羨ましい有名名門大学ラグビー部


私の卒業した大学の入試事情は特殊だった。
体育の教員免許を取得できるのは、私の住む地方では、
国立系教育大学と、もう1つの私立大学だけだった。
どちらも定員が少なく、必然的に在阪で体育の教員免許を取得できる大学として、結構人気があった。
ただ、新興大学とゆうことで、関西圏ではどのクラブもトップクラスにいたが、関東の大学には
歯が立たなかった。(例外の選手もいたが。)
とりわけ、入試制度は変則で、実技テスト、高校時代の競技歴が大きなウェートを占めた。
ラグビー部も、私が入学する前まではスカウトなど殆どしなかったのである。
入試制度のお蔭で、体育教員を目指す全国大会経験者などが自然に集まりだし、殆ど自主運営
されていたラグビー部も順調に上位のリーグに昇格し、関西Aリーグに昇格した。
大学側もラグビー部強化に本腰になり、元ジャパンの選手を監督に迎え、大学の看板のクラブに
しようと考えたのだった。
その3年目に入学したのが私だった。
有名校でもなく、伝統校でもなかった私の大学は地味な大学だった。

数年前、私より1学年上の某高校から有名名門大学に進学し、
ラグビー部員だったYさんと知り合った。
私は高校の時からYさんを知っていた。(高校ラグビー界では有名人だった)。
もちろん、Yさんは私の事は知らない。
Yさんは大学でもバリバリの1本目(1軍のこと)で、大学ラグビー界でも有名人だった。
Yさん達のラグビー部は大学選手権常連校で、優勝経験もある、偏差値の高い有名大学だ。
そのラグビー部の部員達は、ジャージ、スパイクなどメーカーからの提供品で賄っており、
買ったことがないという。
おまけに、広告宣伝費として、部費に年間数百万の資金が提供されたのだった。
羨ましい話だ。実際、あるメーカーのスパイクを履いていた大学のラグビー部が選手権に優勝しよう
ものなら、そのメーカーのスパイクが飛ぶように売れるのである。
また、リーグ戦が始まり、試合後行きつけの居酒屋に部員たちで行くと、追っ掛けの女性たちが
待ち伏せし、4人掛けのテーブルが2人組の女性たちで埋め尽くされ、「XXさん、ここに座って」
と声を掛けられるのである。
当然部員たちは、2対2の即席カップルに出来上がり、夜の街に消えていくのである。
それも、毎試合後違う女性たちがやってくるのである。
私の大学では考えられないことだった。羨ましいかぎりだ。
先輩たちはナンパするためにあの手この手を使い、成果が得れないのに、Yさんの大学では
向こうから飛び込んでくるのだ。
1本目の選手にあぶれた女性は、青田買いをするのだった。女性たちは有望な新人選手に声をかけ
るのだった。


それでもあぶれた女性は、有名名門大学のラグビー部員なら誰でも・・・・・・・・
この話を聞いた私は、進学した大学を呪った。