊さんも見ていましたが、急に怒鳴り声になって、作業場へ入れられました。」
     「その日の午前中は、みんな作業にならずに不安がって、泣きだす者もいました。」
     「午後になってから、何処からともなく広島に新型爆弾が落ちて、ひとりも生きていないという噂が広がりました。」
     「みんな広島に帰りたくて、仕方がなかったんです。」
     「15日になって、天皇陛下の大切な話があるというので、みんなラジオの前に集められました。」
     「兵隊さんが泣いているのを見て、ああ戦争に負けたんだなと思ったのでした。」
     「その日の夕刻、蒸かした薩摩芋を2つ貰い私たちは、広島まで歩いて帰りました。」
     「子供の足で2日間かかりましたが早く、両親に会いたい、妹や弟に会いたい・・・」
     「そんなことばかり考えていました。」
     「市内に入ると、腐臭が鼻をつき、蝿が以上発生していました。」
     「川には、まだ死体が浮いており、パンパンに膨らんでいました。」
     「瓦礫の下から黒焦げの手足が出ており、体中ガラスの破片が刺さった死体もありました。」
     「私は自分家が何処にあったのかも分からず、さまよい歩きました。」
     「すると、倒れた煙突の文字が読めました・・・「梅の湯」私が父親とよく行った銭湯でした・・・」
     「家の近くだ!!私は必死に家族を探しました・・・・・」
     「すると、顔に手ぬぐいをまいた伯母さんが・・『よっちゃん』と私の名前を呼びました。」
     「聞き覚えのあるその声は・・2軒隣のやさしい伯母さんでした。」
     「その伯母さんの顔は、火傷で顔が半分ケロイド状になっていた・・・」
     「伯母さん、ぼくの家族は・・・・と泣きながら聞くと伯母さんも泣きながら・・・・・・・」
     「みんな死んでしもた・・・伯母さんの可愛い子供たちも・・・・・・・・」

     「私は、祖父母のいる田舎まで1週間歩いて辿り着いた・・」
     「昭和24年に東京に出てきて大学まで行かせてもらいました」
     「卒業する間近に祖父母があいつで亡くなり、天涯孤独になったんです」
     「大学を卒業して、銀行に勤めました。」
     「身を粉にして働き、いつのまにか、平取だが役員まで登りつめていました。」
     「私は、嬉しかった、役員になれば定年退職も延長されるし、何より働ける事が・・」
     「ある日、頭取から呼び出しを受けました・・・副頭取にならないかと・・・・」
     「平取りからいきなり副頭取・・・・夢みたいな話だが・・・何かあるなとは感じたが引受けるしかなかった・・・・・」
     「業績は、芳しくなかったが最後には、国が大蔵省が助けてくれると信じて疑わなかった」
     「粉飾決算も、不良債権隠しも見逃してくれた・・・・・・・・」
     「彼らもプロ、わからないはずがない・・・・・」
     「暗黙の了解の上での事だったんです。」
     「結局、粉飾決算も、不良債権隠しも、誰かが推し進めなければならなかった。」
     「それが、天涯孤独の叩き上げの、私だったのです。」

         キムは煙草を取出し火を点ける、深く吸い込みため息のように吐き出す・・・・

キム  「わしはね、戦争が始まる2年ほど前、9才の時に日本にやってきましたねぇ」
     「貧農の倅だったんですよ、わたしゃ・・・・」
     「日本は、豊かだ、今より楽な暮らしができる・・・・・そんな話に父親が飛び付いたんですよ」
     「九州の炭鉱に来ましてね、父親は1日16時間働いて、やっと親子5人食べれたんです。」
     「落盤事故が起きて、朝鮮人が死ぬと2日後には、朝鮮から私たちみたいな家族がやって
      来たんですよ。みんな夢見てね。」
     「わしら朝鮮人は、トンネルを支える材木の扱いでしたよ。」
     「わしは、すぐに口減らしの為に、東京に出されましてね、納豆売りしてたんですよ」
     「なっとーーーなっとーーーと言うだけで、日本語しゃべらなくていいからね。」
     「初めて覚えた日本語が納豆でした。」
     「それから、下町の工場に丁稚に出ましてね、よく職人にこずかれました。」
     「日本語がよく理解できずにね。」
     「学校にも行けず、学校をに行く、同い年の子供たちと歩くのは惨めでした。」
     「ボロをまとって、弁当も持たずに工場に行くんですよ。」
     「よく、虐められましたよ。」
     「ある日、学校に行く子供たちが私の回りで、歌を歌い囃し立てたんです。」

