ラブレターをくれた君へ


私が、講師を退職して数カ月が過ぎた頃、郵便受けに、一通の手紙が舞い込んだ。
差出人を見ると覚えが無い、しかし差出人の住所は、W中学の校区の地名だった。
封を切ると、そこには高校受験の悩みやが綴られていた。
そして、最後の方は、私宛てのラブレターに変わっていた。
私が、直接知っている体育教師で、教え子と結婚した教師を2人知っている。
1人は、中学の教え子、1人は、高校だった。中学生でも新任なら、7〜8歳、高校でも4〜5歳
しか違わないので、別段めずらしくも無い。
妹の高校の先生が2度離婚、3度結婚したが全部教え子というふざけた教師もいたが・・

名前を見て、顔を思い浮べたがどうしても顔を思い出さないのだ。
目立たない、問題の無い生徒だったのだろう。
教師は、全員を網羅していないし、また出来る、時間も余裕もない。
このように、目立たない、おとなしいと思われている生徒が、こうして進学に悩んでいるのを
教師は、「頑張れ」という無責任な言葉でしか激励できないのだ。

私は、ラブレターの部分は無視をして、手紙の返信を出した。
彼女から、月に1度のペースで手紙が届き、ペンフレンドになってしまった。
相変わらず、ラブレターの部分はあったが、私は無視をし続けた。
無視というよりどのように対処すれば良いか解らなかったのだった。
年が明け、受験も最後の追込みに入ってきた。
彼女も、私立高校に合格し、後は、本命の公立高校だけになった。
公立高校の試験日の数日前に、卒業式がある。私が教えていた2年生がもう卒業。
退任するときに、卒業式には行くからと生徒たちと約束をしていたので私も出席の用意は
していたのだった。
元同僚の先生から電話連絡を受け、出席の旨を伝えた。
当日、式が終了した後、お世話になった先生方に挨拶をし、生徒の待つ校庭へ出た。
生徒たちと一通り記念撮影が終わると、母親と1人の少女が私に近ずいてきた。
ペンフレンドだった。私は初めて、この子だったのかと合点がいった。
記念撮影し、受験頑張るように激励して私は、なつかしい校舎を後にした。

数日後、彼女から合格の報せと、写真が添えられていた。
その後、約5年間私は、彼女と文通をしていた。
相変わらず、ラブレターもどきの内容だったが、そのことには一切触れず返信を続けた。
ある日、私は手紙を書きながら「あっ俺まだ教師やってるわ」と気付き一人で笑ってしまった。

彼女は卒業後、家の事務員として働き、20歳ごろに「ボーイフレンド」が出来たと報せてきた。
5年間の文通は終わった。
年賀状は来ていたが、3年ほど前からそれも途絶えがちになり、現在音信不通になった。
卒業式以来会うことはなかったが、現在幸せに暮らしていることを心より願う。