3日間行方不明


「夏休み」、毎日私は、学校に行った。
練習があるためだ、春の大阪府の大会で、3位になったW中学は、当然秋の大会では、
要注意校として、マークされるに違いない。
創部3年目で、3位になった事は、関係者を驚愕させたし、私自身「秋の大会は・・」
と内心燃えた。
春の大会は、勢いで行ってしまったが、秋の大会は各校、細部をチェックし、立直し
チームを作ってくることは、容易に推察できた。
私も、春の大会でチェックした問題点を整理し、夏休みの練習課題として取り組んだ。
あれも、これもとなると収拾が付かなくなるので、何点かに絞り練習をした。
9月になれば、秋の大会の予選が始まる。
暑い日中をさけ、夕方か、早朝に練習時間を設定した。
レギュラーはもとより、来年を担う選手まで、考慮し練習をしなければならない。
補欠だが、リザーブに入り、来年は主力選手になるであろう生徒Cがいた。
彼は、在日韓国人で、母子家庭の生徒だった。
お母さんは、パートを3つも掛け持ちし、一生懸命働いていた。
高校生の、お姉さんと小学生の弟がいた。
私は、Cのラグビーに対する才能を見抜いていた。
必ずものになる。(この場合、全国大会出場できるチームでレギュラーになれる。)
と考えた私は、Cには、特に厳しく教えた。
Cは、ラグビー部のお陰で、なんとか持っているが、やめると崩れ落ちそうな生徒だ。
私は、高校でそれも全国大会を狙える高校に進学してほしかった。
ある、私立高校では、特待生制度がある高校もあったし、私のようにラグビーで大学に
進学することさえ出来る。
そうすると、人生が変わる。大学へ進学すれば人生が好転するとは、限らないが、
多くのチャンスを世間では与えてくれる。
どんなに、教師として才能を持っていたとしても、資格がなければ採用されないし
大学を卒業しなくては、資格も取れない。
また、多くの友人だって出来るし、将来邪魔にはならないと思っている。

ある日、Cが覇気のない顔で、練習にきた。私は、ちょっとヤバイなぁーーと感じ
練習が、終わった後、帰らずに職員室に来るように言った。
Cは職員室に少し、怯えながら入ってきた。(私に怒られるのかと思っていたようだ)
私は、学校の近くにある、タコ焼き屋にCと行った。
タコ焼きを食べた後、かき氷を食べるのだ。
食べながら、色々な経験したこと(ラグビーで)良かったこと、苦しかったこと、
今は、やってて良かったと思うこと。とりとめの無いことを話した。
帰りぎわ、練習が終われば、必ず職員室に来ることを言いつけた。

夏休みの練習終了後、Cとタコ焼き屋に行く事が、毎日の日課になった。
私は、Cの顔を見ながら、色々な話をし、Cの精神状態を探っていた。
大丈夫やな、まだラグビー部をやめそうに無いな。とか今日ちょっと絞ったけど、
大丈夫やろか?とか ラグビー部をやめる精神状態にならないように気を使った。
夏休みのある日、Cは練習に来なくなった。
私は、その日の練習は気もそぞろに、早く切り上げCの家に行くことにした。
長屋の一角にある、Cの前に立ち、声をかけたが返答が無い。
ドアに手をかけると、開いた。
3畳ほどの台所と4畳半ぐらいの部屋が、目に入りそれ以上部屋は無かった。
彼の貧しさが、私の胸に飛び込んだ。
ここで、親子4人住んでいるのか・・・・
狭い、台所にはダイニングテーブルがあるはずもなく、小さなちゃぶ台があるだけだった。
そのちゃぶ台の上には、食べ残しのご飯つぶが付いた茶わんと、箸が無造作に、
転がっていた。
私は、台所と玄関が一緒になっている所に、座り誰か家族が帰って来るのを1時間程
待った。
誰も帰ってこなかった。
練習は来なくていいから、職員室に来るよう、置き手紙を置いて帰った。
翌日の練習も来なかった。部員にCの事を聞いたが誰も知らなかった。
その日も、Cの家に行ったが、家は昨日の状態のままだった。
翌日も同じ事がつづいた。
4日目ひょっこりと、Cは練習に顔を出した。
私は、涙が出るくらい安心した。(バカヤロー何処行っててん!!!)
私は、「おい、真っ黒な顔して何処いっててん」と聞いた。
Cは、練習行こうとしていたら「おちゃん」が家に来て、海に連れていってやる。
と行ったので、家族全員で鳥取の海へ行っててん」と答えた。
「おちゃん」?「親戚のおちゃんか?」Cはどう答えて良いか解らず首を横に振った。
私は、それ以上詮索しないことにした。
Cが、練習に来てくれただけで満足だった。
この3日間の行方不明は、あっさりと解決した。
夏休みの練習も、順調に消化し、秋の大会の手応えを感じ取っていた私は
9月に入り最終チェックの練習に突入した。
できなければ、何度も反復練習させ、練習は厳しかった。
1部の部員が私の練習に不満を言い出し、あっとゆう間に部員に広がり、
キャプテンを除く2〜3年生が退部すると言い出した。
Cも人間関係(友達関係)に引きずられ同調した。
顧問のK先生のおかげで、1人を除き部員達は帰ってきた。
帰ってこなかった部員がCだった。
私は、一番帰って来てほしかった、Cが帰ってこなかった事が悔しかった。
辞めさせないために、夏休み中あれだけフォローしたのに・・・・
Cはこの騒動で、ぐらついていた気持ちの緊張が切れたのだった。
「どうせ俺は、レギュラー違うし」と。
(お前は、来年の切札になれる選手だぞーーー)

2年前の正月の2日にW中学のラグビー部の、OB会と同窓会を兼ねた集まりがあった
私も呼ばれた。グランドで紅白ゲームをし、家庭科室で、K先生の奥さん、娘さん、
部員たちの奥さんたちが、ご飯を作り、酒を飲み宴会をしたのだ。
そこに、途中で退部したCの顔があった。