私立なのに国立


教師も人間、様々な性格の教師や、癖の持ち主もいる。
育った環境や、時代等が違うし、思想、信条、宗教が複雑に絡み人間形成をする。

体育教師の殆どは、何らしかのスポーツを体育会に所属し、競技してきた。
例外もある、同好会で過ごしてきた教師もいる。
体育会、同好会、私立、国立、この組合せによってやはり体育教師のカラーが出る。
今から、書くことは全部がそうではないが、大多数にて当てはまると思う。
国立系卒の体育教師は、やはりソフトで、対話を重んじ理論派の教員が多い。
バンカラ系の私立大学卒、体育会系はやはりそのカラーが顕著にでる。

私が教師をしているときに、モロに私立大学体育会系のいやらしさを見たことがある。
大会が始まり、競技場に生徒を引率した教師が、顔を会わす。
当時、校内暴力が吹き荒れた、教育現場において、ラグビーがその校内暴力を沈静化さす手段として用いられた。
そのために、大会参加校が140校あまりにも上り、中学ラグビー界は隆盛をきわめた。
当然、大学の先輩、後輩も教師になりグランドで顔を会わすことになる。
後輩は、先輩に挨拶をするために先に頭を下げるが、先輩も軽く会釈をするか、それなりの
礼は尽くすのだ。
しかし、私が見た光景は異様だった。

その2人の教師は、同じ大学のラグビー部の先輩、後輩であった。
同じく、生徒を引率し試合会場にやってきたのだった。
後輩は、先輩であるその教師に挨拶をした。
すると、その先輩の教師は「おいXX」と呼び捨てにし「お前ええかげんせんなアカンぞ」
と怒鳴ったのだ。
話を聞けば、怒鳴るほどのことではなかった。
体育教師は、やはり赴任校に於いて、生活指導の役割については、重きものがある。
「強面」で通っているのだ。
怒鳴られた、先生は、謝るしかないのだ。先輩を立てることを4年間たたき込まれているからだ。
両方の中学生は、成り行きを見守っている。
怒鳴られた方の先生の生徒は「うちの先生恐いけど、あの先生にかかったら形無しや」に成るのだ。
逆の中学生は、やっぱりうちの先生は、「強いんや」になってしまうのだ。
この光景を見たときに私は、怒鳴った教師に怒りが込み上げた。
学生時代の、ラグビー部寮と間違っているのではないかと思った。
もう、社会人で、同じ教師になっているのに、この様はなんだ。
後輩でも、同じ教師、人間だ。まして同じく生活指導で苦労しているのではないか?
自分は、生徒に力を誇示できていいだろう。
後輩の教師もその学校では1番の先生なのである。
体育会のいやらしさを見たような気がした。
こんな、先生は、特別多いとは言わないが、私が知っているだけで4人知っている。
全部、同じ大学である。

しかし、同じ大学の同じ体育教師ですばらしい先生を、私は5人知っている。
どうして、同じ大学、同じラグビー部で、こうも違うのか不思議である。
出た結論がこうだ。大学名は同じでも、出来の悪い教師は私立で、出来のよい教師は、国立だと。

誤解しないでもらいたいのは、国立大学の教師が総て良いと言っているのではない。
私立、国立、関係ないのである。
教師の善し悪しは、卒業した学校ではなくて知識の豊富さでもない。
教師という職業が好きで、子供が好きで、情熱があれば良い教師の素質十分なのだ。

昨年ある、私立大学卒の体育教師と飲む機会があった。
その体育教師は、四年前の震災にて、家が破損した。
その直後、教え子の卒業生が家にまでやってきたそうだ。
水道工事、ガス工事、ガラス、大工、あらゆる家に関する仕事に従事している教え子が・・
「先生、大丈夫か直しにきたで」と言って直してくれたそうである。
もちろん、お金は受け取らなかったそうである。
その教師曰く「わし、全然金ないけど、あんな教え子がいることが財産やねん」
教師冥利につきる話である。