不良少年が一流企業社員?


2校目の赴任先、W中学のラグビー部のキャプテンでYがいる。
彼は、ラグビー部の顧問以外からは、扱いにくい生徒と思われていた。
顧問以外からは、不良の烙印を押されていた。
クラブ活動は、超真面目、練習を休んだことがないし、手を抜かないし、
体はあまり大きく無かったが、運動神経はバツグンだった。おそらく、
喧嘩でも校内で1番だったと思うが、喧嘩などしなかった。不良グループはいたが、
彼らもYには遠慮し、明らかに不良グループとは、一味も、二味も違う生徒だった。
ただ、気にいらない先生には、徹底して言う事を聞かず、一部の先生には
受けが悪かった。私は、大会が近くなり、練習も激しさを増したころ、
「誰のための練習、誰のためのラグビーなのか?」をテーマにミーティングをした。
教科書通りの答えは「自分自身のため」だ。
「苦しい練習にうち勝ち、勝利する喜びは誰のもの?」 答えは、自分のもの。
「誰のために勝ちたいか?」 自分自身のため。教科書通りの誘導だった。
しかし、Yは最後の「誰のために勝ちたいか?」のところで
「K先生」(教師の鏡参照)と躊躇することなく答えた。
私は、どうしてそう思うか尋ねた。
Yは、「俺らみたいなやんちゃ集めて、ラグビー部作ってくれて、朝も俺らより早く来てくれて、
面倒みてくれて、勝ったら嬉しそうな顔してくれて、俺はK先生の嬉しそうな
顔見たいねん」
私は、この言葉に目頭が熱くなった。K先生は少し照れ笑いを浮かべていた。
チームは春の大阪府の大会(参加校約140校)で3位に入賞した。
私は、秋の近畿大会、関西大会と目標を掲げ、練習は厳しくなる一方だった。
練習が厳しくなるにつれて、1部の生徒が不満を言い出し、あっという間に生徒たちに
広がった。Y1人を除いて、2、3年生全員が、退部すると言い出したのだ。
私はK先生が作り、育てたチームなので、部員が帰って来るのなら顧問をやめてもいいと思い、
その旨をK先生に伝えた。K先生は、「大阪で3位になれたのもXX先生のお蔭や」
と、私の面子も考え「ここで顧問やめて生徒が帰ってきても、あの子達の為にならない」。
今後の教育に悪い、最悪Yと1年生でチームを作りましょう」と言ってくれた。
放課後、K先生は反乱生徒を集め、「今日かぎりで、ここにいる部員は
全員ラグビー部退部だ」と逆に首を切ってしまったのだ。
今から思うと、ほとんどの生徒は、これで少しぐらい練習が楽になればいいぐらいに
思っていたのだと思うが、予期せぬK先生の言葉に動揺した。
つづけて、「明日1日だけ、部員を募集する。やりたい者は入部届けを書いて、
私の所へ持ってくること。よく自分で考え判断すること。明日以降は、入部受け付けないし、
XX先生は、そのまま顧問として残る。練習も今まで通り」と強気一辺倒の話だった。
翌日、1人を除いて入部届けを提出した。

この年の秋の大会で、W中学はベスト16で・前年度同大会準優勝チームと対戦。
0ー0の引き分けになった。
決勝戦は両校優勝だが、トーナメントの場合、抽選で次に駒を進めるチームを決める。
大会本部に両チームのキャプテンが呼ばれ、ジャンケンをする。勝ったほうが先に、
用意された封筒を引く。その中には、「先」、「後」と書かれており、
「先」を引いたキャプテンが、もう2通用意されている封筒を先に引くのだ。
その封筒のなかに、「出場権あり」「出場権なし」と書かれており、決定されるのだ。
抽選は、生徒がすることになっており、大会本部には顧問も近づいてはならない。
Yが、泥だらけのジャージのままで大会本部まで行った。
顧問、生徒、保護者、全員の目が大会本部に釘付けだ。相手チームもそうだった。
ジャンケン、最初の封筒、2回目の封筒、遠目だが見える。同時に開封する。
相手チームのキャプテンが封筒を高々に掲げ、自陣のベンチに喜びを
体一杯に表現し、走っていった。瞬間。相手ベンチは大歓声。
私のチームのベンチは、深いため息に包まれた。
しゃくり上げ、泣きながらYはベンチに帰ってきた。
他の生徒たちも泣いている。保護者のおかあさん達からもすすり泣く声が洩れた。
Yは「ごめん。みんなごめん」と泣き崩れた。

