「車椅子の少年」その後 1 


「『ちくしょう!ちくしょう!」そう言ってその子は、自分の足をたたくの・・・・・・・・・・」
「『動け!動け!ちくしょう、ちくしょう・・・』って・・・・・・」
「そうして、大粒の涙を流しながら・・・・もどかしそうに『ちくしょう!動け!」って・・・」
「彼は私の家の階段の途中で立ち止まるの・・・いえもう一歩でも階段を上がる力がなくなっているの・・・・」
「彼のお父さんは悲しそうな顔をしてじっと、階段の下から彼を見つめているの・・・」


13年ほど前に自宅でピアノ教室を開いている方から聞いた話です。
その彼は、小学校3年生筋ジストロフィーと戦っていたわずか9歳の男の子でした。

その後、彼は引越ししてしまいピアノ教室を辞めたそうです。
現在22〜3歳になっていると思います。



私がH君の訃報を聞いたのは、大学2年生の時でした。
それが、まだ肌寒い季節で、コートを着ていた人の記憶があるのです。
春に向かっていたのか、初冬だったのか?はっきりしません。
礼服を持っていなかった私は、大学ラグビー部のブレザーを着て参列したのをはっきりと覚えています。

お通夜、葬式はまるで同窓会でした。
どこでどう連絡がとれたのか・・・・・・懐かしい顔・顔・顔でした。

他市や他府県に引越ししたものまで不便なお通夜の場所にまでやってきました。
それは、6年1組の仲間であったり、3年6組のH君の同級生でした。
お葬式はお寺で行われました。
いったん通夜が落ち着くと、私達はお寺の一室でお茶と御菓子が振舞われました。
お酒は飲まなかったと思います。
H君の従兄妹の同級生が「ごめんね・・みんな・・・ありがとう・・いっぱい集まってくれて・・」と涙ぐみました。
私達は、H君のことをどう聞いて良いのか分からずに黙っていました。

すると、H君のお母さんがやって来ました。
目を腫らしていましたが、落ち着いている様子でした。
「まぁーみんな遠いところありがとう。A組君やね。Y田君にN村君にMちゃん・・・・・・・」

おばさんは、ひとりひとり懐かしむように名前を言って行きました。
「みんな、Hのこと良く面倒見てくれてありがとうね。頑張って生きたけどとうとう死んじゃった・・・」
「でもね、最後は安らかだったよ・・・・・・・・・」そういって少し涙ぐんだ。
私達は、ただただ聞いているだけだった。
何も答えられないし、言葉が無かった。
おばさんはしんみりした様子にに気づき、笑いながら「ちょっとあちらに挨拶に行くね。ゆっくりして行ってね。」

そう言ってその場離れた。
私達は、明日のお葬式なるべく参加しようと約束をしてその日は帰宅した。
翌日、就職していた者も多かったが、同級生がたくさん集まった。
小学校の先生や、中学校の先生も多くいた。
転勤していた先生も連絡を取り合ってたくさん来ていた。
H君が筋ジストロフィーの生徒でなかったらこうも卒業生や先生は集まらなかっただろう。
なぜなら、同級生全員がH君が精一杯生きてきたのを知っていたから・・・・・・・
彼は、思いどおりに動かない体に対して、行き憤りや、悔しさがあっただろう。

しかし、誰にもそんな素振りは見せなかったし、わがままを言わなかった。
いつも何かにはにかんでいる様子だった。

それに、同級生に対していつもすまなさそうにしていた。

葬式当日たくさんの同級生に見送られたのも彼のそういった性格も多大に影響しただろ。
名古屋にお嫁に行った先生からも弔電があった。
誰かが「あっ、あっちゃん先生や」と懐かしい保健室の先生の名前を言った。
先生は、名前が分かるようにお嫁に行った先の名ではなく、わざわざ旧姓で弔電を打っていた。


私と、Y田、N村、3人はお葬式が終わっても帰れなかった。
斎場まで誰とも言わずにふらふらと着いて行った。

鉄の扉が閉められた時、あれほど落ち着いていたおばさんが急に取り乱した。
「いやーーーーHっーーー」とH君の名を叫び鉄の扉に飛び掛らんばかりだった。

それをかろうじてH君のお父さんが、押しとどめた。
おばさんは、イヤイヤするように首を振り続けたが、最後には泣き崩れた。
おじさんがそれを支えた。おばさんは何度も嗚咽を漏らし、ハンカチを握り締めながらおじさんの胸に顔をうずめた。

昨夜、葬式と見てきた私は不思議な光景を見るように眺めていた。
怖かった同級生の「死」が夢のように現実感がなかった。
ふわふわと、夢の中のような出来事だった。
恐怖感が無かった・・・・・・



数ヶ月間私の中で何かもやもやしたものがあった。
最後のおばさんの取り乱し方・・・そしてH君の最後が「安らかであったよ。」と言ったおばさんの言葉・・・・
最後は安らかだったの?じゃその前は?どんな風に過ごしたの?
私は、小学生の時に彼の「死」について知り、中学生の時に恐怖した。
そして、知らん顔した・・・・・・・・
Y田やN村もお通夜、葬式の時も寿命については何も言わなかった。
死を宣告された年齢より、5年長く生きたH君。
それは彼にとって幸せだったのか?苦痛だったのか?

私はH君の最後がそして、私の知らないH君の時間が何だったのか・・・・・・・・
私が高校生活、大学生活を謳歌している時に彼はどう生きたのか?
知りたかった、逃げた私が知りたいと思った。
その思いは抑え切れずに、とうとう私はH君の家を訪ねた。