     「朝鮮、朝鮮とパカにするな、同じ人間どこ違う、靴の先がちょと違う」ってね。

     「私は、悔しくて、ひとりの子供に殴りかかったんです。」
     「すると、仲間は逃げてしまいました。翌日工場に行く途中に、昨日わしが殴りつけた
      少年が、3つ4つ年上の兄らしき人間と待ち伏せしていたんですよ。」
     「お前、朝鮮のくせして、日本人を殴るとはどういう了見だ!!」ってね。
      ボロ雑巾のように殴られましたよ。」
     「その時、殴られながら、日本人に負けてたまるか!!て心に思ったんですよ」
     「戦争が始まり、空襲がひどくなっても行くところがないわしは、ノラ犬のように生きてきましたよ。」
     「戦争が終わる頃には、戦災孤児を集めて、身を寄せて生きていました。」
     「上野の闇市で、商売を始めたのが16の時でしたよ。」
     「戦災孤児を集めてはいっぱしの愚連隊になっていましてね。」
     「闇市で少しばかりの金を儲けた、20歳を過ぎた頃、朝鮮動乱、韓国動乱ともいうが」
      始まりましてね、内乱が起きたんですよ。」
     「私は、戦争には、戦車、鉄砲、飛行機、爆弾がいる、材料の鉄を売れば儲かる!!」
     「そう思って、持っていた小金で屑鉄を買い漁ったんですよ。」
     「見事に、それがあたりましてね。」
     「今度は、その屑鉄置場の為の土地を二束三文で買い漁ったんですよ。」
     「鉄が駄目になると、今度はその土地にパチンコ屋をしましてね、それも大当たりでした。」
     「毎日笑いが止まりませんでしたよ。」
     「すると、今度は税務署がやってきてね、税金を払えと来たもんだ。」
     「税金は、国民の義務だなんて言ってね。」
     「こちとら、参政権もねじゃねぇかって言ってやったよ。」
     「バカらしくて税金なんて納められるかってね。」
     「そいでもって、脱税したわけさ。」
     「今まで、相手にしてくれなかった都市銀行もよ、支店長がワシに頭を下げるんだぜ。」
     「預金お願いしますってね。」
     「わしは、あんたどこの大学出てんだ?って聞いたら東大だって言いやがる。」
     「気持ち良かったねーーーーあの時は。」
     「それでもって、あのバブル経済だ。」
     「あのビル、この土地と・・・融資するからって銀行が持ってくるんだよ。」
     「わたしゃ、一銭も出さずにワシの物になっていったんだ。」
     「有頂天よ。」
     「さすがの、わしも少し不安になってその事を東大出の支店長に言うと・・・」
     『大丈夫です。借金は幾らで、いま売ればこれだけで売れます差し引き・・・・』
     『あなたは、一円も使わずにこれだけ資産増やしたんですよ。あなたは頭がいい』
     「なんて、東大出の奴に言われたら有頂天になるわな」
     「気が付いたときには、もう土地も、ビルも売れなくなって『やいの、やいの』の催促だ・・・・・」
     「脱税していた、裏金でなんとかしょうと思っていた矢先に、査察が入って・・・・・・・」
     「全部持っていかれた・・・・・・・・・・・・・」
     「税務署にも・・・銀行にも・・・・・・・・・・・」

 今度は、佐伯が煙草を取り出し煙草に火を付け、大きく煙を吸い込む・・・・・・・・


つづく・・・・・・