車椅子の少年〜その後3〜 


 『5年生になって一ヶ月ほど経ったころ、クラスハイキングがあったんだよ。
 お母さん覚えてる?

 大阪城公園に行ったんだ。希望者だけだったけどクラス全員参加したんだよ。
 天守閣にも登ったんだ。天守閣の石垣の階段もクラスのみんなが、
 僕の車椅子をお神輿みたいに担いでくれたんだ。

 少し怖かったけど、凄く気持ちが良かったんだよ。お母さん
 弁当を大阪城公園の芝生の広場で食べた後みんなでゲームをしたんだよ。
 そう、ハンカチ落し・・・僕は見ているだけだったけど・・・・・・・・・
 すると先生が、「H君も出来るゲームないやろか?」って言ってくれたんだ。
 でも、思い浮かばなくて・・M君が
 「じゃー僕がH君の代わりに鬼を追いかけるよ」って言ってくれたんだ。
 参加って言えるほどでもなかったけど、参加できた気分になれたし、
 少しでもみんなが僕のことを考えてくれた事が嬉しかった・・・・

 その後、女の子はゴム飛びをしだしたんだ。
 男の子は、庭球を使った野球をやりだしたんだ。バットは拳をグーにして打つんだよ。
 すると、誰かが「H君もしようよ」って誘ってくれたんだよ。
 代走はM君・・僕はグーにして左腕を添えて打つんだけど当たらないんだ。
 直ぐに三振したんだ。するとみんなピッチャーに怒るんだよ。おかしいでしょ、お母さん。
 ピッチャーって三振取るものなのに、三振とって怒られたんだよ。
 いつの間にかピッチャーが前に来て僕の拳にボールを当てようとするんだ。
 そして、僕だけ三振がなくなったんだよ。守備は僕の車椅子に当たれば
 アウトってルールがこの時に出来上がったんだよ。
 楽しい一日だった。
 それから毎日学校で、「H君ルール」の野球をしていたんだよ。
 3時間目の休み時間は、3回裏1アウト2塁からっていう風に
 続き続きで野球をしていたんだよ。
 雨の日は、トランプや将棋をしていたんだよ。
 将棋はみんなに自慢できたんだ。いつも家でお父さんが将棋を教えてくれたから、
 クラスで僕に将棋で勝てる
同級生は居なかったんだよ。ホントだよ。
 A組君や、N村君、Y田君なんかと学校ではいつも一緒だった。
 あっというまの5年生だった・・・・・

 でも、6年生になるとクラス替えがあるのが嫌だった・・・・
 6年生のクラス替えのとき、3人と一緒だったのが嬉しくて嬉しくて・・・・・・・・・・・