車椅子の少年〜その後5〜 


 退院してすぐに修学旅行があったんだ。そのころ大阪の小学生の定番「伊勢志摩」だったね。
 1泊2日の旅行だったけど楽しかった・・・・お母さんも付いてきてくれたね。
 伊勢神宮参拝のとき、本宮の手前かな?警察が来て先生に何か言っていたね。
 車椅子ではこれ以上参拝できないところだったんだね。
 たしか・・・「下馬」って高札見たいのが掛かっていた・・・・

 友達が注意しに来た警察官に向かって「車椅子はH君の足や」「一緒に修学旅行させて!」
 って言ってくれたんだ。

 お母さん覚えてる?ぼくは嬉しかった・・・・・・みんながぼくのこ事をかばってくれたんだよ。
 N村君が「H君、もしこれ以上奥に行けなかったらここで野球しょうぜ」って言ってくれたんだよ。
 そしポケットからボールを出してニッカって笑うんだよ。おかしいだろお母さん。
 警察もあきらめて離れていったときはホッとしたよ。
 やっぱり少し怖かった・・・・・・
 そうそう夜はみんなと寝るんだったんだけど、お母さんもぼく達と同じ部屋で寝たよね。
 A組君やN村君Y田君M君・・・みんな「枕投げ」したくてうずうずしていたんだよ。
 お母さんが、お風呂にいったでしょ。その時誰かが枕を投げたんだよ。
 するとみんな我慢していた枕投げが始まったんだ・・・
 ぼくは羨ましいなぁ〜と思いながら見ていたんだよ、みんな楽しそうだった。
 羨ましかったけど、ぼくも見ていて楽しかったんだ・・・すると枕がぼくめがけて飛んできたんだよ。
 ハッとしたけどぼくは避けれない・・・・・・顔に直撃したんだ。
 その瞬間・・・みんな凍りついて枕投げをやめて、ぼくの周りに集まってきたんだ・・
 みんな心配そうな顔をしていたんだ。
 丁度そのとき担任の先生が入ってきたんだよ。
 みんな廊下に出されて怒られていたよ。
 そしてみんなでぼくに謝りに来てくれたんだ。でもねお母さん、ぼくが部屋にいなければ・・・
 ぼくが避けれればあんなにみんな怒られなかった。
 ただの枕投げならあんなに怒られなかった・・・・
 みんなに謝りたかったのは、ぼくの方だったんだよ・・・・・・

 修学旅行だけじゃなかった・・・・なんだかクラス全体がぼくのために動いているようだった・・・・
 運動会の時もぼくが参加できる競技をみんなで考えてくれたんだ。
 ただ籠に乗っていただけど・・A組君が前を担いでくれて、N村君が後ろを担いでくれて・・・・
 ぼくの乗った籠が走り出すと全学年の応援席から大きな拍手が沸き起こったんだ。
 お母さんのいる父兄席に差し掛かった時も大きな拍手が沸き起こったんだよね。
 PTAの役員席からも大きな拍手が沸き起こりぼくは少し恥ずかしかったよ。
 それに、ぼくが重たかったかったし、A組君やN村君がぼくが落ちないように
 あまり早く走らなかったから・・・

 抜かれたんだ。すると学校全体がため息ついて、みんな「頑張れーーー!!」
 大きな声を張り上げてくれたんだよ。
 恥ずかしかったし、凄く嬉しかった・・・・・
 ぼくはこのみんなと別れたくなかった。
 引越して校区が変わってもこの小学校に通いたいと思った・・・・
 転校するのが嫌でたまらなかった・・・・
 でも、小学校卒業までは越境通学できたけど中学からはどうなるか分からない・・
 そんな不安で一杯だった。
 でも、中学校もみんなと同じ中学校に通えるって聞いた時は本当に嬉しかったよ。
 嬉しさ反面・・ぼくは体の自由が段々利かなくなってきたことを自覚していたんだ・・・・・・・
 小学校の卒業式の当日、新聞記者がたくさん来たね。
 そうぼくのことが大きく新聞に掲載されたんだ。
 「難病、筋ジストロフィーの少年小学校を卒業」そんな見出しだった。
 おまけに、筋ジストロフィーとは「現在治療法が確立されていない、不治の病と言われている」
 なんて説明書きまでつけてあったんだ。
 その記事のおかげで、ぼくの病気が一生治らないものだとわざわざみんなに知らせてくれたんだ。
 その記事を読んだ、お父さんやお母さんのことを思うとぼくは悲しくなってしまったよ・・・・・
 そして、お父さんお母さんは、ぼくの残された時間があと3年余りであることを再認識したんだね。