兄弟2人


私が大学を卒業し、講師のお呼びが掛かるまで、約1年6か月位要した。
その時に色々なアルバイトを経験した。その経験が講師になっても辞めてからも、
そして現在役に立っている。

ある日、知り合いの公務員の方から、「学童保育」の指導員のアルバイトをしないかとお誘いを受けた。
相手は小学生。中学教員志望の私だったが、勉強の為にやってみようと考えて承諾した。
ずるい考えだったが、もう一人暮らししていたので、「指導員」のバイト料だけでは、生活出来なかった。
3カ月限定のアルバイトを承諾してもらい、「学童保育」の指導員になった。

「学童保育」は両親が共働きか、母子家庭、父子家庭、または祖父母に育てられている小学生を
中心に集め、放課後面倒を見るのだ。
しかし、誰が来ても拒まない姿勢だったので結構生徒は集まった。
私がバイトした「学童保育」は、市の建物の「児童館」が拠点になった。
学校を、活動のホームにする場合もあったが、ここは違った。
小学校の先生も交替で数人関わってくれたし、教育大学の学生もアルバイトに来ていた。

ある日、小学校5年生の男の子が「学童保育」に来た。
その男の子は、顔が青くなっており、殴られた後があった。
他の指導員に「何か学校であったのか?連絡があったか?」と尋ねた。
何も連絡が無く、事情は解らなかった。
しかし、この男の子が、学校も休みがちで、当然学童保育も休みがちだということは解った。
また、父子家庭で中学生の兄がいることも解った。
明くる日、その男の子の顔は、さらにひどく腫れ、目の白い部分に血だまりが出来ていた。
「いじめ」にあっているのか?対策は?
もう居ても立ってもいられなくなり、私は直ぐに小学校へ飛んでいった。

その担任は女教師で、私が面会を求め、事の顛末を聞こうとすると顔をしかめた。
外部に話して良いのかどうか迷っている風だったが、「学校も学童保育も一緒に考えましょ」
の一言で、色々話してくれた。

私が「学童保育」の指導員のバイトになる前から体中に虐待の痕跡があり、父親と連絡を
取ろうとしても取れず、苦慮しているとの事だった。
男の子に、「誰が暴力をふるうのか?」聞いてみたが言わないのだ。
教師も注意深く見ているので、学校内ではなく、放課後に暴力を振るわれることは把握していた。
学校でも学童保育でも、「誰に」暴力を振るわれるか本人に少しずつ聞いてみることにした。
しかし、だまり込むだけで、らちはあかなかった。
それから2〜3日たったある日、担任の教師が私を児童館に訪ねてきた。
担任の話では、暴力を振るうのは中学生の兄らしかった。
今から家庭訪問に行くのでついてきてほしい、と言われ、ついていくことにした。
その児童の家は文化住宅で、1階の奥の部屋は、日もささない部屋だった。
昼間だというのに、電気を点けなければ真っ暗だった。
児童は、その日、学校にも学童保育にも来なかった。
部屋に入り、電気を点けると、万年床の布団周りには、持ち帰り弁当の食べ散らかしが散乱していた。
万年床の中から、中学生の兄と男の子がモゾモゾと出てきた。
弟の方は、また顔の傷がひどくなっており、それを見た教師は兄に怒りだした。
「お兄ちゃんのくせにどうして弟を殴るの」その教師は、涙声になっていた。
私は怒るのを制止した。

ゆっくりと事情を聞こうと思ったのだ。怒れば口が重たくなるし、兄ももがいているのが解るからだ。

要約すると、父親は2週間程帰ってこず、1週間程前に、父親の知り合いが訪ねて、数千円の
お金を兄弟に置いていったらしい。そのお金で弁当を買って食べていたが、そのお金も
昨日最後の弁当を買ったら無くなってしまい、何も食べていないとのことだった。
この兄弟は食物が無いので、暗い部屋でじっとしていて体力を消耗しないようにしていた。
まるで動物の本能だ。
私は悲しかった。中学生の兄も弟を殴りたくて殴っているのではない。
やり場のない怒りや淋しさを弟にぶつけているのだ。それを黙って受ける弟。
兄も、おそらく中学校でいじめられているのがわかる。
洗濯されていない制服。弁当は持ち帰り弁当。いじめの格好の対象になるはずだ。
その複雑に絡まった環境の中で勉強など出来るはずもなく、学校をさぼりだす。
気が強い生徒は、暴力行為、かつあげに走る。
だんだんエスカレートし、軟弱「でも・しか」教師では対応出来なくなるのだ。
社会が、このような兄弟を素早くケアできる体制にあるのなら、校内暴力やいじめを
もっと少なくすることが出来ると思う。
家庭環境の劣悪や、社会のケアの不整備、教師の力量不足、保護者の保護意識の間違った考え、
要因はいくらでもある。
これ、と言った処方箋が無いのも事実である。合併症を引き起こしているのだ。

その後、その兄弟は施設に預けられることになった。
もう2人は30歳前になっており、家庭を持っていてもおかしくない年令になっている。
2人して力を合わせて生きていっただろうか?
その父親に、いまさら保護者の役目を果たすことなんて土台無理な話だ。
願わくば、自分の境遇を反面教師にして、暖かな家庭を築き上げてほしいものである。

残念ながら、その後兄弟がどのような人生を歩んだか、私は知らない。