試合直前ロッカールームの中


ニュージーランドのラグビーのナショナルチーム、愛称オールブラックス。
ラガーメンの憧れのチームである。
試合前に「オークライ」を相手選手に向かってやるのが習わしになっている。
「オークライ」とはニュージランドの先住民の部族が戦いの前に踊ったという、戦いの踊りなのだ。
もちろん、歌か台詞かわからないが、先住民の言葉である。
これを、やると観客も大いに盛り上がる。
私も、1度はナマで見てみたいと思っている。
オールブラックスの選手は、この戦いの踊りを、踊りながらモチベーションを上げているのである。

そう、指導者もゲーム前のロッカールームで色々工夫を懲らして、モチベーションを上げるために苦心している。
早稲田大学のラグビー部の監督であり、全日本の監督であった、「大西鉄之助」氏がいた。
近代ラグビーの指導書「連続、展開、接近」の著書があり、当時優れた指導者であった。
昭和の40年代、イギリスのナショナルチームが日本に遠征にきた。
場所は、花園ラグビー場である。
全日本の選手は、当時、野武士的な選手で、荒くれ男が多かった。
現代みたいに、スマートではなく、豪傑で一癖も二癖もある選手ばかりだった。
伏見工業の、山口良治氏や私の大学の監督もメンバーだった。
1夜で給料を全部飲んでしまう選手や、酔っ払ってヤクザとも喧嘩するような選手が集まった。
こんな、選手をまとめたのが大西氏であった。

ゲーム前のアップ(ウォーミングアップ)が終わり、選手は公式戦用のジャージに着替えるために
ロッカールームに集まった。
準備が整い、選手は監督の最後の言葉に聞き入る。
ラグビーは、野球等と違いゲームには参加できない、主将が仕切るのだ。
グランドに出れば、手の届かない所へ、選手は行ってしまうのだ。
大西氏は荒くれ選手を前に、静かに言った。
「死んでこい」「骨は俺が拾ってやる」
たったこれだけの言葉で、荒くれ男達は、頭が真っ白になり、泣きだす選手もいたという。

ゲームは、まれに見る、好ゲームになった。
全日本は、大男を相手するために、ルールを研究し、新しい戦法を編み出していた。
ショートラインアウトやサインプレーで本場のラガーメンを翻弄した。
何より、感動させたのが、捨て身のタックルだった。
ゲーム終了後、観客は総立ちになり、スタンディングオペレーションが止まず、感動で涙を流す人も多くいたという。
結果は、3ー6で負けはしたが、試合終了後全日本の大健闘を、イギリスチームも讃えた。
イギリス選手からジャージ交換を申し入れ、交換が始まった。
背中に相手チームのジャージを肩に掛け、手をつなぎ輪が出来上がった。
今も、花園でオールドファンの語り草になっている。
日本のラグビー史における、名勝負の1ページである。

十数年前、大学ラグビーは、名門早稲田大学、明治大学、新興チームの大東文化大学を軸に優勝を争った。
名門、慶応大学は低迷していた。
その時に、OBであり、元全日本選手の「上田昭夫」氏が監督に就任した。
上田氏は、力では劣る、チームを巧みなモチベーションで、勢いをつけ、決勝まで進んだ。
決勝まで進んだ事も、大変なことだった。
大学選手権決勝直前のロッカールームで、上田氏は選手を前にこんなパフォーマンスをしたのだ。
上田氏は、慶応大学のブレザー、ネクタイをしている。当然エンブレムも慶応ラグビー部のものだ。
上田氏は、エンブレムを胸からはぎ取り、「このエンブレムに勝利を誓え!!」と言ったそうである。
エンブレムは、当然簡単に取れるものではない、取れる用に細工をしていたそうだ。
結果は、勝ってしまった。
今度は、社会人優勝チームとの日本選手権である。
日本選手権決勝直前の国立競技場のロッカールームで、上田氏は選手の前に立った。
徐に取り出したのが、大学選手権優勝の賞状だった。
「おれたちの欲しいのは、この賞状ではない!!」と選手の前で賞状を破り捨てたのだ。
慶応大学ラグビー部は、社会人チームにまで勝ってしまい、日本一になった。
奇跡は、2度起きた。
破り捨てた、賞状はカラーコピーだった。
その後、大学生チームが社会人チームに勝利することは無くなった。