それから2年後、大阪の全国大会地区予選決勝戦、
Yは2年生ながら背番号10番をつけて芝生のグランドに立っていた。
相手は、大阪1番の実力チーム、全国制覇をした事もあるチームだった。
前評判は、相手校が有利だった。
ゲームが始まった。Yのチームは防戦一方だった。懸命のタックル、怒涛のように
押し寄せる重量フォワード。遠目からでも体格の違いが解る。
Yの高校は、公立高校。相手はスカウト中心の名門校。
新聞は相手チームを圧倒的に優位に書くのも仕方がない。
Yのチームが自陣から果敢に右オープン攻撃を仕掛けた。ウイングが捕まり、
フルバックへパス、FB対FBの対決だ。ステップでかわす。ゴールラインはすぐそこだ。
相手チームのフランカーが、カバーディフェンスに走る。
ゴール直前捕まる。飛び込んだ。レフリーの右手が高々と上がった、「トライだーー」。
Yのチームは先制トライを上げた。
その後、Yのチームは、たった3回しか無かったトライチャンスをことごとくトライに
結びつけた。相手チームも追い上げる。ラスト10分。
1つのトライでゲームがひっくりかえる点差だ。Yのチームは、自陣ゴール前に釘付け状態。
相手チームのウイングが、左タッチライン際を走る、抜かれると思った瞬間、
Yが懸命のタックル、相手はタッチラインを割った。
ラインアウト。私の目の前だった。Yが右肩を押さえうずくまっている。
起き上がれない。ゲームは続行している。ドクターが走ってくる。
私は大声を出していた。「Y起きろ、早く行け。」
あと10分頑張ったら、全国大会だ。もう一歩の所で行けなかった、私の夢だった。
Yはやっと起き上がった。顔をしかめながら肩を押さえている。
14人対15人でゲームは続けられている。
Yは戦況が気になり、グランドを見ている。ドクターは肩を上げろとか、回してみろ
とか指示している、Yはもどかしそうに従いながら、指示どおりにしている。
ドクターの許可が出た。ゲームが途切れ、レフリーにドクターが合図した。
Yはゲームに復帰した。割れるような歓声と拍手。でもYの耳には聞こえていないだろう。

残り5分、相手チームは、実力NO1の面子にかけて、攻撃を仕掛ける。
この10分ぐらいは、相手チームにボールを支配されつづけている。
懸命のアタック、懸命のディフェンスがつづいた。見応えある攻防だった。
時計は、試合終了時間だ。後はロスタイムのみ。ゲームが途切れる。試合終了か?
続行、ラグビー場はそのたびにため息に包まれる。
ようやく、レフリーが長い笛を2度吹き、両手を天にむかって高くあげた。
試合終了。ノーサイドだ。Yのチームは大阪NO1のチームを下し、全国大会の切符を
手に入れた。
Y達は飛び上がり、喜びを表した。
相手フィティーンは泣き崩れた。

翌年、Yのチームは決勝戦まで駒を進めた。Yはキャプテンになっており、前評判は
Yのチームが有利だった。
結果は同点だった。両校優勝だが、花園へは1チームしか行けない。
同じ要領の抽選だった。
Yは、また「出場権無し」を引いてしまった。

Yは、関西Aリーグの大学に推薦で進学した。
2年の時に腎臓病を患い、医者から絶対安静を言い渡され、1年間休部した。
医者の診断では、いつ治るか解らない、一生病気を抱えて生活する人もいるし、
治る人もいるとのことだった。
Yは1年間の闘病生活ののち、グランドに復帰した。
「また、ラグビーをやりたい」の一心だった。
卒業後、社会人Aリーグに属している上場企業に就職し、現在も現役で頑張っている。